浮惑なカモメ 第三話

第一章(3)

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ぼくの片腕を架けて、ナントカ豆のツルが虚空の彼方まで伸びていく。

日本列島も地球も、どんどん小さくなっていく。

太陽系も銀河系も抜けて、

いくたびの闇と光の連続を超えて、

やがて光だけの世界になる。

そこには幼い日のぼくがいた。

光が和らぐと、十数年前に逝ったお爺ちゃんと並んで腰を掛けている。

海原を臨む小高い丘の上、空は曇っていた。

「お爺ちゃんは、ここでなにをしているの?」

「待ってるのさ」

「なにを?」

「なにも……。ただ待つということをしているんだよ」

ふーん。

「これからどうなるのかはね、
どうもあらかじめ何もかもが決まっているらしいんだな。
だから行き先を期待しちゃあいかん。悲観してもいかん。
そのうち目の前に扉が現れて、さあ行っておいでって戸が開くだけ。
そうしたらね、その時はじめて自分が何を待っていたのかが分かる」

「……」

「ただね、その時爺ちゃんはもう、あゆむの爺ちゃんじゃない姿をしているんだが、

また あゆむのそばに生まれたいなあ」

と、お爺ちゃんは白髪頭を掻いた。

ぼくは黙っていた。

お爺ちゃんは慌てて、あゆむにはまだ難しいお話だね、

と、ぼくの頭を優しくなでた。大きいけれど、重さの感じない手だった。

「今度の爺ちゃんは、あゆむの子供になるのかもしれないぞ」

ぼくはその台詞にも答えなかった。

「あっ、しかし、あやむが喰らう玉子焼きの卵になるかもしれんが……」

お爺ちゃんは自分勝手にクスクスと笑った。

すると、ぼくは急に悲しくなって、ワッと泣き出してしまった。

お爺ちゃんも笑うのをやめて、泣き出してしまった。

二人はしばらく泣いていた。

気がつくと、幼い日のぼくは 今のぼくに姿を変えて、

体を丸めたお爺ちゃんの肩をしっかり支えている。

「もう泣かないでよ、お爺ちゃん」

お爺ちゃんは、苦しそうに おいおいと泣きじゃくる。

鼻水を垂らし、それがすぐに乾いて、粉になって風に飛んだ。

「ねえ……、 お爺ちゃん、ぼくの決断は間違いではないんでしょ?」

お爺ちゃんは 涙を拭って、じっと水平線を見つめた。


「戸が開く日を待ってみないとな」


「えっ? それがお爺ちゃんの答え?」

お爺ちゃんは、ぼくの顔を見上げて、キッと目を合わせる。

「いいかい、あゆむ。これは生きているものも、死んでいるものも、
みな同じことなんだ」
と。

それから、「男の子だろう」って、ぼくの左の頬をきつく揺すった。

「爺ちゃんは、いつも あゆむ君のそばにいる。だから、ね、もうここに来ちゃいけないよ」

お爺ちゃんの手の温度は、とても冷たかった。






手元灯りの眩しさを感じて夢から覚めると恵美はいなかった。

シーツのしわがまだ温もりを蓄えていたけれど、

安物パウダーの香だけを残して、

愛しい女の躰はもうどこかに消えてしまっていた。


辺りの陰影に溶けてしまったみたい、と、ぼくは重たい瞼を擦って考える。

「あゆむ、客が入ったから先に出る」

色々と考えを巡らす必要もなかった。

メールの着信を知らせる、仄かに青光の点滅を繰り返す携帯をひっ掴んで、

そんな淡白な一文を指先でなぞる。

ぼくが恵美のために犠牲にしたこと。

恵美がぼくのために犠牲にするもの。

「釣り合っているのか?」

と、ぼくは独り言を呟いた。

つづく

 

by ケイ_大人

 

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自分のために~誰かのために、言葉とセンテンスの職人でありたいと 日々精進しているところです。

言葉から命を吹き込まれた語り人たる登場人物たちが、いつのまにかぼくから離れて個を象るとき、読者の皆様の傍にそっと寄り添わせてやってくださいませ。

あなたが死にたいくらいの時、彼らが少しの役にでもなるなら…

ぼくの幸せです。