とり茂

-vol.36- □■ 老舗の懐 ■□

2014年2月6日 来訪

 

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ホッピーは下町の味という。

石渡秀氏が、ビールが高級品だった時代に
代用の清涼飲料水をつくってくれて以来100年の歴史を持つ。

ホッピーの看板や、それを出す店の雰囲気から
下町の味とされ、京成や中央線を中心とした関東の首都圏で人気が高い。

ビールと同じくらいの値段になった今でも、
ビールと匹敵する人気を持つ。

これは輝かしいことではないだろうか。

意外なことに、
決して流行の華々しさのない庶民の汗とともにある
このホッピーを生産しているのは、
現在は若き女性が社長として経営している。
ホッピービバレッジ。

モツや煮込み、やきとん、焼き鳥と相性がよく
飲みやすいことがそうした人気を裏打ちしている。
そんなホッピーも
一時期には絶滅の危機にさらされた。

創業者の孫である女社長が自ら広告塔となってV字回復を果たして現在にいたる。


そんな辣腕をお持ちの社長だが。順風だけが吹いていたわけではなく、
2007年には商品事故のため全品回収という憂き目にあっている。

さらには、新商品のホッピーを出した時も
社員と意識共有できずに、突っ走って失敗されている。

そういった諸々の経験があり
ホッピービバレッジは100年を超えて存続し、
居酒屋のカウンターにはホッピーが届けられ
お目見えしているというわけである。

荻窪ラーメンの名店 春木屋も
伝統の幹だけ変えずに、時代に合わせて改良を続けている。

頑なさと柔軟性を併せ持つ
お店や会社のみが老舗として生き残れるということであろう。

易不易の哲学は、永遠だ。

保守派と革新派という政治的な言葉を使えば陳腐になるような
必ず複数の人々の葛藤があって伝統は守られている。

協力してくれる人、納得してくれる人々がいなければ
伝統は途絶える。

結局は、どれだけ人に愛されたかである。


居酒屋という業態も同じだと思う。

そのお店の悪さも良さも飲み込んで通ってくれたお客さんがいなければ
長続きはしない。

店は店主とお客様の二人三脚だ。

結局はお店の人間力であると思う。

その人間力が感じられるから楽しいのである。

今日は、ニュー新橋ビル地下一階の老舗
とり茂にお邪魔した。

店長の中村茂八氏は、ニュー新橋ビル地下一階の町内会長を勤める。
居酒屋の世界一の激戦区新橋で老舗といわれるようになるまで
さまざまなご苦労があったと思うが、
こちらが恐縮してしまったくらい、とても物腰の柔らかい方だ。


なにはともあれ、
ビールをいただく。

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最初から、居心地がよい。
カウンターに座ったのに、、、、

居酒屋のカウンターは敷居が高いところもある。

テーブルに座り、
カウンターで親しそうに店主や
料理を作ってくれる人とやりとりを
眺めて、
数回以上通ったところで馴染みとして
認められ、あるいは自分を認めて
カウンターに座るのが私の通常である。

いきなりのカウンターで
しかも、ゆったりとした心持でいられるのは
他の店ではあまり経験したことがない。

あくまでも、カウンターでアウェイを感じるのは
お客側の勝手な思い込みなのだが、
それでも
はじめて入るお店は緊張するのがほとんどであるのに
それを感じさせなかったのは
この店のすごさだと思う。

さすがは、新橋の老舗である。

カウンターに座る我々の背中に
店員さんと常連の方の気軽な世間話がきこえる。

とても、楽しそうだ。

ふと、最近読んだクルーグマン氏の本を思い出した。

クルーグマン氏はノーベル賞受賞の経済学者であるが
アベノミクスの奨励者である彼は
アリに対しキリギリスになれ
という主張として捉えられ、批判もある。

私が読んだ本でも
中国の台頭は世界の驚異ではないと
アメリカの人民元切り上げ圧力を批判している。

中国の対米黒字がなくても
失業率は増加し、貧富の差は増大する。
そのアメリカの国内問題を
中国の問題とするのは問題のすり替えであると
辛辣な言説である。

アメリカと中国の経済摩擦があろうがなかろうが
経営者が今やるべきことに何の違いも生じないのかもしれない。

歯に衣着せずものいう人は批判や誹りを免れないが
この説に関する限り、そんなものかなと納得してしまった。

経済学者と実際の経営者との違いについても
この本は触れている。

たとえば、経営の実績のある人が政治をやっても
それほど功績があがらない人がいる。
経営は自分の会社の成長だけを考えればよいが
国としては、公共の福祉のバランスが壊れる影響も
斟酌に入れねばならぬ。


国が悪いなどという人はそもそも
経営がうまくいっていないか 
社会貢献を真剣に考えていないのかもしれない。

お歴々はもっともなことをいうけれども
自分としては、
目の前のお客様を楽しませること
と経済のお説とはまるで別世界のことである。

世界経済を憂いて、バタフライエフェクトに過剰に反応し
あれこれ考えるうちに、目の前の貴重なお客様は退屈してしまうかもしれないのだ。

いうまでもなく、
お店を守ることと
世界経済は実は関係がある。

しかし、経営者がお客に対する姿勢にとって
世界経済はいったん括弧でくくってしまっても何の問題も生じないのだ。

お通しが出てきた。
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丹精込めて作った煮物と
鶏肉の上に玉ねぎの炒めたものを乗せたもの

いきなりの”おふくろの味”に
ばかげた理論はふっとび、一気にほっこりとしてしまった。


人気のガツ刺し

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合わせるは、庶民の醍醐味 ホッピーだ。

力強いガツ刺しは明日への活力がみるみる沸いてくる。

串盛りを頼んだ。

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なんとも落ち着く味だ。

なんの気の衒いもないが、
それでもやはり、ここでしか味わえない味なのだ。


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ホッピー気運にのせて
朝鮮焼きを頼んだ。



パンチのきいたニンニクに
憂いも吹き飛ぶ。

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まさにサラリーマンのオアシスだ。

さまざまな幻想にとらわれるのは人間として宿命である。
しかし、やるべきことは変わらないのである。
だったら、いい幻想を抱こうと思う。

とり茂の料理を食べて
そう思った。

とにかく楽しい老舗の居酒屋である。

新橋の懐の深さをしみじみと感じた。

 

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参考:とり茂

 

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わのみせ

-vol.35- □■ 料理にとって美とは何か ■□

 

2014年1月15日来訪

 

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太宰治の小品「青森」の中に
棟方志功の作品が出てくる。

優美というよりも素朴さの美を体現した
作品を幼少期にみて「なかなかよいと思」った太宰の審美眼には
畏れ入る。



ふるさとは遠くにありて思うものという。

近くだと、欠点も見えるからそういうのだろうか。

逆に、北海道のじゃがいもは北海道で食べるべしという。
いわゆる地産地食であるが、

稲作をやっている御宅は
自分たちの食べる米をとっておきにする。

それが、すこぶる旨いときく。

流通しないものは、地方まで足を延ばさなくては
口にできない。

流通しているものであっても
その食材のありようは
育った環境で食すとき成果を発揮するものであるならば
郷土料理は新橋で食べるのは邪道なのであろうか。

新橋や銀座では、各地方の物産展が行われたり、
郷土料理の店も多い。



柳宗悦は、
日本文化の美が一番主張できるのは民芸品だという意味のことを言っている。

その理由を簡単に要約すれば、
自然のありがままの姿が自然に表現されているからである。

なるほど、棟方志功の描く版画を観て、堂々たる雰囲気と大胆さを感じる。

ありのままの持つ力が溢れてくる。

そこには背伸びは不要だ。

まるで食材が育ったところで発揮する
本来の力が溢れでるのに似ている。




今日は、棟方志功の出身地である
青森の郷土料理を今日は食べにきたのである。


わのみせ

WINGの銀座寄りにあるその店に入った。

郷土料理の意図にそぐわないかもしれないが
フローズンビールを頼んだ。

青森の雪に触れてみたいと血迷ったのかもしれぬ。

beer



お通しは、ひじきである。
素朴だ。

いくつか素朴な料理を並べてみた。

馬刺し

馬刺し


青森は馬の産地である。
馬刺しが有名なのは、青森以外では信州と九州であろう。

信州に比べると、あっさりとした
風味であるように感じる。


烏賊の一夜干し
いか丸干し


これも質素であるが旨いものである。
合わせるお酒は
青森の地酒じょっぱりを選んだ。

厳寒の青森にいって、吹雪に目を細め、身体を縮こませながら
のれんをくぐり、居酒屋の木枠扉をぎこちなくガラガラ開く。

店の中央には、赤々とストーブが燃えている。
店内は人はおらず、古ぼけたラジオから雑音まじりの音がする。
その音に混じり やかんが沸いた音がする。

ストーブの上にはよくみると烏賊が吊るしてあるのが見える。

なんだか、ほっと一息ついて、身体のこわばりも少しほぐれてきた。
熱燗に烏賊で一杯やりたくなる。

そんな情景が浮かんできそうだ。

ふと我にかえったように、烏賊をつまんで
日本酒をくいっとやる。

青森にまだいったことのない自分は、
ともかくもそんな想像を膨らませながら烏賊を口に運ぶのである。

鴨のたたき

鴨たたき

”たたき”といっても
お店で出せるのは十分火を通したものだ。

ちょっと悲しくなるが詮無きことである。
それでも、鶏肉より野趣あふれる香を感じる。



素朴が美となるのにはいくつかのハードルがある。

雑器などの民芸品には、無心の美があるという
つつましやかで穏やかなる美ということである。
装飾過多なるものは、とんがっていて嫌だということであろう。

でもそれだけでは、装飾のアンチテーゼという相対的な美でしかない。

柳氏は次のように美を説く
美は素材による。
単純さにこそ美の本質があり、
それは反復によって醸し出されるという。

単純・素朴・質素な美徳である。

「美」を「食」と置き換えてみると
郷土食の神髄は実はそんなところにあるのではないかと思う。

空気が美味いから、食材が美味いというようなことである。

それは、現代においては、
素朴であるが、それゆえに、とても貴重なる体験になってしまったようにも思う。

棟方の作品を見て思うのは
活き活きとしていることだ。

あるがままだからこそ、できる表現な気がする。

素材がそのままというのはなんとも頼もしくもある。

さて、今日のメインディッシュ
せんべい汁が出てきた。


せんべい汁

旨い。

ほっとする味だ。

すいとんの材料として
日持ちのよい食材、せんべいを使ったのがはじめだとのこと。

天保の大飢饉のときに生み出された料理だという。

そうなるとこんなに出汁は旨味がなかったかもしれない。

他の具も乏しかった時代だったかもしれない。

しかし、貧なるものだから素朴だというのとは違うであろう。
まっすぐさと あるがままをそこに感じるからである。

せんべいは、せんべい汁に使うことを前提として作られているという。



しかし大衆だけでは美にはならぬのであろう。

木に鑿をふるって削り出すものは
自然そのものであり、自然にゆだねるからこそ
自由が出てくると柳宗悦はいう。

人為なるこだわりは自由のさまたげになるのである。
頭で考えた美は邪(よこしま)でありぎこちなくなる。


誰が故郷を思わざると、書を捨てて街に出た寺山修司も
青森の出身。

街に出た寺山の愛したものはマキシムのフランス料理にあらぬ
大衆料理であった。

ライスカレーは家庭の味であり、ラーメンは街の味である

と名言を残している。

見方によってはどっちが素朴でどっちが洗練かは意見が分かれるが
寺山修司の街に出た当時はそういう状況であったのであろう。

街の味であるラーメンは昨今では
ずいぶん 歪(いびつ)さを増したように思う。
街がつくるラーメン対する工夫を洗練と呼ぶのかもしれないが、ラーメンが持つ本来の力には関係がないかも知れぬ。

せんべい汁は、B級グルメグランプリの常連のメニューであるというが
その誉(ほま)れと柳氏の言説は相反するものがあるように思うが
どうであろうか

あげつらうものや競うものでなく
そこに自然とあるもの
それが郷土料理の魅力であろう。

してみると新橋に郷土料理があるのは
歪になってしまったサラリーマンを素朴を思い出させるためであるような
そんな気がしてならないのである。

参考:わのみせ

photo by #DOY

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家園菜

-vol.34- □■ 肉の苑 ■□

2013年12月26日 来訪

写真

 

2013年の2月に、われわれが「麺ロード」と呼んでいる通りにあるビルが

不幸にも火事に見舞われた。

味之苑という店があったのだが、
そのあと、ずっと空き家であった。

2013年11月に羊肉串を看板とする店ができた。


獣という文字の持つ雰囲気に魅かれて
入ってみようということになったのである。

一階がカウンター、2階がテーブル席
3階には座敷席があるという。

駅にほど近く、人通りも激しいこの新橋西口通りで
3フロアというスケールの店をもつと、
人を呼ぶのに力を入れそうだが、

店主である当のママは、おっとりと姿を現した。

中国の女の子の癖なのか、店の前で立ち止まる人々を
どうぞ、と呼びこんでしまうのを
いいから放っておきなさいと中国語でたしなめていた。

あまりの商売っ気のなさに呆気にとられたのを見てとり

うちは料理が自慢で、うちの料理が食べたい人だけ入ってくればよい
と説明してくれた。

元来、経営者とサラリーマンでは
同じ人間だが、考え方が大きく違うところがいくつかあり、
その中で、経営者を狩猟型、サラリーマンを農耕型と
不作法に分けてみることもできるであろう。

経営者の感覚というが
要は目の付け所や、仕事に対する自分の立ち位置が把握できるか
どうかであり、それはある程度サラリーマンにも必要である。

そういうことを語るのは本来門外漢なので、
気質とでもいおうか。

狩猟型の気質と農耕型の気質があり
これもまた、
どの人にも偏りがあるものの相応に入り込んでいると思う。

食事も菜食主義で胃腸に負担をかけないことを
モットーとしている人もいるし、
そんなことお構いなしに肉を喰らう人々がいる。

精が付く料理というが、
栄養素というよりも、気分の効果の方が大きいように思われる。

普段は菜食中心がよいのかもしれないが、
いざというとき狩猟型も農耕型の方々も
たまには、ドンと強壮に効きそうな料理というのもいいのではないだろうか。

ともあれ、こちらの店主のママは
ギラギラしたところがまったくない。

きけば、玲玲の経営者という。

いざとなれば、そちらから客を引っ張ってくればよいのか。

その余裕からの態度かと思い、訊いてみると
そんなことはしたくないという。

「あちらの店は、餃子や中華料理が食べたい人。
こちらに無理やり引っ張っても料理が違うじゃん。」

と、しらっとした感じで言う。


メニューには、羊、鶏のほか、雉や鹿などもならぶ。

ジビエ料理と書いてある。

ジビエ(gibier)というのは、フランス語で、
本来は狩猟家がとってきた野生の鳥獣の肉を食べる料理である。

材料としては似てなくもないが食べ方は違うのであろう。


正直どんな頼み方をすればよいかわからなかったので
まずは、おすすめセットを頼むことにした。

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おすすめセットは生ビールと
羊肉串が3本、
一品料理がつく。

一品料理は日替わりらしい。
この日は、羊肉と大根の煮物が出てきた。
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羊肉串というと日本ではなじみがないかもしれないが
中国の東北地方ではかなり浸透している食文化である。

羊肉というと私の幼少期にはジンギスカン鍋以外浮かばないが

世界三大料理のトルコ料理では、
それよりもポピュラーなのである。

肉料理の文化は宗教と密接である。

イスラムは豚肉はハラーム(禁忌食物)であるし、
インドでは神聖な牛を食べることは嫌うというか思いもつかないだろう。

羊肉は牛よりも臭いがきついというが
要は、慣れの問題であるし、世界からみれば狭い了見かもしれない。

お高くとまったフランス料理や、イタリア料理でも子羊は
素晴しい食材なのである。

とりわけ、ここ家園菜の肉は臭いがまったくといっていいほどない。


その羊肉は3本でてきた
1本は、塩
この店の塩味は、モンゴルの岩塩をつかっている。
ピンク色である。
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この塩が旨味を増す。



2本目は、麻辣
ピリ辛の味付けがしてある。
犬を食べる食文化をもつ延辺料理の味付けだ。

3本目は、新疆
ウイグルの味付けである。

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ウイグル料理は、トルコの影響下の味付けを強くもつ。
ウィキペディアによれば、
「ウイグル料理は清真料理(ムスリムの料理)であり、必ずハラールの食材を用いる。
地方によっては鹿肉や鳩などの野鳥も食用にされる。」
とある。

さらには、
「香辛料としては、トウガラシ、クミンが多用され、ショウガ、花椒、フェンネル、
カルダモンなども用いる。」
とある。

エスニックな異国情緒がダイレクトに
肉にのっかり、どっしりと伝わってくる。

これは、精がつきそうだ。



ママが云うには、
ここは料理屋、その店の料理を出すことが
私の仕事。
経営はあとからついてくると余裕綽綽であった。



新大久保などで、羊串をたべたことがあるが
たしかに、こちらとは肉質が違う。

こちらのが断然うまい。


ママの余裕を裏付けるように、
だんだんとお客はついてきているようだ。
こうして食べている間も、お客さんがぽつぽつとやってくる。

ママの悩みは、秋冬はいい肉が入るが、
夏はどうするのか、思案中という。


そんなことを聴きつつも、
小龍包の字が目に入った。


ママは、これを新橋で一番にしたいという。
やっと経営者らしい気概をのぞかせた。

たしかに美味しい。

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さすが、玲玲の餃子を作り上げる店の
小龍包だけのことはある。

小龍包や水餃子で大事なのは
皮である。

自分たちで作った厚めの皮だからこそ
餡の肉汁を閉じ込めることができる。

また、冷凍にすると穴がどうしても空いてしまうため
手作りと、その場でつくるに限る。



さて、看板料理を食べたあとはどうしたらよいだろう。

迷った私に助け舟を出すよう
肉質をしきりに自慢するママ。

素直に従って注文していくことにした。

雉と鹿が自慢だとのことである。

 

雉は、鶏よりも多少臭いがあるが
香りといってよいほどかぐわしい。
雉肉の本来の匂いなのだろう。
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鹿は、個体数が増え、農作物でも被害で出ており、
ジビエの流行に乗って、もっと食べてほしいという県もある。

食べてみると、ミルキーな香りとコクの深い肉で
とてもおいしい。

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昔、マタギの人に聞いた(又聞き)のだが
鹿は血が美味いという。
まずは仕留めると、血をすするという。

凄惨な光景にも思えるが、狩猟人のもつ勇壮さも感じる。

ジビエが日本に入ってきたのは、1990年のバブル期である。

同じ頃には、サッカーの流行とともに、
シュラスコというブラジルの肉料理も入ってきた。

まったくの私見だが、
経済的な発展には、肉料理が流行る。


2014年はどんな年だろう。

肉料理がバンバン流行ってほしくもあるし、
それにともない、日本の気品を伝える料理も
バランスよく流行ってほしいとわがままをいってみる。

肉を喰らうとは、要はギラギラとすることである。

再び活気ある日本の姿が目に浮かんだ。

 

参考:家園菜

 

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餃子や

-vol.33- □■ 嗤う将門 ■□

2013年12月18日 来訪

 

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新橋の烏森神社は、藤原秀郷が、平将門を撃つ前に神に祈願し、

そのお礼に稲荷神社を建てたという由来だが、

私なぞは、違和感に苛まれる。

サラリーマンの街の鎮守としては、
藤原秀郷より、断然 将門の方がふさわしいと感じてしまうのである。

将門は、菅原道真に親王たれと夢で告げられたという。
東国の庶民からみれば、スーパースター的な存在であった。

将門の首は討ち取られた後もなお、まだ生きていて、
ある人が、「将門は、こめかみよりぞ斬られける 俵藤太のはかりごとにて」
と詠むのをきいて、カラカラと笑い、やっと目を閉じたという。

そんな豪快な人物で、庶民のヒーローの方が
サラリーマンになじむのではないだろうか。

たしかに、藤原秀郷もいくつかの伝説を残す。

たとえば、
「浦島は、無事かと藤太尋ねられ」
という川柳がある。

百足を退治した藤太が、竜宮城に招待された伝説を受けたもので、
江戸人は、久し振りに人間を歓迎した竜宮での会話を想像したのだろう。

付け言葉という技法がある。
歌舞伎の言い回しなどに多用されるのだが、
本来の意味に対し言葉の過剰がある。
「恐れ入る」とただいわずに、「恐れ入谷の鬼子母神」などといったりする。
江戸のマニエリスムだ。

ありがとうの付け言葉に
「蟻が鯛なら、芋虫や、百足汽車なら、蝿が鳥」
というのがある。
百足を汽車に連想させる地口が軽妙だが、
百足を倒してしまう俵藤太の伝説は
汽笛一斉を唄う新橋には、そぐわない気がしてしまう。

政府やお偉方と、庶民の意気投合は、
資本主義だろうと社会主義だろうと
構造的な理由で、永久に果たされぬ。

俵藤太の竜宮伝説は、私利私欲を貪る当時の地方役人の放蕩の
イメージとも重なり、どことなくサラリーマンに敵対するような構図が浮かぶ。

兜町の機嫌を損ねないようなバランスをなんとか保ちながら、
将門のような豪傑キャラの登場を、
どこかで期待するのがサラリーマンである。

植木等の演じたニホン無責任時代では、
まさにそういった豪傑なサラリーマンが活躍する。

責任をとるといいながら、
実際には責任をとらずに私利私欲を貪る支配階級。
それへの主人公の反逆が痛快で、
サラリーマン層の支持を得たのである。

ともかくも庶民層が生きるための闘争は
昔から続いてきていた。

庶民最大の危機の物資の不足に対し
官憲に抗いできた街が闇市である。

渋谷も新宿も闇市が盛んだったが
新橋も最大級の闇市があった。

新宿ならゴールデン街や思い出横丁に忍ばれ
渋谷はいまはマークシティに上塗りされてしまったが
地下街にはその雰囲気も残る。

新橋はというと、
闇市をそっくりビルの中に閉じ込めた。
それが、ニュー新橋ビルである。

ほとんどが個人商店で
靴屋、洋服屋、マッサージ屋、
居酒屋が犇めくその雰囲気は独特だ。

今日紹介するお店は
そんなニュー新橋ビルの地下一階にある。

闇市の頃の雰囲気を色濃く残すお店である。

その名も「餃子や」である。

まずはビールからというのは、
誰が始めた儀式かわからぬが、
とりあえずもそういうことから始めたのは
やはり、この店の雰囲気に圧倒されたところもあるのだろう。

 

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様子を伺う時間稼ぎをしたかったのだ。

はじめてのお店に入るときには
ビールでのどを潤しながら メニューを眺め、
片目で雰囲気を伺ったりする。

そうしているうちに
暗闇の中で目が慣れるように
だんだんと店の内部が把握できる。

照らし出された店は
浅草を思わせるような下町情緒のある
餃子をメインに据えた居酒屋さんであった。

そう思うと一気に気楽になった。

みれば 餃子以外の料理もたくさんある。
普通の居酒屋さんだ。

店の名前が餃子屋なので

ファミレスでポテトやソーセージをツマミに飲んだり、
ラーメン店の日高屋や直久のようなお店を
居酒屋使いして帰るような具合を想像したのであるが
結構豊富なメニューに目移りする感じである

お通しの茄子味噌のところで
美味しい庶民派の居酒屋さんだとすっかりわかった。
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そして、その餃子の種類が豊富で
こちらも選びきれない。

メンマ、煮玉子、チャーシューの3点盛
をもらった

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ラーメンのトッピングのようなおつまみだが
これに連なる餃子への前哨として、ふさわしく思えたのだ。

チャーシューはやわらかくジューシーで
冷めていないのもうれしい。

煮玉子も玉子のまったりとしたコクを引き立てる味が
しっかりと入っていて、つまみとしても上々だ。

メンマも どこかなつかしい。

以前にメンマを肴にビールを飲んだのはいつだったろうか。

さて、人心地ついたので
餃子を頼もう。

種類がありすぎて自分で選択するのをあきらめ、
店の人におすすめをきいた。

しそ と 高菜 だそうだ。

高菜はともかく紫蘇は中国ではあまり使わない食材だ。
たいていは香菜を使う。

日本人好みにあわせているというところだろうが
こうした対応が可能な中国の料理の懐の深さを感じる。

中華は調理法が重点で
和食は素材に重きを置いているのかもしれぬ。

餃子という調理法は食材を少し変えても成立する
素材を引き出す調理法の和食では別な料理になるだろう。

そんなことを考えてながら
ハタハタの唐揚げを頼んだ。

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御存知 ハタハタは、ヌルヌルとした食感が特色で
ブリコ(卵巣)にうまみがある。

鱗も少なく骨もやわらかいので
唐揚げも美味しいわけだ。

ここでも調理法がきいている。

さて、餃子がきた。

餃子



びっくりなのはこの羽根。

なんて美しい羽根なんだろう。

丁寧に焼き上げられた感じがよくわかる。
香ばしさが増し、タレもよく絡むようになる。


しその方はとてもさっぱりと
高菜はその風味が加わってなんとも いい味だ。

おまけに箸でつまむと
中から肉汁が飛び出した。

とてもジューシーで、なおかつ さっぱりの餃子。

これはいい!

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味噌きゃぺつをアテに
ビールをお代わり!
これぞ、ニュー新橋ビルの真骨頂である。

とても家庭的で、親しみやすいお店だ。

ニューしん には、こうした親しみやすいお店も数多い。

たとえば、向かいの「赤舟」でちょっとつまんで
この「餃子や」で 餃子を食べて、
最後は、「橙(だいだい)」で おにぎりをもらうなんてこともできるのである。

そうした梯子酒もワンフロアでできてしまうのは楽しい。

この迷宮の中は、奥が深いし
とても落ち着く。毎日だって飽きさせはしないだろう。

俵籐太も烏の森を抜けだして
ひそかに飲みに来ているのではなかろうか。

ニホン無責任時代は、
コンプライアンスの強化とともに終わった。

それとともに、豪快な無頼漢もいなくなってしまった。

いつか、このニューしんの地下街から
平将門の豪快に笑う姿が見られることを願いたい。

参考:餃子や

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魚の家

-vol.32- □■ ブリヌーボー ■□

2013年11月21日 来訪

外観

コーヒーが美味しいと感じるのにも時間がかかる

苦さの克服と雰囲気への憧れとの渦潮。

同様 旨い酒という意味がわかるまでに、
だいぶかかった。

ここはニュー新橋ビルの地下1階。

魚の家(うおのや)である。

ゆったりとした造りの店内に
身を任せる。

今日は熱燗からと、
金陵という日本酒を頼んだ。

寒い夜には熱燗がいい。

味覚も育てるものだということかもしれぬが、
それにしても、日本酒の良さがわかるまでに
どれくらいのお金と歳月をかけただろう。

日本酒の良さを共有する友人に感謝したい。

友人なくば、日本酒の味を知らずに一生過ごしたかもしれない。

日本酒_金陵

そういえば李白の詩がある。

金陵酒肆留別

白門柳花滿店香、呉姫壓酒喚客嘗。
金陵子弟來相送、欲行不行各盡觴。
請君問取東流水、別意與之誰短長。


金陵とは、今の南京のことである。
李白が友との別れの宴のときの心境を謳ったものだ。


金陵という地名が実際に
この日本酒と関係があるかないかはどうでもよい。

江戸時代から続く四国の酒造が作ったというが、
由来まではわからない。

それよりも、むしろ雰囲気が重要なのである。

大事なことは、名がいろんなことを思い出させることである。
日本酒が旨いのは、味だけでなく
人生の深みを連想させるからかもしれない。



旨い肴をゆったりと飲むのにふさわしい酒は
料理と相まって相乗効果をもたらす
酒が料理をおいしくさせ、料理が酒を旨くする。

とりわけ、魚介と日本酒の取り合わせは極みだ。


熱燗でお通しをいただく。

お通しは小松菜のお浸し。
お通し



きちんと出汁に浸してある。
シラスといり卵を加えている。

お通しをみるだけで、料理への心意気がみてとれる。
ちょっとしたひと手間は、作り手の悦びなのだ。

小松菜のえぐみをタマゴが掬い取り、
出汁のうま味をシラスが伝える。

なにげないことが、すごく大きな効果をもたらす。
そしてそれを、日本酒が増幅させる。


鮟肝ポン酢

鮟肝ポン酢

吊るし切した鮟鱇から
肝を寄せ集めて巻簾で成形して蒸す。
寒い時期にはピッタリである。

お店ではただ出すだけになってしまいがちだが
たっぷりのポン酢とともに供されると、
なんとも高級感が出る。

定番ではあるが、
なんといっても海のフォアグラなのだから
高級でいいのだ。

魚の臓物は、
さんまのはらわたにしろ、
カラスミにしろ 珍味とも呼ばれる品々が多い。
そして、日本酒とは大親友である。



鮪の刺身
鮪刺身

赤身と中トロの組み合わせ。
大ぶりだ。


寿司ネタのなかでも不動の人気の鮪であるが、
お刺身は白身魚の方が旨みを感じて、個人的に好みである。

魚が美味い店のマグロはとてもいいので
こういう機会に食すようにしている。


魚の白身と赤身のことだが、

近海を泳ぐ魚は白く、
回遊魚のマグロのように長距離泳ぐ魚は
ミオグロビンという酸素を多く蓄える
たんぱく質がふくまれており、
このたんぱく質は鉄分を多く含む赤い色素である。

ゆえの赤身なのである。

ぶりにも鮪ほどではないが
ミオグロビンが含まれている

このミオグロビン、
含まれている鉄分のために
日が経つと、変色してしまう。


肉も魚も旨味を一番感じるのが
すこしだけ日が経ってからだが変色すると
みんな買わなくなってしまう。

5年ほど前の取材で、ブリの養殖では
エサに少しカボスエキスをまぜて与えると
この変色が40時間引き延ばせるという。

絶え間ない苦労で売り場でならぶのだな
と思うとともに、食育の大事さも感じた。



ポテトサラダ
ポテトサラダ



魚ばかりでなく、
さまざまなツマミのバリエーションが
居酒屋のいいところ。

たいていのお店の味のレベルはなぜか揃う。

魚が美味い店のポテトサラダはなぜかうまい。
逆もまた真なりである。

料理のセンスといえばそれまでのことであろうが
それが、お通しからしてすでに伝わってくるものである。

さらには、魚を扱うということが重要ではないか
とも思う。

寿司屋は、寿司だけでなく、
いろいろな料理を勉強するときく。

揚げ物、煮物、焼き物など料理法全般におよぶ。

寿司という料理が総合力が必要で、
かつ、さまざまな領域に広がる料理の技量が身に付く
ということがあるのかもしれない。

魚をおいしく仕上げることができるなら、
どんな料理でもいけて、
それは魚を扱うということ自体に、
繊細さが求められるからかもしれない。

考えてみれば
それは実は、肉でも同じことである。

ともかくも、一事に精通することは
実は他事にも広がり、
とりわけ、
目利きと季節を感じることができる料理は
万事に通じる人間力につながるのだと思う。


チーズの西京漬け

チーズ西京漬け



発酵したもの同士は実は相性がいい。

クリームチーズのコクと
西京味噌の豊潤で濃厚な香り。

こういうものまで、日本酒は受け止める。

而今に代えた。
而今は、三重県の酒造だ。
純米吟醸酒の中では気に入っているお酒である。

いろんなお米から醸造されるが、
今日は山田錦をセレクトした。

而今



この店では五百万石もおいてある。
お酒を造ることができるお米というのを
酒造好適米という。
山田錦はその中でもブランド品だ。
ほかに八反錦、五百万石、雄町、亀の尾など、数えきれない。

而今は、米のキラキラした
フルーティーな馥郁たる香りをまとう。

さて、今日はこの酒をお供に
ブリ鍋といこう。
鍋pre


店長さんが今日は氷見のブリだと説明してくれた。

値段を変え忘れたとのこと、ラッキーすぎる!

 

ブリ刺身

富山湾で採れるブリに特別な名前がつくのは、
富山漁師の伝統がそうさせるのであろう。
富山湾は、能登半島と対馬暖流のおかげで、
回遊魚が入り込みやすい上に、
沖まで出た大陸棚が急に海底まで落ち込む地形のため豊穣な漁場となっている。

晩秋から初冬にかけて鰯下ろしと呼ばれる風が吹くと、ブリ漁も最盛期を迎える。

つまりはその走りのブリをいただけるのだ。

ブリヌーボーだ(この日はボジョレーヌーボー解禁の日であった)

生でも食べられる新鮮なブリを
鍋の中でシャブシャブする。
鍋nao

そして、而今をいく。

最高だ。

鍋にはなんといっても日本酒が一番だ。

酒造の工程は、
精米(米をけずる)して
これに、甑(こしき)に入れて蒸す。
室(むろ)で作った麹と
水を加え酒母を作る。
酒母にさらに水を加えて醪(もろみ)を仕込む。
ここで、雑菌の繁殖を防ぐために乳酸菌を加える。

熟成のあと、火入れを行い
酵母を殺し、搾って透明にする。

殺さずにそのまま熟成させると
濁り酒となる。
極一滴


極一滴雫酒は、
やや荒目の酒袋に醪を詰めて
搾ってつくる。

酵母がまだ生きているため
もろみの旨さがそのまま広がる。

栃木の酒だ。

アテに鯛の刺身に明太子をほぐしたものを和えたものをいただく。

写真 (1)

鍋の合間にアクセントになり
酒が止まらない。

〆は、雑炊を頼んだ。

具はすでに完食。
炊いた米をぬめりをとるため洗って
再び沸騰した鍋に投入。

再沸騰までしばらく待ち、
素早く溶き卵を回し入れ
火を止めて蓋をし、しばし待つ。

食べごろだ。

雑炊タマゴイン


雑炊一人分

好みでぽん酢や塩を加え食す。
野菜の旨味にブリの出汁が効いて美味い。

まさに極上の日本酒と、肴。

本当に、素晴らしい宴となった。

四季折々に、ぜひともおすすめのお店である。

参考:魚の家

photo by #DoY

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しん楽

-vol.31 – □■ あまりに日本的な中華 ■□

2013年10月21日来訪

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学生時代に、中国から来た留学生と、
一緒にバイトする機会があった。

エビチリの作り方について、その留学生は力説していた。

「あなた方の認識は不足だ、エビチリはこうしてああして、、、、」

そうなんだ、やっぱり本場は違うんだなと思い、

「すると、味がやっぱり本場は違うんだね、どう違うの?」

と尋ねると、

「いや、私はエビチリを食べたことがありません」

当人も含めてみんなで大いに笑ったことを思い出す。

その留学生は、本場で作られる料理と
日本で中華料理と名付けられているもの差をいつも感じていて、
つい、力が入ってしまったのであろう。

力強さと洗練を中華料理は併せ持つ。

多岐にわたるその料理は、唐の時代に華が咲くように進化し、
清朝の袁牧によって「隨園食単」という書籍にまとめられた。

この書籍には、じつに300種を超える料理を紹介しているが、
素材の選び方、火加減などの調理法は、
いまでも中国料理の規範となっているという。

はば広いその料理の中でもとりわけ、
広東料理は、歴史が古く、不問鳥獣虫蛇、無不食之といわれる
食材の幅広さをもつが、味付けは、食材の本来の持ち味を生かす。

清(薄味なこと)、
鮮(新鮮なこと)、
爽(さっぱり)、
滑(口当たり)、
香(香り)
を信条とするという。

日本に比較的近い調理法であることから
たくさんの広東料理が来日しているが、
「〇〇酒家」という料理店は、広東料理を出す店とわかる。
広東語で料理店を酒家という、
ちなみに、北京語なら料理店は菜館である。

ものが伝播するときには、反発と好奇心のせめぎあいがある。
そして、暮らしと生命力を伴い、絆に昇華する。
実に、このように、変容していくのである。


先述の留学生は、その源流の激しさを伝えたかったのであろう。

中国から来日している多くの人の
生い立ちをきけば、戦後の混乱期のドラマがある。
混乱の中を生き抜く力が感じられる。

たとえば、陳建民が伝えたのは、麻婆豆腐という料理だけではない。


地元の身近な中華料理店と
高級中華料理店の間に新橋があるように感じる。

地元の料理店では日本人のお店も多いが、
新橋にある中華料理店は大抵が中国人のコックが作る。
給士をしてくれる方々もまた、中国の人が多い。

地元密着のメニュー
いわゆる、チャーハンだの餃子だの
手の加えられた麺類という
いわば 日本で派生した人気のあるメニューを
あえて中国の人が調理して提供する。

たとえば、玲玲の餃子は、
中国の人が食べても懐かしく感じるだろう味である。
日本の人は、その奥深さといくつでも食べられる
その味に感動すら覚えることであろう。

蘭苑の中華は、ほとんどのメニューは馴染み深いが、
味は一口食べてうまいと感じるほどである。

いや、ひょっとすると考える方向や順序が逆で、
中華料理店を地方に派遣した本拠地が、じつは新橋なのではなかろうか。

新橋という場所で、力強さの角がとれ、なじみやすい味となった。


ニュー新橋ビルの中国人と、日本人とのやりとりをみてふとそう感じた。



香炉峰の雪を簾をあげてみることよろしく、
中華料理というファッサードを通して、伝わるものは、
大陸の壮大な景色であり、ゴチャゴチャした香港のネオンであり、
その風景の中を生き抜く人間のロマンでもある。

とびきり上等な洗練さも、
医食同源という人体へのやさしさも
そして、混乱期の力強さも同時に迫ってくる料理なのである。

それゆえ、中華の料理人は
懐深く、人情味あふれる店主が多いのではないだろうか。

そういえば、地元では中華料理店がしばしば、
居酒屋や街の寄合と同じ機能を果たすことがある。


今日紹介するお店は、
新橋のランドマーク ニュー新橋ビルの地下一階で、
ちょうど、そんな役目を果たす店である。

まずは、ビール。
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中華料理屋では ビールが実にいい。

長く腰を落ち着けるなら、
やはり 紹興酒であろうが、
ここ、しん楽はビールが似合う気がする。

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アテはメンマだ。 これがまたいいではないか!

餃子に行こうと思ったが、ちょっとした変化球で

焼売を食べたくなった。

 

焼売(シュウマイ)というと、
商店街の肉屋さんを思い出してしまうが、

ここの焼売は、食べてみるとすごい。

大きさや形は普通であろうが
とにかく、旨すぎる。

2013102120130000

 

あまりに美味いので、
お代わりしようと思うと、
あげシュウマイというメニューが目に入り、
そして、塩でどうぞ。という端書も目に入ってしまった。

早速試す。

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これは、うまい。

点心の日本版の極みだ。
庶民的でもあるが、やはり中華である。

店の奥では、奥といってもすぐそこなのだが、
サラリーマンの団体の酔声がきこえる。
背広姿がこの店にはよく似合う。

不思議でなおかつ懐かしい。

昔よく食べたニラ玉をたべる。

これも、日本人によく親しんだ中華だ。

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メインに、私は。カタヤキソバ。

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そして、相方は、坦々麺。

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どちらも、美味く そして 深みがある。

あっさりとした中にも しっかりと旨味がある餡に、
パリパリの麺が絶品なカタヤキソバ。

そして、酸味が少しく感じられる奥行きの深いスープと、
挽肉のコクと醬の旨味がこれまた絶妙な坦々麺。

横綱級の美味しさに思わず唸った。

中華らしくもあり、
そして、日本らしくもありという不思議さの中に、
優しい懐かしさも感じられる 凄店だ。

また、ニュー新橋ビルで名店をみつけてしまった。

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参考:しん楽

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寿毛平

-vol.30 – □■ 蕎麦の舟 ■□

2013年10月 7 日 来訪

02

蕎麦づくりが男性の趣味として脚光を浴びている。
こだわることが好きな男性の甲斐性の受け皿なのだろう。

蕎麦粉に水を入れ(水回し)て生地をつくる。
その日の温度や湿度にあわせ微妙な調整が必要だ。

うどんは、生地の練り直しをしても
味にはさほど影響がないが、
蕎麦はそうはいかず一発勝負だという
なんともこだわる心をくすぐる

そして延ばす。均一に薄く延ばすのにも技術が必要なら、
切る。均一の幅で細く切るにも技術が必要で
これができるとなるほど恰好がよい。

茹でてから冷水でぬめりを取りのぞき、
出来立てをツルツルといく。

準備が入念で時間がかかる割には
食べている時間は短い。この辺りの潔さも男性らしい。

作る方もこだわりだが、
食べる方にも蕎麦には、こだわりがある

辛めの液(つゆ)でないといけないだの、
3分の1以上 つゆに浸してはいけないだの、
音を立てて食べろ だのという。

飲食店の出す蕎麦の食べ方について
こだわった人の代表としてまず名が挙がるのが
池波正太郎である。

酒を出さない蕎麦屋では食べず、
”抜き”といわれる特殊なメニューやら、
板わさ やらで日本酒を飲み、

最後に蕎麦で締めるというフォルマリズムだ。

抜き というのは天ぷらそばから蕎麦を抜いたもの。

穀類はなるべく後回しにするのは酒通の性根である。

蕎麦という料理は、江戸時代にほぼ今の形となる。
蕎麦切りといわれるものだ。

昔は蒸して食べたので、和菓子職人もよく作ったとか。

夜鷹蕎麦という屋台売りが街に繰り出して
一斉に庶民の胃袋に膾炙した。

有名すぎる落語の「時そば」も、夜鷹だ。


夜鷹と呼ばれるようになった理由は2説あり、
ひとつは、娼婦(=夜鷹)からきたもの。
もうひとつは、吉宗の時代に鷹匠のために出したからというもの。

夜鷹の蕎麦を謳った川柳は多いが
やがて新興勢力の風鈴蕎麦というのが出てくる。

風鈴蕎麦は屋台に風鈴をつけ
夜鷹よりも衛生的にし、
しっぽくを出すなど、メニューの拡充を図った。

これがだいぶ人気となり、
江戸後期には夜鷹も風鈴をつけて差がなくなったという。

ひょっとしたら、「時そば」は
風鈴VS夜鷹がつくった物語かもしれぬ。

そば屋台が売った季節は
鷹匠の手を温める名目通り、冬である。
しかも、夜遅くに商売をした。

江戸時代の民衆の動きをみて、
いつも感じるのは一体感である。
そしてエコだ。

火をいつまでもつけているのは
もったいないと江戸中で早く寝ようとしたという。

夜遅くに商売するニーズは、
燃料の値上がりのためである。
身体の燃料も不足している。

夜にお腹が空いたときに
おとした竈にふたたび 火をおこすのは一苦労であったため
手っ取りばやく夜鷹や風鈴に頼ったのである。

”蕎麦切の声を力にゆく雪隠”

という川柳があるが、
寒い時分の夜中の用足しに、
蕎麦切の声が頼もしく感じられるという
なんとも人情が感じられる歌であり、
かつ、当時の様子が伝わってくる。



蕎麦は健康食でいかにも日本らしい食べ物である


江戸時代の前半の集大成である料理書「料理物語」によると
蕎麦は後段のものとされる。

後段とはデザートという感覚だろうか。

蕎麦を蕎麦切と呼んだのは、
ほかの料理法があったからで そばがきが その候補だろう。

江戸っ子の初物好きは、身上(しんしょう)が傾くほどで
初鰹はすごい値段だったという。

新蕎麦にも、こだわるからには
フォルマリズムだけでは、ばつが悪く、
新蕎麦が長生きになるとされた。

なかでも和菓子で有名な長命寺で食べる新蕎麦に群がり

”新蕎麦にまた生き延びる長命寺”

という川柳まであったほどだ。



後段がそのまま
しっかりと蕎麦の文化が完成に向かうと
蕎麦をこだわって食べるような高級志向がでてくる。


先述の文豪のこだわりもいかにも自然の流れからの謂となる。


蕎麦前とは酒を指す。


つまみは、蕎麦を揚げたものも おつである。

いろんなメニューがツマミに転じる。
月見に使うタマゴで、玉子焼きをつくったり
しっぽくにつかうカマボコで 板わさができたりする。


”葉桜や 蕎麦屋でたのむ玉子焼き” (鈴木真砂女)


05

 

うまい肴のあと、蕎麦で〆るにはもってこいの店が今日の舞台である。

まずは、ビールにお通し

お通しは、がんもどきの煮物

こういうおふくろの味がサラリーマンの胃袋を鷲掴みにする。

 

寿毛平・・・

創業35年というから、この店が誕生したのは昭和51年。
北の湖と輪島がしのぎを削ったころだ。

今や世界で一番影響のある企業とまで
いわれる アップルコンピュータが創業した年

この年のヒット曲は、およげ!たい焼きくん


まだ紅白歌合戦の視聴率が70%を超えていたころだ。

池波正太郎の 必殺仕事人 がはじめて放送された年でもある。

みんなが一緒に食卓を囲み、TVを観ていた時代なのだ。



まずはお刺身をいただく
今日は料理長おすすめの刺し盛りを頼んだ。

蕎麦前よろしく 日本酒をいただく

14

 

鰆、秋刀魚、カンパチ、甘海老、

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鰆の刺身

活け締めというから食感よりも旨味を楽しむ。

鰆だから春が旬だと思うが


冬瓜が夏の季語であることを思い出して
待てよ、と思う。

秋刀魚に脂がのるのは実は真冬
でもそれでは脂がきつすぎるので、秋に食べる。

生態としての旬と食べ物としての旬があるのであろう

そんなこだわりが、
実は生態系について敏感になったりするのではないだろうか。



まぐろも旨い
中トロと赤身の中間といったところか

数センチ違うだけで
食感と脂の乗りが微妙に違い、さまざまな味わいがある



<栃尾揚げ>
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さきほどの伝だと
きつねに使う油揚げを、つまみに転化することができそうだが

栃尾揚げは、その進化版だろうか。
新潟長岡の名物 大きな油揚げを栃尾揚げという
中には相性の良い納豆がはさんであり、
カツオ節に醤油を垂らして食べると非常に美味だ。


<鮪カツ>
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蕎麦屋のカツ丼は、出汁がしみてうまいなんていう
これも進化版 鮪カツだ。

中がレアなのがうれしい。
味付けもおしゃれだ。


<豚しゃぶサラダ>
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とてもあっさりと美味しい。
栄喜の前菜だ。


そして、〆のお蕎麦
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ツルツルと旨い。
ちょうどよい細さ、喉越し
かみごたえ、どれをとっても〆にふさわしい。

さらには、

一つの舟をみんなでつつくととてもよい

こだわりがある品物だが

江戸の一体感と相まって
感慨深さまで感じる饗となった。


こだわりの糸がそばになって落ちる。

みんなの悩みも落ちてくる。

一人で勝手に食べるのは風流。
でもそれだけでは生きられない。



親戚じゅうが共に食べ
故人を亡くした悩みをやわらげる

家族で食べて
嫌でもみんなで食べて悩みを分かち合う。

共に食べる食卓を通して
こだわりを飲み込んで、明日への活力とするのである。

そんな力を蕎麦の舟に感じた。


こだわりを沈めて温(あつ)き蕎麦の舟 (拙)

 

 

参考:寿毛平

photo by  #D・O・Y

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丹波屋

-vol.29 – □■ エキゾチックな立ち食いソバ ■□

2013年4月10日来訪

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死後40年以上経つのにいまだにオペラファンの間で
人気のマリア・カラスは、
トスカというオペラを気に入ったらしく何度も演じている。

トスカは、
ヴィクトリアン・サルドゥの戯曲をもとに、
プッチーニがオペラに仕立てた。

イタリアの政治犯アンジェロッティを教会に隠まった
画家カヴァラドッシと歌手トスカとの悲恋を描いたものである。

サルドゥの逸話に、
パリッシーの霊が乗り移って銅版画を彫らせたというものがある。
それ以前はサルドゥは銅版画などやったことがないというのだから
不思議なことがあるものだ。

新宿中村屋にインド独立活動家ボースが婿入りしていた話は有名である
創業者の相馬氏は
政治的亡命者のインド人を頭山満や犬養毅の頼みでかくまったのである
このおかげで中村屋のカリーが誕生するのである。

内村鑑三とも親交があったというから、この経営者は只者ではない。
だからこそパリのサロンなるものを日本で実現できたのであろう。

関東大震災のときには奉仕パンという安価なパンを提供したという。

相馬夫人はロシア人盲人童話作家の
ヴァスィリ・エロシェンコ
のパトロンだったため、ボルシチも中村屋の商品となった。

社会的に店や企業がやるべきことを
よく把握している老舗だなと思う。

異人の力というと
新橋の男性サラリーマンは、
「女性の力」を思い浮かべる方もいるかもしれぬ。

ニュー新橋ビルの地下は
中国人女性の声がこだましている。
これも異人の力といえそうだ。

ウーマンリブの方からのお叱りを承知で書くと
女性のもつ華やかさがオフィスに活気を与えることも
女性にしかできないものだし、
容姿だけでなく、
ドキュメントをきちっとまとめる能力が
概して女性の方が高いことを認めざるを得ない経験がある。

会社を離れて、
居酒屋の女性が運んでくれた食事に
力をもらう貴兄もいるであろうし、
女将さんに背中を押されるサラリーマンだって多いと思う。
スナックのママに家族円満の秘訣を教わる男性もいる。

新橋は街の装置として いわば”妹(いも)の力”を宿しているのである。

さて、
新橋で、夕飯をささっと食べたいときに、
おすすめな店として
ニュー新橋ビルの豚大学や、天丼あきば、
西口商店街の 亀や
が挙がる。

豚大学については、
拙ブログに詳しく書いたが、
十勝風のうまい豚丼を出す店である。
同経営のスパゲティキングが大盛りであることから
質より量を求める若き胃袋を満たす店という印象があるが
この豚丼は味も上々であるので試してみる価値が十分あると思う。

天丼 あきば
は、揚げたての天ぷらを安価で食べられる店である。
チェーン大手の”てんや”よりもCPが高いという印象だ。
牛丼チェーンをみればわかるとおり、
チェーン系列店の競争は激化している。

競争の激化による食文化の品位の低下を懸念がある。
しかし、天丼のチェーンについていうと、
昔の製法にこだわりすぎて、
観光料金をまきあげているような老害店があるのに比べ
良心的だと思う。

亀や もほかの立ち食いソバとは一線を画した味である。

このように、
ニュー新橋ビルの近辺には安くてうまいものがいっぱいあるのである。

そこに今日は1店舗加えたいと思う。

丹波屋だ。

一見ふつうの立ち食いの路面店。
である。

しかし、入ってみて
カレーを頼むと、ただならぬ店だと知ることになる。

ここのカレーは、とても立ち食い店が出すレベルではない。
スパイシーでしっかりと辛く、コクもある。

そのためか、カレーそばや
カレーうどん というのはメニューにない。

蕎麦屋のカレーでなく、
あくまでも、まっとうなカレーなのだ。
なおかつ、本格的である。
ナンがあったら欲しくなるような味なのである。

店には椅子はなく、せまい。
おばさんと、エキゾチックな女性のふたりで切り盛りしている。

このカレー、この女性の手作りなのだろう。
と思い、中村屋のカレーパンを想起したのだった。

おばさんは世話好きそうな人で
しきりに沢庵をすすめてくれる。

それとは対照的に
孤独なグルメのように、
ここにくるサラリーマンはみな寡黙だ。

どこからかきて、黙々と食べ、帰っていく。

おばさんは、そのなかで
しきりに声をかけ、水をとりかえたりしている。

レオナルド・ダ・ビンチという天才。
この天才は、孤独が好きだったという。

ニーチェが
民衆の一様化を嫌い、
超人のモデルとして彼を扱ったが
実は、寡作で、仕事はどれもが中途半端だったという。

絶えず難問を一人で抱え、悩んでいる。
作品を作っては壊したり、途中で放り出してばかりいた。

バタイユのダ・ビンチへの評価は、
挫折の人、、、

自然世界を人間世界によって作り変えようという企てが
ダ・ビンチにあり、
そんな多様的な諸問題を、
彼はたった一人で解決しようとしたのである。

たしかに
文化は共同体で生まれるという
バタイユのお題目からは縁遠い人である。

我々の生活は、交流なくば
味気ないし、栄えることも決してない。
どの民族にも共通していえることである。
血族でない部族も最低 食卓を同じくする集団なのである。

同じ釜の飯を食べるというが
そういう精神的結びつきは根強い。

もっと書くと
”供養”とは、
死者と一緒に飯を食べることである。

お盆や正月の行事で先祖の分まで食卓を用意する習わしも多い。
聖書でもキリストとともにパンを分けて食べる。

接待は、食卓や酒宴を共にすることで、
結びつきをより強固にするために行う。

そうした文化をともにすればこそ、
栄養摂取から食事に変わるのかもしれぬ。

今日食べたのは、

ミニカレーとざるそば。

写真(1)

たくあんが、妙に懐かしく、
すべて食べてしまうと
先述のように、おばさんが補充してくれた。

通いなれたサラリーマン風の男性が
ワカメは抜いてくれといって注文していた。

目の前には、トッピングとなる
天ぷらなどが並ぶ。

写真 2

ソバとカレーを堪能すると、
蕎麦湯のみますか、ときかれた。

写真 3

つゆがだいぶ残っていたのをみて
すこし捨てますか、とおばさん

蕎麦湯を飲み干すころに、
お水をまたとりかえてくれた。

写真 5

いたれりつくせり。

おばさんに言われるでもなく
エキゾチックな女性が動く。

孤独感がいやされた。

ますます国際色が強くなっていくだろう日本、
外国人といっしょに働く姿は、
これからより見かけることになるだろう。

東京オリンピックへの準備で
国際的交流という意味で
新橋はアドバンテージがあるのかもしれぬ。

異文化交流もさかんな街、
新橋の底力をヒシヒシと感じた。

参考:丹波屋

 

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タオ

-vol.28- □■ 唐揚げのタオイズム ■□

2013年9月4日来訪

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店員さんに勧められるまま、
枝豆を頼んだ。

運動会などで、隣のシートからのお裾分けを思い出したが

ずいぶんと美味い枝豆だ。
メニューにはないそうである。

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小学生のころ、運動会は楽しかった。

お弁当というイベントがあるからだ。

お弁当のおかずの定番は
タコの形をしたウインナーとか玉子焼きなど多様であるが
なんといっても唐揚げである。

唐揚げというと
鶏のから揚げがまっさきに浮かぶ。

唐揚げというのだから
調理法も唐からかと思いきや、

そうでもないから難しい。

もっとも、
ニワトリという食材の方は飛鳥時代に中国から渡ってきたらしい。

万葉集でも、庭つ鳥と呼ばれている。


万葉集の三巻に

伊勢の海の 沖つ白波 花にもが 包みて妹が 家づとにせむ

と詠んだのは安貴王である。

伊勢の国に天皇にお供した彼は
白波を絶つのをみて花だったらよいとし
家族への土産としたいと妻思いの気障なセリフを吐くかと思えば

実は、美人の誉れ高い 因幡八上釆女を娶り
不敬の罪で本郷に退去をいいつけられる。
本郷とは大津京の近くだとされる。
八上釆女は、実家の因幡に帰されてしまうのである。

そして
万葉集四巻で

しきたへの手枕まかず間あひだ置きて年そ経にける逢はなく思へば

と長く会えない哀しみを謳うのであった。

今のモラルでいくと不倫ということだが
この罪は、藤原麻呂の妻に手を出した罪にあたるらしい。


因幡の八上。
出雲の国のとなりである。

高貴な人は気品が高いと思いきや

神様でさえもモラルがないのは
いつの時代も、そして洋の東西にかかわらず同じなのであろうか。

出雲神社と
宇佐八幡、伊勢の和田宮を結ぶと
綺麗な二等辺三角形が描けるらしい

それから竹島を頂点にしても同じく綺麗に描けるとのことである。

 

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理念は綺麗な三角形を描けても
人間の情念はそんなに綺麗に描けないのであろう。


綺麗に行かない情念が恋を生むの同様、
料理というものは、
調理法であれ、材料であれ、
いろんな文化が混じりあうことでよいものが生まれることもある。


調理法は諸事情でいろいろと変化をもたらす。
道具の普及であったり、料理人の工夫の結果であったりする。

格式がそのまま伝承されることなく、
食糧事情や、地理的状況、
そして大衆のカオスにいったん飲み込まれてから再形成されるのである。

系譜が追いにくくなる。

なにしろ、唐揚げという技法は、
日本発祥という説もあるくらいなのだ。


ディテールはともかく、大局を大づかみにしよう。

荒俣氏の文明移動説では、
文明は伝播するとし、
中でも食の伝播する原動力として、
食材がなじみ深いこと、
あるいは、
調理法がなじみ深いこと
のいずれかが挙げられる。

たとえば、ポテトは
南米が原産地である。

フランス語では
大地のリンゴ(pomme de terre)という意味だ。

じゃがいもをダイレクトに指す言葉はない
ことからして、外来であることを示す。

外来には大衆は精神的アレルギー反応を起こす。

いまはメジャーなポテトも伝播直後は、
毒があるとかいう噂もあったくらいだから
食材にはなじみがなかった。

ところが、油で揚げるという調理法があったので
ポテトフライとして伝播したという。

イタリアではトマトは欠かせない食材に思えるが
この野菜(果物?)がヨーロッパに受容されるのは
せいぜい18世紀からである。
つまり、200年しかたっていないのである。

もっともイタリアでも中南部が
トマトを多用する料理ということなので
欠かせない食材という評価自体が微妙なのかもしれぬ。

ともかくも煮込むという調理法に
この食材が適していたからこそ伝播した。

伝播すれば、食材に対して抵抗がなくなり
受容されるのである。

受容されるやいなや、ずーっとそこにあったかのように
認識されてしまうのである。


ケイジャンチキンで有名な
ケイジャンは
土着のインディアンとヨーロッパがまじりあって独特の文化圏をつくった。

ジャンバラヤという料理でも有名だ。

ニューオリンズのクレオール文化が
フランス料理の影響をうけ、さらに洗練された。

アメリカ土着のチリペッパーと
フランスのブイヤベースの料理法が融合したのだ。

クレオールで
ケイジャン料理のノウハウが広まるのには
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が一役買っている

ニューオリンズで記者として活躍した時代があり、
ケイジャン土着の食材 ザリガニを使った
ビスクスープや、
ガンボといわれるスープなどの製法を
クレオールの料理本という本にしたためていたのである。


小泉八雲はそのあと島根県の松江市に来る。


油で揚げるという調理法のおかげかどうかわからぬが、
鶏肉を揚げた唐揚げは伝播しやすかったのではないか。

中国では鶏に衣はつけず、
素揚げする。

素揚げといっても油をかけるのである。

中まで火が通るまで何回も熱い油をかけるのである。

こうすることで
外はパリッとし中はジューシーになる。

油に放り込むと
中の水分が外にでてしまいパサパサしてしまうので
衣で流出を防ぐ。

なおかつ、鶏肉に下味をしっかりつけることで
よりジューシーになる。


日本で唐揚げの聖地といえば
実は大分県北部の宇佐市や中津市だという。

もっとも大分というと鶏の天ぷらの方が
関東の人にとっては有名かもしれぬ。

大分県の
宇佐八幡は、八幡宮の総本宮である。

2礼4拍手1礼
が礼拝の仕方。

出雲神社とならぶ格式の神社である。

宇佐はウサギにつながり、
因幡の白兎で出雲につながる

出雲大社も2礼4拍手1礼。

なんともつながりが深そうである。

大分といえば、フグや、関サバ、関アジなど
食の宝庫だ。

大和の神のまほろばからの食というと
なんとも霊験あらたかに感じられる。




タオという店は、
目抜き通りからは一本奥まったところにある。

入ってみると
意外にも広い奥行にびっくりする。

この店はランチで有名で
ランチで出す定食には唐揚が必ずつくという。

自慢のメニューなのであろう。



タオ・・・・道を表す言葉だ。

はじめてきいた道教の考え方に驚いた記憶を思い起こす。

無為自然を説いたその発想に目を開かされた。

道は人々が踏み鳴らして自然とできるという
その発想にである。


料理も同じではないか。

料理ができる原動力は
まずは生きるためには食べなければいけないこと。

そして、楽しまなければならないこと。

よりおいしいものを食べたいと思う心が
無為自然に発生して工夫が始まる。

そういった食のタオイズム(道教)を私はこよなく愛する。

ラフカディオハーン
はクレオールの料理書の中で

「料理を単なる生命を維持する手段と考えてはならない
料理は楽しみと幸福とを増大させる技術なのだ」

と書いている。


ポテトは16世紀に
ヨーロッパに伝わったものの
毒性があるとか催淫作用があるといわれていた。
禁断の食材だったのだ。
(そういえば リンゴ(pomme)は禁断の実として描かれることもある)


でも、戦乱がもたらした食糧難により
背に腹は替えられず栽培したのである。

まずは生きるためであった。

そして栽培に成功し生きる力を得ると
どうせ食べるなら美味しい方がよいとなる。




鶏という食材はいまや世界中に伝播している。
地鶏は日本が独特な生育法で育てたものだ。

タオで使われているのは大山鳥、
鳥取県の名産である。


そして、唐揚げという料理法は
日本中で好まれているのである。


酒通が苦虫のような顔をして口に運ぶツマミより

誰もが好むようなおつまみがこの店の看板だ。

ジャンボメンチカツ
スペアリブの柔か煮
牛ハラミステーキフライドポテト添え
オムレツ
ピザ

居酒屋というより
ホームパーティのようなメニューともいえるかもしれぬ

なぜか 運動会を思い出してしまったのも
子供の頃好んで食べたメニューのオンパレードだったからかもしれない。

お弁当のメニューでも定番の
玉子焼きを頼むことにした。

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酒のつまみなので
中にチーズと明太子が入っているものをチョイス
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うまい!

唐揚げはハーフと大盛りがある。
大盛りの方が お得なのだが
一個が大ぶりなので2人なら
1人3個食べられるハーフで十分だと思われる。

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実はここで計算違いをして
大盛りを頼んでしまった。


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店の雰囲気が
サラリーマンを
応援してくれてるなぁと感じる

店員さんと話をしても
気さくだ。

また、別なメニューもぜひぜひ試してみたい

とにかく楽しい居酒屋である。

なぜか 両親に感謝したくなった。

参考:タオ

 

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豚大学

-vol.27- □■ ニュー新橋ビルの大学 ■□

2013年3月10日来訪

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豚丼というと、
狂牛病の受難に苦しむ大手牛丼チェーンが
苦肉の策で出したものを想起してしまう。

つまりは、牛丼の代用品という不名誉な地位を与えられている
というわけだ。

しかし、十勝名物を作ろうと豚丼を編み出した店があった。
代用品とは全然赴きの異なる豚丼がある。
どうして北海道からの発信かはわからないが、
かなり以前に御徒町の”豚っく”という店で食べた覚えがある。

豚っくの1200円という値段設定に撹乱され、美味くて当たり前という
色眼鏡をかけられてしまったのか 印象が残っていなかった。

今日紹介する豚大学が、その眼鏡を外させ、
くっきりと豚丼の持つ魅力を光り輝くように見せてくれた。

殿方が、夜の社交場へ繰り出すのに、
あえて居酒屋でじっくり腰を据えるのでなく、
ささっと腹拵えを済ませておきたいという時がある。

理由は、懐具合と時間の制約だ。
1次会を居酒屋に設定してしまうと、
長く尻が温まってしまう。

居酒屋に落とす金を盛り場に回したい計算をしてしまったりする。
また、仕事が長引いて、社交場に駆け付けるときなど、
空きっ腹だと具合が悪いので手っ取り早く食事をしたい時がある。

そんなときに便利な店がいくつか新橋にはある。
亀やの蕎麦が、他の立ち食いの店より
うまいことは 折りに触れ紹介している。
まさに上のような状況のときにはうってつけであるが、
ソバは腹持ちが悪いので、あえてご飯をというときにピッタリな店が、
3店ほどニュー新橋ビルにはある。

カツ丼の”かつや”、
天丼の”秋葉”
そして、豚丼の”豚大学”である。
かつやは、チェーン展開している有名な店だし、
天丼のあきば は、揚げたての天ぷらが、
390円という安価で食べられるコスパ良店である。
味も上々である。

ガッツリ肉派という人に是非ともオススメなのが、

豚大学である。

消極な代用品でない
十勝名産の豚丼。
帯広系というらしい。

積極的な豚丼を出すこの店は、
大盛りにする必要はない。

あなたがフードファイターでない限り、
「中」で十分だと思う。

同経営の店にロメスパ “スパゲティキング”があるが、
キングサイズは1kgの麺が出てくる。

同様に、豚大学の特大は、
うぉっと唸るほどの絵面(えづら)である。
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甘辛いタレを纏った豚肉が、
こんがりと焼かれ、さらにタレを
タップリと浸されて熱々のご飯に載せて供される。
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野菜は、申し訳程度にちょこんとある菜の花だけだ。
それ以外はトコトン肉である。

味が濃いのが、苦手な人は
茶漬けセットをためしてもらいたい。

半分ほど豚丼を味わったあとに
だし汁をかけてサラサラと食す。
櫃まぶしの要領である。

オーソドックスに、豚丼だけ
ハフハフとかっこんで食べると、
クオリティの高さに唸り声をだしてしまうほどだ。


その際には、半熟卵のトッピングは、
避けるのがよいかもしれない。

タレはニンニクの効いたパンチがある
独特の味わいで、肉質の素晴らしさとあいまって、
珠玉の一品となっているのである。

 

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豚の生産量が一番多いのは、鹿児島で、2位は宮崎、
そのあとには関東近郊の県が続き、北海道は、6位だ。

千葉県が5位にくいこんでいるのは意外だ。
意外ついでに、統計を見ると、牛肉と豚肉の消費量に特徴がある。
牛肉の消費量は、和歌山を筆頭に関西に集中していて、
逆に豚肉の消費量は、秋田を筆頭として東北に集中しているのだ。

生産されているほとんどが三元豚といわれているものだ。
三元豚とは、
大ヨークシャー、ランドレース、
デュロックという三品種を掛け合わせているものを指す。

やわらかい肉質が特色の大ヨークシャー、イギリスが原産だ。
これと大型で、繁殖力が強いデンマーク原産のランドレースを掛け合わせる。
さらに、霜降りの肉質が良いデュロックを掛け合わせるのである。

ちなみに、黒豚は一元で、ハンプシャー原産の豚を飼育生産したものである。
肉に深い味わいがあるのが特徴であり、鹿児島で多く生産されているが、
本来の鹿児島(薩摩)の黒豚ではないらしい。
アグーといわれるブランド豚が、有名だが、
沖縄名産のこの島豚が、薩摩にもたらされて生産されたのが起こりという。

黒豚は、外来種にとって換わられているのである。
ドングリだけを食べさせたスペインのイベリコ豚など美食を極めるのなら別だが、
今日の一品はそんな高級な豚より一般的な豚の方が美味しく仕上がるだろう。

豚はビタミンB1が豊富で疲れをとる効果が高い健康食。
サラリーマンの強い味方なのだ。

豪快にモグモグと、丼を平らげ、
颯爽と男らしく社交場に繰り出していただきたい。

その目的地の一つに
スマイルを加えていただけたら幸いである。

参考:豚大学

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