家庭料理 橙(だいだい)

-vol.11- □■居酒屋の相対性理論■□

ーー2012年6月12日来訪ーー

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藤沢周平の短編に 「捨てた女」 という作品がある。

機転がきくわけでもなく、とびきりいい女ぶりでもない

”ふき” のことが何故か気になる 歯磨き売りの男 ”信助”。

2人は、ひょんなことから一緒に暮らすようになる。

ままごとのような生活が続いたが、

信助は結局、渡世人の血が騒ぎ出すのを抑えることができなかった。

 

信助は”ふき”を捨てた。

 

人間には、摺れたところがあるのであろう。 本当の幸せに対して どこか不器用なところがあるのかもしれない。

居酒屋は古くからある商売であり、 また震災後の復興でもいち早く立ち上がる。

行動経済学者のいうまでもなく、 人間は合理的な面だけ持ち合わしている訳ではない。

ただ安く飲みたいのであれば、 ほかにいくらでも方法があるのであるが、 居酒屋に集う人は多い。

せっかく求め、作った家族から、なんとなく逃れたいときがある。

なんらかの喪失感をわざと味わいたいと思うときもあったりする。

そのくせまったくの孤独だと どこかさみしい。

その非合理的な人間の欲望をしってか知らずか、 提灯は人を誘う。

そして、心憎くも 縄のれん の結界がはってある店もある。

サラリーマンの聖地 新橋のランドマーク ニュー新橋ビルは、

40年もの間 ”ニュー”と言われ続ける。

SL広場の脇に君臨するビルの地下には 闇市から組み上がった街をそっくりと封印している。

この地下1階のほぼ中央に”だいだい”という居酒屋はある。

中国女性の元気かつ執拗なる誘いの声のコダマをくぐり抜けて 中央まで進む。 白い大きめの提灯 がある。

執拗なる誘いは外にいると 煩わしさと くすぐったさが入り混じるが、

中はそのおかげで異空間となる。

なんとも不思議な感覚だ。

中は、 まっとうな、 まっとうすぎるくらいの居酒屋である。

 

”信助”は やがて 渡世人に身をやつしていく。

どんなに美しい女と遍歴を重ねても なぜか思い出すのは ”ふき”のことであった。

プイっと 風呂屋にいくようにして、 それきり 2人の会うことはなく短編は終わる。

精神分析家のラカンは、 欲望は他者として欲望する といった。

欲望はいつでも主体から等距離にある 近づくとみえない 遠ざかると現れる。

光速が空間の歪みでしか解決できなかったアインシュタインのように 本当の自分という空虚と 過剰なる欲望の統一場は、 実は、居酒屋という歪んだ空間にあるのではなかろうか。

そんな馬鹿げた考えを 打ち消すように、 もつ煮込みがでて来た。

 

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うまい 、文句なしにうまい。

少なくとも私にとっては、居酒屋の居は居場所の意味である。

モツを食べると元気になって酒を追加してしまった。

”だいだい”には、刺身、焼き物、揚げ物 、煮物 が揃っていて、

そのどれもが妙なる味である。

どんな居酒屋でもこのクオリティを維持するのは難しいことだと思う。

ロケーションの妙と相まって、 絶妙なる居場所となる。

ニュー新橋ビルは一応、複合施設である。

飲食店だけでなく、上階には事務所もある。

それ以上にマッサージのお店も多数ある。

たいていの駅前ビルには、 チェーン店が多く入りそうだが、

このニュー新橋ビルの地下にはその姿は少ない。

活気のある個性の集合である。

それぞれの異空間があるのであろう。

ついつい ハシゴをしてしまいたくなる。

銀座、新宿、渋谷、池袋は たまにいけばよいが

でも新橋はしっくりきて反復可能性を確認してしまう。

こんな魔都の空間まである新橋を後世に残したいと思う。

 

参考:(食べログ、ぐるナビに情報なし)

==編集雑記==

”スマイル店長の新橋☆食べある記”の 取材

第一号の記事です。

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