
浮惑なカモメ 第十一話
第五章(1)
何日かしてカルナバルのカウンターでサミーと再会した。
ぼくに責める気持ちは毛頭なかったのだけど、むこうから先に詫びを入れてきた。
「にいさん、すまなかった」と。
ぼくはカンパリをショットで流し込んで、
「気にしていないですから」と返した。
「今日は、いっぱい奢らせてくれ」
と、サミーはバーテンの『彼』に人差し指を立てて注文をする。
そして、ゆっくりと喋り始めた。
「堀部はずいぶんとずれちまったな。海にいた時はそんなやつじゃなかった。 陸に上がってからは保身だけだ」
と、サミーは舌打ちをする。
ぼくは何も答えなかった。
「ロックシンガーの雑用を首になったばかりで、海運のことなんかこれっぽっちも分からない俺に、あの人は随分と世話焼いてくれたんだが……」
堀部とゆう男が、サミーのことを「イカレテル」と表現したことが思い出されたけど、
実際、サミーの気が触れてしまったのか、それとも堀部の性格が変わってしまったのか、
そんなことは別にどっちでも良かった。
「ねえ、ところでにいさん。ドレミだったら、きみは今どこさ?」
唐突にどういう意味だ?
謎かけ問答には付き合いたくない。
横に並んだ二人の間には二席が空いている。
ここにちょっと年上の未亡人でも早く座ってくれないかしら。
「ねえ?」
首を小さく縦に振って、彼は執拗に回答をせがむ。
「じゃあ、ファです。これでいいですか?」
と、ぼくは嘆息と一緒にそう漏らした。
彼は、沈着に頬筋の力を抜き、
「にいさん、そう言うと思った」
と、切り込んでみせてケケケと笑った。
「どうして?!」
大上段から問答を仕掛けられているようで、ぼくは苛っとくる。
それでもサミーは構うことなくこう続けた。
「音階が人生の隠喩として、きみは中ほどを選ぶと。まあ無難だよ、俺にしても、若い時はそうだったね。生きる時間軸と楽譜上の物理的な記号を重ねて見るわけだ」
なんかの意図をもって “ファ ”と返答したわけでもない。
「じゃあ、さっきの質問を逆に問うが、ドレミだったら、サミーは今どこなんです?」
と、突き返してやる。
すると、
「 “カ ”だ。 〝オレの勝手さ ″の “カ ” だ」
と、またケケケと笑う。
「なに?」
と、ぼくは憮然とした。
「あなた、やっぱりイカレテルんじゃないの?」
「まあそうかもしれない」
サミーは努めて穏やかに同調した。
「でも一つ、若いきみに言っておきたい。少しだけ長く生きた者として」
なに? なんだよ?
「三十年、四十年生きたからって、それが人生という音階の半ばじゃないってことだ」
わかる? と、サミーはコロナビールを一気に飲み干して席を立った。
独りバーカウンターに残ったぼくは、
サミーがキザったらしく残した人生訓に考えを巡らせたり……、 なーんかは全くするはずもなくって、ちびちびーちびちびーとカンパリを口に含んでいた。
と、ゆっても、もう七、八杯は行ったか……。
深夜一時を回って、「お客様、そろそろ店仕舞いなので」と、
バーテンの『彼』が気を利かせてチェイサーをトン。
「ありがとう」、愛想笑いを浮かべるが、
立ち上がって家路に就く気が起こらない。
富士の天然水を一気に流し込むと、ぼくはだるい体を何とか引っ張り上げる。
ドロドロのため息が足元の暗がりにベタっと流れ落ちた。
「またよろしくお願いします」
と、バーテンの『彼』が丁寧に頭を下げる。
「ねえ、さっきぼくとサミーの会話を聞いていたろ?」
すると『彼』は「さて……」と空いたグラスを引っ込めながら呟いた。
「ドレミだったら、きみは今どこだい?」
『彼』は、しばし視線を宙に彷徨わせ、「私は……」と切り出しかける。
「あっ、やっぱりいいんだ。大した話じゃないしね」
「すみません。では、今度までに」
と、恐縮した様子でもう一度小首を垂れた。
(つづく)
by ケイ_大人
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