秘恋物語 (後篇)

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「彼」が結婚すると聞いたのは、暮れに盛岡に帰った時だった。

駅まで迎えに来てくれた「彼」の車に、似合わない柄モノのクッションが揃えられている。

それを見て、まず切り出したのは、あたしだった。

「彼女できた?」

まあね、と「彼」はあまり嬉しくなさそうだ。

聞けば、十一月に親戚の世話で見合いをしたのだと。

「まあ、おれも三十だし、そろそろあれだしな。」

「ねえ、あたし彼女と会える?」

「えっ?」

なんか会わせたくないと「彼」はボソリと吐いた。

車は都南大橋に差し掛かり、北上川を渡る。

もうすぐ生まれ故郷のわが家だ。

橋の半ばで、「彼」はおもむろに車を停めた。

「ちい、兄ちゃん彼女と結婚するぞ。」

その時、あたしの中で冷えた感覚がもっそり動いた。

川面に揺れる冬の夕日が寒々しい。

「もう『あのこと』は忘れていいよな。」

「…。」

「でも、おれが、ちいの兄貴だってことは変わらない。

どんな時でもお前のことを一番に心配するのはおれだ。

ちい、もう水商売なんか辞めて幸せになれ。」

うるさい。東京のあたしは不幸じゃない。幸せだ。

あたしはそんな気持ちで静かに反抗した。

「この橋から毎年花火見たよな。母さんと、じいちゃんと。」

そうね…。そういうことを持ち出されると、さすがにちくりと痛い感じがする。

「お兄ちゃん、おめでとね。」

「彼」は「ありがと」と返した。

「あたしたち、前を向いていこうよ。そうするしかないもん。」

「…。」

「彼」は黙ってエンジンをかけた。

春になって、「彼」の縁談がうまくいかなかったって、母からのメールが入った。

「理由は分からないけど、けい君の方がやっぱり断りたいって。」

あたしはそのメールさえ黙殺した。

 

店のボーイをしているあっくんとこっそり付き合い始めたばかりで、

家族の話題など「自然と」圏外にしていた。

けど、『あのこと』に繋がる故郷の欠片たちは、

まるごと消しゴムで消してしまいたかったから、「自然と」というのは少し違うかもしれない。

「彼」も、お母さんも、北上川も、大橋も、花火も…。

なにもかもが、「彼」とあたしがセックスをした一夜にどうしても繋がってしまう。

「犯されたの。」

あっくんにはそう打ち明けた。

でも嘘。やさしいあっくんだけど、本当のことはどうしても怖くて告白できない。

鋭いあっくんだから、もう分かってるんだろうけど…。

高一の夏。花火の夜。「彼」の部屋で、あたしの方からお兄ちゃんを求めたこと。

それがあたしの初体験だったこと。


 

 八月一六日、あたしのたった一人のお兄ちゃんが逝ってしまった。突然だった。

「今年のお盆は帰らないよ。」

文字だけの素っ気ないやつだったけど、

亡くなる三日前に久しぶりにあたし側からお兄ちゃんに送ったメール。

その返信は結局来ることがなかった。


あたし、今さら思う。お兄ちゃんのことを忘れたくないよって。

けど、お兄ちゃんは忘れてほしいからいなくなったのかな…。

納棺師の人にお願いして、処置が終わったお兄ちゃんと二人きりにしてもらう。

耳からあごの下くらいにかけては紫色になっていた。

けれど、あたしの知っている優しい顔はそのままで、風邪でもひいて眠っているだけのようだった。


「キスしていい?」

「いいよ。だけどな…。」

ちい、これでお別れだよって、答えてくれた気がする。

それは、生涯二度目のお兄ちゃんとの口づけだった。

(了)

by ケイ_大人

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自分のために~誰かのために、言葉とセンテンスの職人でありたいと 日々精進しているところです。

言葉から命を吹き込まれた語り人たる登場人物たちが、いつのまにかぼくから離れて個を象るとき、読者の皆様の傍にそっと寄り添わせてやってくださいませ。

あなたが死にたいくらいの時、彼らが少しの役にでもなるなら…

ぼくの幸せです。