浮惑なカモメ 第四話
第ニ章(1)
桜木町駅前の雑居ビルにクイックマッサージ店がオープンして、
立て看板にチラシが差してあった。まだ刷り上がったばかりだろうが、
梅雨終わり頃の漫ろ雨に濡れてよたっている。
その束ごと、いらっしゃいませ、と、お辞儀をしているみたいに。
はじめて恵美と出会った野毛のバス停のあたりで傘を閉じた。
雲の間から束の間の陽が差している。
そこにだけ絵具を零したように、黄色く滲んでいる。
傘の先で水溜りをつつくと水紋が幾重にも口を開けて、
戯れの歌が聞こえてくるようだ。「ばーか、ばーか、ばーか、ばーか……」って。
大岡川にかかる都橋に着くと、彼は欄干に肘をついて濁った水面を見つめていた。
「汪さん」
ぼくも傍らに肘をつき、何かいる? と尋ねた。
「キタナイネ」
ずっと雨が降っているからだ。
「上海ノ水モ、キタナイダヨ」
「そう……。ごめんなさい、ぼく行ったことがないんで」
「気ニシナイデイイヨ」
汪さんは気さくに頬を緩めて、ぼくの肩に固い腕を回した。
「イキマショウ」
ぼくは黙って頷く。
雑居ビルの中に汪さんのオフィスがある。
オフィスといっても彼が日常生活を送っている場所だから、
独り住まいのぼくの部屋と様相に変わりはない。
シンクに溜まった食器、折り重ねてある下着、
戸の開いたクローゼットからあふれ出んばかりのジャケットやシャツ。
ただ違うのは、中国に残してきた妻子の写真が立ててあることと、
ゲイポルノの雑誌やDVDが無造作に散らばっていることだった。
中国人女性のスナックや違法風俗店を経営している彼にとって、
昼のこの時間帯は余裕があるらしい。
頻繁に男を連れ込んでは、性欲を処理する玩具として遊んでいる。
「何カ、ノム?」
汪さんはぼくをソファーにかけさせて、キッチンでごそごそとやっている。
「いや、いいです」
「ピーナッツ、アルヨ」
数日前、福建省出の女性から土産にもらったのだと。
小皿に盛ったピーナッツの乾いた種皮さえ、この部屋の湿気でしんなりしている気がする。
「ありがとう。でも、いい」
ぼくは、小首を振った。
「キライ?」
いや。なんにも入れたくないだけ。
汪さんはベルトを外して、ズボンをおもむろに下ろす。
「サワッテ」
ぼくは、何も答えずに汪さんの股間をゆっくりと摩った。
こいつがジメジメした感じの源に違いない、ぼくはそう思うとちょっと可笑しくなった。
「何オカシイ?」
ううん。
「もう大きくなってますね」
「サッキカラ、我慢ハデキナイ」
これで三度目だけど、まだ慣れない。
男を相手にすること。
「ナメテ」
ぼくは、汪さんのパンツを脱がして反り上がったペニスを口にする。
「ウン、イイヨ、アユムクン」
舌先を亀頭から睾丸まで這わせ、またゆっくり舐め上げていく。
汪さんのアレにすっかり彼の全身の血が集中してしまうと、
彼はぼくを横向きに寝かせた。ぼくは銜えたまま離さない。
彼は、ぼくのGパンを手繰り下ろし、ぼくのあそこをくにゃくにゃと触り始めた。
「アナタ、マダ元気ナイネ」
ぼくは応えず、汪さんを早くイカせて一秒でも早く終わらせたい一心で、
棒をしゃぶり続けた。
「ソンナニ乱暴ジャ、イカナイダヨ」
汪さんはそそり立ったままのペニスを口から引き抜いて、ぼくの顔の上に跨った。
「くるちい……」
脂汗をかいて目に沁みた。汪さんの股間はツンとアンモニアの匂いもしたけど、
そんなことよりもこの体勢のままじゃ事が終わらないことに急く。
見上げると仁王面の汪さんが嬉々と高ぶっている。
「今日ハ、ファックシテイイカ?」
エッ?
凍りつくのが分かる。
「ヘヘヘ」
下衆な半笑い浮かべる彼を見つめる。
「恵美、恵美……」心根では恵美の名を呼び続けている。
と、その次の瞬間、尾てい骨の内側から引き裂かれるような痛みが走り、
全身がビリッと痺れた。
灰色の雲が頭の中いっぱいに充満して、ぼくはその向こう側にもがき苦しんでいる恵美の嘆息を感じた。
「恵美、恵美……」
それは恵美と同じ痛みを知った刹那だった。
ぼくは、恵美と同じ闇に下った。
薄ら目で、サイドボードに据えた写真立をゆらゆらと捉えると、
汪さんの幼子が無邪気に手を振っていた。
ぼくは代金の二万を渡されて小鉄に向かう。
まだ明るい野毛小路、よたよたと足を引き摺りながら。
「マタ、金曜日ニ来ナサイ」
去り際に汪さんに肩を抱かれて、こめかみのあたりに生ぬるいキスをされた。
もう二度とごめんだ。鳥肌は立ったが、結局愛想笑いを浮かべてくたびれた握手を交わす。
「まだケツの穴が痛い……」
ぼくは、スナック小鉄の鉄ママにそう零した。
ママは、「すぐ慣れるわよ」と一笑に付し、
「はいじゃあ、これね。御苦労さま」
と、ぼくに半分の賃金と、テキーラのショットを差し出した。
「あたしの相手もしてくれたら、こっちの一枚もあげちゃうんだけどな」
「ごめんなさい」
ぼくは頭を下げた。
「金のためじゃないんで」
ママは、フンッと気味の悪いすね方をして、可愛くない子、って悪態をついた。
「……」
テキーラが喉を焼く。
このまま全身を焼き尽してくれないだろうか。
ママはカラオケのモニターを消して、CDをプレイヤーに置く。
― ひとり酒場で飲む酒は 別れ涙の味がする。飲んで棄てたい面影が 飲めばグラスにまた浮かぶ ―
「やっぱりいいわよねえ、ひばりちゃん」
「……」
「あゆむちゃん、あんたねえ、男に興味もない、金にも執着がない。 それで身体売ってたら、じき壊れるわよ」
「……」
ぼくは黙って店を出た。
(つづく)
by ケイ_大人
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