新橋 麺ロード
-vol.26- □■ 失われた麺を求めて ■□
ガラガラっとやや重い木製の戸をあけると、もぁっとしたスープの香りに包まれた。
上品な香りではないが、獣臭はしない。
入る前から決めていた言葉を迷わず声に出す
「特製スープラーメン!」
返事はない。店のオヤジさんは、ドンブリにスープを張っている。
スープを入れるということは、麺が茹で上がる直前だ。
これよりすこし前でもスープが冷める。少しあとだと麺が伸びる。
オヤジさんの主張は、麺をしゃっしゃと切る音で伝わってきた。
やがて、ラーメンおまちっ と しゃがれた声が聞こえた。
チラッとこっちをみるでもなく、
「特製スープね」と唸って低くつぶやきながらドンブリを手にしていた。
天井も低く、だいぶ古びた佇まいの店内にはカウンターしかなく、
7人も座れないだろう。
この店、伊豆長岡(今は伊豆市)の「よしとみ」には、
餃子もなければ、チャーハンもない。
ラーメンのトッピングらしきメニューすらもない。
なにしろメニューは、ラーメンとチャーシュー麺、
そして、私が頼んだ特製スープラーメンの3つしかないのである。
この3つ目のメニューにしてからが、前に訪れたときに、
「特製スープラーメンはじめました」
という貼り紙を目にしたくらいだ。
その貼り紙の右横には、おおきな柱時計。
「亀や旅館」という金文字が剥げかけている。
ふとオヤジさんをみると、その時計を凝視していた。
私の前にはいつのまにかコップに水がでていた。
客は5人ほどいただろう。
みんな黙って食べている。
ときおり、ずずっという音が、こだまのように聞こえる。
「おまち!」
どんぶりがドンと置かれた。 色は醤油ベース。
前回たべた、特製スープでない ただのラーメンよりも淡い色だ。
チャーシューを麺の向こう側によけて、レンゲでスープをすする。
おぉ 、、、うまい。
複雑なのだが、そのおいしさの伝わり方は直線的だ。
胃に、そして脳天にダイレクトにうねった。
ちぢれの細麺であることに気づいたのは、
どんぶりを両手にもってスープを飲み干す頃だった。
お勘定と千円札をだす。まだ伊藤博文だった頃だ。
いまはもうこの店もない。
この「よしとみ」は、長岡の色街が威勢が良いときには、
仕事終わりの芸者衆にふるまっていたという。
当時小学生だった私にも、色街ときいて、陰影が伝わってきたのだから、
それなりのクオリアはあったようだ。
おつりをもらって店をでるとき、ありがとうという声が聞こえた気がした。
オヤジさんの息子さんが、同名の中華料理屋があると親からきいた。
いまでもあるかどうかは不明だ。
息子さんが独立して店を開いても
オヤジさんはモクモクとラーメンを作り続けていたのだ。
オヤジさんの魂というものを感じられるようになったのは、
もっと成長してからであったが、
ともかくも、私のラーメンの原風景は、このオヤジさんの作るラーメンであった。
その後、ラーメンブームといわれる時代があった。
もう25年以上も前の頃だ。
バブルといわれたその時代、環七沿いはラーメン通りという異名をもっており、
私は、味の記憶を頼りに、原風景を探してさまよった。
そして、いまもその旅は続いている。
まだ出会えていないのは、
けっしてラーメン店のせいではなく、私の感受性のせいかもしれない。
小学生の感性を過大評価しているのかもしれぬ。
ラーメンについて語るのは難しい。
もちろん、好みがそれぞれということもあるが、
その好みが、人生を背負っているからだと思う。
最初に食べたラーメンが、東京風の醤油ラーメンの人と、
九州とんこつの人とでは、
ラーメン人生の形成の土台が違うのである。
それが、こだわりにもつながってくる。
ラーメンの原風景が違うとこだわりも違うのだ。
ときに、そのこだわりが 強めにでて保守的になることもある。
私は長い間、つけ麺を食わず嫌いしていた。
それを払拭してくれたのは、新宿 西口の「新高揚」である。
ここの排骨(パ-コ-)つけ麺は、
アッサリとしているザル ラーメンと
豚の背肉の唐揚げの香ばしさとの絶妙な取り合わせが、あとを引く。
食べた直後はインパクトが薄かったが、
数日たって、また行きたくなってしまった。
新橋でラーメンの紹介をしたいのだが、これまた難しい。
ざっかけないところでいくと、岡山ラーメンの後楽本舗あたりが、
餃子にビールでやっている間にラーメンを待つという雰囲気にふさわしい。
駅近くよって、新橋西口通り商店街は、
ちょっとした麺ロードとなっている。
のっけから「油」がある。
汁なしラーメンの中ではここが一番気に入っている。
続いて、味噌ラーメンの「北斗」、昭和の味噌ラーメンという看板があるが、
メニューにはのっていないので、
いちいち ”表に出ているやつ、、、”といわないといけないが、
私としては、昭和でない方が好みだ。
うどん屋さんが続き、「博多天神 新橋2号店」その向かいには、
「三田製麺」と大店がならぶ。
同じ冠でも、支店によって多少違いがある。
博多天神は、新宿御苑か渋谷の方がまろやかでコクがある気がする。
御苑前の店が、一番だ。
三田製麺についても、歌舞伎町が一番美味しく思う。
歌舞伎町の方が店が小さいので、
麺をその都度 茹でているのが徹底しているためだと思われる。
一度にたくさん茹でたり、タイミングの狂いなどで、微妙に味が違うのである。
支店どころか、時間帯によって味の違う店もある。
下高井戸の「木八」は昼と夜とで作り手が変わるが、断然 夜がおすすめだ。
かつては、顔も覚えられ、店主から話しかけられたりすると、プライスレスだ。
とんこつ醤油ではこの木八がお気に入りだった。
醤油はというと、結構難しい選択だが、国領の「熊王」なんかが上がる。
塩ラーメンは、浜松町(大門)にある「東京らーめんタワー」の塩が美味い。
ここの一押しは、醤油味なのだが、たまり醤油が決め手になっている。
それはそれでよいのだが、風味がきついので、
鴨南蛮のような風味に最後はなってしまう。
塩はどうだろうと試したところ、これが自分にとっての絶品の塩となった。
塩ラーメンはバランスが難しい。
ある程度塩がきつくないとラーメンとして仕上がらないが、
そのままではダシを殺してしまうので、水飴などの甘みを加える。
加え方のバランスによっては味がぼやける。
滅多に塩は食べないようにしているのだが、この店のは別格だ。
新橋西口通りに戻ると、
博多天神の隣は、亀やという蕎麦屋がある。ここの蕎麦は大変美味しく、
ほかの立ち食い蕎麦屋に入らなくなってしまった。
かめや については、以前にも書いている ⇒そば処 かめや
この先を歩くと、大勝軒に至る。
大勝軒の中では新橋が一番気に入っている。
大勝軒の前には 堀内という ざるラーメンがある。
ここは確かにさっぱりとしているので
呑んだあとでもいいかもしれぬが
ここの特徴はなんといっても、
チャーシューである。
ごろごろとした豪快なチャーシューと
さっぱりのざるラーメンのとりあわせがいいのかもしれぬ。
飲んだあとに引っ掛けて行くのにぴったりのラーメンを、見つけられてはいない。
なるほど、新橋には、いわゆるラーメンの巨頭といえる有名店も何点か存在する。
二郎や、大勝軒もあるし、SL広場の近くに一蘭もある。
しかし、
二郎や大勝軒は、お酒のあとにしては量が過多だ。
二郎といえば、江古田の「ぽっぽや」や神保町の「用心棒」などのインスパイア店も
多く人気があるが、
私の中の一押しは、なんといっても中野の「kaeru」である。
中野の伝説の名店「青葉」と並んで遜色ない人気なのは驚きだ。
「kaeru」ではあえて、
トッピングをひかえめに、野菜盛りのみしてじっくり味わいたい二郎系だ。
新橋に話を戻すと、「泪橋」は、ニンニクも入ったパンチの強いつけ麺を出す。
ジロリアンにも気に入ってもらえそうな つけ麺版の二郎という感じだ。
マンモスラーメンというメニューは二郎そのものだ。
健康ブームの影響か、仕上げのラーメンについてはニーズが落ちているのかもしれぬ。
新橋はともかく つけ麺だらけだ。
「月と鼈」という店
煮干しのきいたドロドロのスープが決めてのつけ麺だ。
人気店らしく行列ができていた。
店内に入ると、奥に詰めて下さいとテキパキといわれた。
コシのあるストレートな太麺。
スープはやや甘めだが、美味しいもんをたべさせようとする工夫の表れだと感じた。
割りスープを頼もうとドンブリを渡そうとしたところ、
カウンターにおいてくださいといわれた。
奥へいったんもっていってスープを継ぎ足すときに、
パラリとなにか入れたのが目に入った。
飲んでみたが、まだまだ濃厚な味だ。
と思うとゆずの香りがした。
今度は”一番ダシ”というメニューを頼んでみよう。
日比谷通りまで足を運ぶと
大関という店がある。
相撲のタイトルにちなんで量が選べる。
横綱は大食い選手権ではないので、パス。
普通盛りを含め
小結~大関までは、同じ価格690円
小結で450グラムあるので、
これで十分だ。
味は複雑で後を引く味わい
最初は、トッピングなしで
純粋に味わい、
魚粉をいれたり、
メンマを足したりしてバリエーションを楽しみながら、食べ進める。
後半は、ゆずを落としながらさっぱりと。
つけ麺を出す店には、調味料なり、割りスープなり、
自分なりに微調整がきく食べ方ができる。
これが、良いという人もいるかもしれないが、
調整など不要なものとして食べることを捨てきれない。
「よしとみ」 には、コショウすら置いてなかった。
おれの作品にちょっとでも手を触れてみろといわんばかりな雰囲気を原風景として
もってしまっているからかもしれない。
ラーメンはバランスが大事な料理だ。
麺、スープ、具、温度、ゆで加減など
ひとつでも狂うとそのバランスは崩れてしまう。
それは、自分で決めてもよいのかもしれないが、
店側におまかせにしてしまうクセがどうしてもとれない。
チェーン化も不可能なほど、
こだわったラーメンというものに対して、
理屈が増えるとどうしても上品すぎてしまう仕上がりになってしまう
また行きたいという中毒性が薄くなる。
バランスが大事なのだ
そんななかで本格的でいながらバランスのよいラーメンなら
「纏」がよいだろう。
入り組んだ場所にあるロケーションも
まだ出来て1年足らずなのに 郷愁すら覚える。
アゴやカツオブシなどの魚介だしと
豚骨や鶏の肉系のだしを合わせたスープをダブルスープというらしい。
発祥は中野の青葉である。
味の組み立ては、泪橋も同じだ。
纏は
魚介を烏賊で、肉系を鶏白湯でつくった
ダブルスープである。
烏賊が出色だが、
とても上品な仕上がっているのは見事としかいいようがない。
まだまだ新橋には隠れた名店が掘り起こせるであろう。
新橋に 飲んだあとのラーメンを求めて
今日もさすらうのである。
参考:纏(まとい)
参考:泪橋
参考:月と鼈
しばてん ーーマサーヤンに捧ぐーー
-vol.25- □■さんまのソラリゼーション■□
ーー2012年11月 8 日来訪ーー
マサーヤンという一人の旅人をご存知だろうか。
ブログの世界では、有名な人なので、
ひょっとしたら御存知の方も多いかもしれない。
マサーヤンは農ライフを提唱し、千葉県鴨川で農業を営む傍ら、
Webデザイナーとして活躍するミュージシャンである。
何を隠そう、このクオリアリズムのサイトのデザインは
マサーヤンが作ってくれたのである。
ブログでご存知の方は、リヤカーを引きながら日本一周を果たそう
としている彼のライフワークというべき活動を真っ先に浮かべるだろう。
現在は、リヤカーを引きながら北海道を旅する人物である。
なぜリヤカーを引くのか。
私のような行動力が貧弱なものが抱く
浅薄でちっぽけな疑問がある。
日本一周は果たしたときには、ゆっくりと訊いてみようと思うのであるが、
いまの時点で類推すれば
その答えを探すために、リヤカーを引いて歩いているのだと思う。
そもそも、
なぜは不要なのかもしれない。
そうしたいと思ったから ”ただ” やっていると思う。
そうした潔さが彼には感じられる。
いつでも世間体を気にして、転ばぬ先の杖をつき、
雨水をしのげる場所をとりあえずは確保しているような
私なぞには持ち合わせのない(潔さ)ことである。
私のように、
本だけ読んで、あるいは地図や写真を眺めて、
その場所へほぼ行った気になってしまうようなちっぽけな認識では
測り知れないことなのだ。
架空の恐怖を自分でかぶせて、
行動しないことを選ぶよりも
マサーヤンは ともかくも、自分の力を信じて
自分の足で歩き、触れ、歌い、書くのである。
とにかく感じること。
考えず歩くこと。
架空の恐怖は邪念とともに
取り払われて、手ごたえを感じてくるだろう。
足取りの重さを味わってこそ行くべき道がみえる。
正しいとか正しくないとか、
そんな不器用な認識の仕方でなにがわかるんだろう、
なんていう効用主義など捨てるべきだ。
ただ歩くそして感じる。これ以上の情報が必要だろうか?
平和が正しいかどうかなんて、どうでもよい。
でも、戦争が悪なのはわかっているんだろう?
だったら みんなで歌おうよ。
そんな単純でしっかりとした手ごたえを
誰しも感じることができるだろう。
マサーヤンがいるかぎり。
新橋の しばてん という店を
取材するときにマサーヤンも同席してくださっていた。
そのときの記事をここに掲載しようと思う。
===================
「夜と霧」のV.Eフランクルは、
「意味への意志」を説いた。
極限まで、追い詰められた人間の意志なのであろう。
意味とは、体系の中のその事物の存在理由である。
フランクルがいうとき、アウシュビッツで
唱え続けた自分の存在し続ける理由を追い求めたものである。
飲み屋はそんなに切迫しないのが
粋である。
居酒屋に入ることこそがセラピーだ。
ロラン・バルトは、
意味作用に二つあるという。
客観的な意味と潜在的な意味である。
前者をデノテーション、後者をコノテーションという。
新橋の意味がデノテーションでは、地名をあらわすのに対し
コノテーションでは、サラリーマンの聖地、おやじの街ということである。
今夜は、しばてん の暖簾をくぐった。
ビールをもらう。
つまみを眺める。
ここまでは、淀みなく流れる。
サンマとカンパチを頼むことにした。
カンパチは、活け締めだ
活け締めは、旨みを引き出す保存法
食感をやや犠牲にすると聞くがなかなかどうして、うまい。
サンマはそろそろ時期が終わりと覚えて頼んだ。
脂は益々冬にかけてのる。
しかしながら、乗り過ぎるので、
秋が旬とのこと
これもうまい。
シラス大根おろし が、お通しだ。
そのまま食べてもよし、
串焼きに絡めてもよし。
バルトは、文学、歴史から
(当時の)サブカルチャーまで、さまざまな切り口で意味作用を論じた。
人は、意味を受け取るとき、表層だけ受け取るのではなく、
コノテーションも常に受け取っている。
それは、どんな意味があるのか
自分にとってどんな価値があるのか
を、いつも品定めしながら事物を受け取っている。
これが煩わしいときもあるのではないだろうか。
意味を求める病といってもよい。
佐藤春夫の有名な詩に”秋刀魚の歌”がある
報われない人妻(谷崎潤一郎の妻)への愛を現前として、
食べる秋刀魚。
”さんま 苦いかしょっぱいか・・・”
が有名なフレーズだが、その先
” そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。”
デノテーションとしては、
どこの郷里の習慣だ?ということだが、
コノテーションとしては
どこにもそんな郷里はない。
→俺の身にしか起こらんだろう。
ということであろう。
「目黒のさんま」という落語がある。
目黒はとりたてて、秋刀魚がおいしいところではない。
産地ですらない。
「さんまは目黒に限る」といった言説が
現実と違うからこそオチになる。
しかしながら、目黒で”さんま祭り”が平然と開催される。
これはいかなる意味だろうか?
串焼きを頼む
椎茸、うずら、かわ
という定番に
アスパラ巻きの変化球、
地鶏のレバーがクリーンナップだ。
ほどよい焼き加減が、
とてもよい。
居酒屋は肉、魚、野菜、珍味が並ぶのが楽しい。
「明るい部屋」は、バルトの書いた写真論である。
写真については、バルトは特に思い入れがあるようだ。
一説には彼の母の死と関係があるらしい。
写真として伝えることは、絵として伝えるのと違う意味がある。
かつて確かにあったものという存在証明、
もう現前しないという重いコノテーション。
この場合の2重化も、かなりやっかいである。
写真を見るたびに、悲しみを受け取ってしまうではないか。
秋刀魚を見るたびに悲しくなるのも
つまらないではないか。
酒は楽しく飲むもの。
その日の気分次第がいい。
事物にまとわりつく様々な汚れを
いったんは取り去ることも重要だ。
そこから新たなコノテーションも生まれてこよう。
この生まれてくる地平こそが、
バルトがいう零度のエクリチュールなのではあるまいか。
してみると、
目黒のさんま祭りは
見事に意味を免れていると思う。
マン・レイの写真の技法のなかに
ソラリゼーションというのがある。
写真を現像するときに、露光を過多にすると白と黒が反転する。
この現象を利用した表現手段である。
目黒の秋刀魚祭りは、見事なソラリゼーションである。
続いて串焼きをいく。
手羽先、つくね、シシトウ、長ネギ
ササミはいろんな種類があるが、
柚子胡椒にした。
酒が進む。
合わせた酒は、
晴耕雨読。
味わいがしっかりしているが、飽きない飲み口である。
農業の話題がでたので この名前の焼酎にした。
どれだけそれが、相応しいかなんて野暮だ。意味は繋がらなくても
どうとでもなる。
たとえば、ドライマティーニというカクテルは様々なレシピがある。
味わいというより、雰囲気や名前が大事なのである。
どうして店が流行るのか。
評論家のお歴々は、さまざまな言説で見事に説明する。
しかしながら、赤提灯やネオンの灯りの方が明快で、
決定的な説明になっているときも多いものである。
不条理を克服せずにそのまま受け入れる
そんな潔さ、滅びの美学が居酒屋にはある。
クレヨンしんちゃんの父、
野原ひろしは、
正義の反対は、悪ではなく、別の正義だといった。
世の中は、白黒つかないことが多い。
それぞれの主張にもそれなりの理があるのである。
お互いが正義をいって譲らず、
お互いの存在理由を否定し合うことからは、
文化はうまれないかもしれぬ。
少なくとも新橋の暖簾の前では、正義などいったん棚におこう。
居酒屋の提灯やネオンは、
意味を消去するソラリゼーションではなかろうか。
それに、どんなに意味を求め抗おうが、
新橋の地霊の予定調和があるのである。
だからこそ、呑兵衛が同じ店に通ってしまう慣性の力学がある。
居酒屋がある限り、極限まで追い詰められることからは少なくとも逃れる自信がある。
新橋はサラリーマンを救うのだ。
参考:しばてん
=================================
編集雑記
私は、食べログやら、
ほかの人の評論に合わせてお店を選んだりするのではなく、
実際その場所を訪れ、
実食しながら新橋の居酒屋を知ろうとしているのである。
それには実は勇気がいることなのだが、
マサーヤンを見習うことでなんらかの力をもらい、
それを勇気に転換してなんとか書いているのである。
マサーヤンの旅の安全を願う。
近江牛肉店
-vol.24- □■真夏の焼肉■□
ーー2013年7月30日来訪ーー
焼肉の旬っていつだろう。
ふと、そんなことを思う。
四季を通じて味わえばよいことだし、
それなりに味わい方がある。
キムチや、キュウリなどの野菜と
こんがり焼けた肉と一緒に
コチュジャンや味噌などを入れて
エゴマの葉や、サンチュに巻いて食べる
韓国式の焼肉。
骨付きカルビをまるごと豪快に焼いて
はさみで切り分けるというのが
なんとも本場の焼肉を食べているという
感じがある。
寒い時期には、熱いスープなども頼む。
食べ方は実に多彩で、
実は野菜もふんだんに食べられるやり方もあるのであろう。
でも席についたら、
まずは、肉だけを味わうというのがシンプル。
牛タンからいく というのが常道だろう。
実は、寿司屋などでお好みをたべるときに
自分流の形式みたいなものを持ち込んだりもする。
最初は白身からいって、貝などを食べ、
鮪をもらってから、光り物をもらい、
最後はタマゴで〆るのだが、
タマゴの直前はアナゴなどを頼んだりする。
ウニ、イクラをどこで頼むか、いつも決めておらず
いつも迷ったりする。
あまり整った形式ではないが、だいたいそんな感じである。
焼肉も同様で、
牛タンから入って、カルビやハラミにいき、
ホルモンなどを追加するというところまでは決まっている。
それからは、入った店によってバリエーションを楽しむ。
最後は、ビビンパとかクッパ、あるいは冷麺などで〆る。
しかし、今日の店では、その流儀をあえて崩そうと思った。
近江牛肉店
お肉屋さんのようなその店・・・
たしかに外観は、お肉屋さんだ。
しかし、近江牛しか扱わないこだわったお店である。
こだわったお店に対して、こちらもいつもの流儀を捨てざるを得ない。
といっても、いろんなメニューが揃えてあるので、
いつものでもよいのだが、
ここは純粋に牛肉をあじわうのがふさわしいように思った。
現に、その通りとなり、”あて”のキムチなどのほかは
すべて肉しか食べなかった。
近江牛肉店では、牛のいろんな部位、
しかも希少な部位を一切れずつ盛ったお皿が2種ある。
赤身が多く、あっさりと塩かわさび醤油で食べる 赤皿。
脂身が多い部位を盛った 白皿。
まずは、これを頼んでみた。
まずは、白皿。
バラ肉系の部位が多い。
ちなみに、牛肉は、ロインという
ステーキによくつかわれる部位を除くと、
肩、腹(バラ)、モモに分かれる。
バラの部位からカルビがとれる。
ただ私のような素人が思うほど単純ではない。
バラは大きく、ナカバラとソトバラに分かれ、
中バラと後バラのそれぞれ上部から特上カルビがとれる。
中バラは筋を除いたあとほぼ中央からゲタカルビがとれる。
中バラの下のほうから、カイノミといわれる部位がとれ、
後バラの下部は、ササニクという上質な部分になる。
これを取り除いたあとに、インサイドスカートという部分がとれる。
このように書いていくとキリがない。
今日の白皿には、
ササミ、友三角、インサイドスカート、ゲタカルビ、カルビの5種
このうち、友三角とは前バラにあたる部分で、肩に分類される。
かたバラ肉ともいうらしい。
名前がついているのは、
それなりの愛着があるからであろう。
たとえば、ハットトリックという言葉がある。
サッカーの1試合で3点得点することだが、
滅多にないことで驚嘆に値することである。
この名前が付いた途端、
選手にとっては目標となり、観衆にとっては賞賛の称号となる。
選手はまた、やろうと思うし、群集はまた見たいと思う。
大事なのはこの反復可能性である。
牛を解体するときに、またあの部位をとりだしたいと
思えばこそ名前がついているのだ。
名前がつくとまた食べたくなる。
ソシュールは、命名される前の名前をもたないものは
存在しないといった。
もしこの美味なる部位たちに名前がついてなければ、
ほかのカルビとともに埋没してしまうことだろう。
少しずつ味わいが違うせいか
どんどん食べられる。
近江牛は黒毛和牛。
三大和牛のひとつだ。
脂身の融点が低いのであろう。
近江牛・・・・
近江といえば、
淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば心もしぬに古へおもほゆ
という柿本人麻呂の歌があるのは、浅薄な私でもわかる。
近江=淡海だ。
白洲正子にして、日本文化発祥の地といわしめたほどである。
近江商人でも有名だろう。
近江商人は、互いの利が商いの基本だといった。
日本らしい商人だ。
8年前の産地偽装問題は、近江商人の血が絶えたのかと思わせる
非常に残念な事件だ。
BSE問題で飼育履歴(トレーサビリティ)をきちんとする法律が整った。
飼育履歴の中で、一番長い期間、牛が飼育されたところを産地とする
という内容。
つまり、どこかほかの県で育てられた牛を出荷直前に滋賀県に置いて、
近江牛と名乗っていたということだ。
もっとも、消費者の闇雲なブランド志向が
生産者を盲目にしたといってもよい。
でも法律の目をくぐる偽装の問題は、
いつの世にもあるし、正直これからも起きてしまう可能性は十分ある。
しかし、
近江牛肉店のように、きちんとおいしさを伝える店が
それを是正していくのではないかと期待する。
近江の畜産の歴史は古く、
牛の味噌漬けや干肉を江戸幕府や御三家に献上していたという。
食い物の恨みはおそろしいとは、桜田門外の変のことをいい、
政変の原因は、
近江(彦根藩)が御三家のひとつ水戸藩に牛肉を献上しなかったからだ
といわれるが、本当のところはどうか。
江戸時代から牛肉の産地だったことを示す
例え話の亜流と流すのが賢明であろう。
日本は古くから食肉の歴史がある。
しかし牛馬を食する歴史は基本的には明治以降だ。
ひとつには、中国の仏教で牛馬を食することがタブーのため
(中国では牛馬をたべない篤信家も多い)
それにならったことと、徳川家光の国策がある。
日本は肥育牛の歴史がたかだか40年くらいしかない。
それまでは稲作農耕のために牛が使われていた。
トラクターの普及(1965年)で、飼牛の数は激減した。
200万頭以上いた牛が、155万頭ほどになった。
農耕用から肉食用に転換して、徐々に頭数は復活した。
現在では、440万頭ほどになっている。
このうち、肉用牛は280万頭。
県別でみると、このうち北海道が50万頭でTOP。
鹿児島が36万、宮崎が29万とつづく。
近江牛のある滋賀県は、というと1万8千頭なのである。
たったの、という表現がふさわしいのではなかろうか。
上等なサシの入った牛はゆっくり育てなければそうならない。
出荷までにかかる日数が和牛は通常の牛の2倍。
それだけ高値になるのは当然だ。
こうした上質なお肉は
やみくもなブランド志向で歪んではもったい。
このお店のように、きちんと伝えるお店があるのは素晴らしい。
この店がごまかしても店の得は一切ないのだ。
ウワミスジ
ニノウデ
カメノコウ
カブリ
ロース
の5点
ウワミスジというのは、
腕の肉なかで、一番サシの入る希少部位。
さっとあぶるだけで食べてしまう
その食感たるや、しばし陶然。
ニノウデというのは二の腕。
前足にかぶさっている部位で、
少しかたいが肉の味がほとばしる。
カメノコウは、
モモ系の肉。赤身が基本だが
キメがやや粗く、みると亀の甲羅のような模様が見える。
やわらかい食感で、おいしい。
カブリ
内モモの下にある丸いかたまりをシンタマといい、
その中心にあるのをシンシンという。
シンシンは上カルビのような霜降りだが
カブリはその周りの部分で、
赤身が多く、さっぱりとした感じが味わえる。
ロースは、
いわずと知れた部位で、ステーキによく使う。
今日はあっさりと、わさび醤油で。
近江牛の魅力は、飼料が自給できること。
風光明媚な土地で育てられたその牛の肉から発する香りは
特有で、それが魅力である。
だから、赤身がすごくうまいのだ。
なんだかキリがない。
結構たべているはずだが、まだまだ入る。
そういえば、牛タンたべてない。
そうだ。
三大和牛の近江牛なのだからと、
頼むことにした。
いつもの順番は無視だ。
順番を無視したついでに、
センマイ刺しをもらうと、
これがなんと、シロセンマイだった。
味噌だれが添えて出てくるが、
もったいないと、
席に着くなり支度してもらっていたレモン汁で味わう。
さっぱりと旨い。
しかも味わい深い。
白センマイは黒皮をはいだものではない。
最初から白センマイとして存在するということである。
個体の差だ。
ともかくも私は断然、白センマイの方が好みである。
そんな高級な焼肉店でしか出さないような
品々に、驚きだ。
近江は、近江八景でも有名、
八景とは、中国の山水画の画題を瀟湘八景といい、
これが室町時代に日本に伝わった。
選ばれたのは、琵琶湖畔の近江と神奈川の金沢八景である
近江八景は歌川広重が浮世絵にしているし、
落語にもなってる。
江戸時代でも有名な景色のよい場所。
そして、風光明媚な場所で育てられた和牛。
まさに、牛のニッポンニアニッポンではないか。
いまは世界で日本食がブームだが、
そのひとつが、菜食が中心であることがあがる。
服部料理学校の服部氏は、
牛肉を食べると元気になるといった。
なるほど、焼肉はみんな気分上々になるようで
非常に陽気な取材であった。
菜食主義者の一部の説では
肉食は消化に体力を奪われるので、逆に元気を奪う。
養生の方法として断食があるのは、消化器官を休ませるためだ
という。
ライオンが始終寝ているのは消化のための養生という。
なるほど、そうかもしれぬが
酒を飲んで騒いでいるときに、そんなことを云ってもつまらない。
こういうときには、無礼講で
肉を喰らい、陽気に騒ごうではないか。
徹底して和牛の美味い肉を安く食べるのなら
この店はまさにうってつけである。
参考:近江牛肉店
photo by #DoY
ゆうき家
-vol.23- □■居酒屋へ向かう道の渦巻き■□
ーー2013年7月9日来訪ーー
居酒屋を求めてさまよう航海は、
目的のない旅である。
居酒屋の居は、とりもなおさず居場所の居であるが
何人もそこに定住はできない。
定住した途端に、日常の懊悩の業火に焼かれてしまう。
その居場所では
すべてのイデオロギーを超えるなにかを求めるのだ。
そこで支配ができるのは、
気分だけである。
ドガは
「イデーがないわけではない。
けれど書けない」と悩んだ。
すかさず、マラルメは詩は「イデーでなく言葉で書くものだ」と
応酬した。
マラルメは「海のそよ風」の中で
厭世的な魂の迷いを、
「魂よりも水夫にきけ」と昇華している。
それなら水夫にきいてみよう。
と久しぶりに、メルヴィルの「白鯨」を手にとった。
蒸し暑さが夜まで残る。
炎天下の強さはやや和らいだものの
それでも背広を着ている人は まばらである。
赤ら顔で話しながら通る
ワイシャツの中をすり抜けるように歩く。
アメリカ・ルネサンスの白眉
「白鯨」をDHロレンスが評して曰く、
どこだっていい、とにかく外へ向かうんだと、
旅立っていきつく先が、太平洋のど真ん中なのだ。
海の譬えは、明暗に分かれて存在する。
すなわち、豊穣で明るい母なる海と
荒れ狂う波や孤独な航海を強いる暗さを持った海
さまざまな矛盾を清濁あわせ呑んだ形で
存在する海に、そして海を刻むメルヴィルの筆(エクリチュール)。
その展開は、まさに海や天候の気分次第なのである。
明(キアロ)と暗(スクーロ)を
たどる波は、目的を無目的にする。
なにかをやり遂げた人が、空虚(むな)しさを感じるように、
死にゆくものも死出の旅路にすぎないように、
人はみな航海の途中に過ぎないのだ。
上下2巻 1,000頁に及ぶこの大作は、
世界文学10選に選ばれるほどの名作であるというが、
突然 鯨学や、気候や航海術について
博学的な知識が披瀝されている。
そうした脱線が多くある。
映画化もされているので、
その映画の原作を求めて、
本作を読もうとした人がまず感じるのは
な、長い・・・・
ということだけだ。
文学的には、それ相応の意味のある脱線だということに
気づくのは、文学に対して親和性のある人に限られるだろう。
海賊に追われながら、白鯨を追う。
船長エイハブは、直線的で、唯我独尊な自我を全うしようと
宿敵モービィ・ディックに挑む。
彼の右腕で、一等航海士スターバックは、
彼の直線的な野望をしばしば止めに入るが
エイハブとほかの船員ほぼ全員とともに 海の藻屑となる。
ただ一人 残されたイシュメルがこの物語の書き手である。
どこの店も入口から中の様子を伺うと
ワイシャツの群れが見える。
2008年のデータによると
新橋にある居酒屋の数は700軒を超える。
新宿の850軒と比べるとやや少ない。
しかし
新宿の乗降客数は360万。
新橋は86万である。
新宿の4分の1に満たない乗降客に対し
700軒という数字はニーズを表している。
それだけ新橋は酔客の比率が多いのである。
そんな酔いどれの街の700だが、
ワイシャツの群れを見る限り、
まだまだ増えてもよいのかもしれぬ。
当然 よくお客の入る店とそうでもない店があるのだが、
酒飲みのニーズは突然発生する。
予約がなくては入れない店とは折り合いがつかない。
気分の眷属だからだ。
突然発生が伝播したのか。
火曜日だというのに、どの店も一杯だ。
こうしたときは
黒服にきくよりも、
人の流れに身を任せてみるのもオツである。
急に人ごみに切れ間ができたら
少し戻ってみればよい。
それなりに収容できるお店があるかもしれない。
「ゆうき家」
今夜はそこが居場所である。
こまごまとした店に割って入るのも一興であるが、
店探しにあぶれて、暑さにも耐えかね、
一心地つけたいときにはこうした店はオアシスの役目を果たす。
まずは、ビールを頼む
お通しは、浅利の佃煮だ。
どこか懐かしい味がする小鉢だ。
奥の小上がりに通された。
居酒屋の人間模様を眺めるに
小上がりは、特等席だ。
飲食店はこうあるべしと
自分の知っている形に置きなおしてみるよりも、
まずは店を眺めてその流れに身を任せるのが
居酒屋の愉しみである。
おすすめに上がっている 刺盛りと
丸太とこの店が呼んでいる つくねを注文した。
刺し盛りはいつも豊潤な海を感じる。
さまざまな味覚に豪勢な気分になる。
つくねは
肉汁がとてもジューシー。
軟骨もはいって、
鶏を丸ごと頬張る野性味も加わる。うまい。
居酒屋に入ると
いつもあたりを見回す。
好きなものというより
この居酒屋ならではのものを求める。
おすすめをきくことがある。
それをメインに据えて、
アテ + メイン + 箸つなぎ
の三点セットで頼むことが多くなってきた。
アテとは、
すぐに出せそうな品のことである。
キムチ、
ホタルイカ沖漬け、
塩辛などなど・・・である。
つなぎは、
魚をメインとしたならば肉
逆ももちろんある。
あとはアットランダムに進む。
この辺りは、店との呼吸を楽しむところであろう。
幼きころに、
捕鯨船の記録映画を観た。
小さな船を大海原に出し、
船体と同じくらいの大きさの獲物を狙う。
呑みこまれそうな恐怖に、手に汗を握った。
この格闘で大事なのは呼吸だ。
鯨の力に負けぬようバランスをとりながら
追い詰めていく。
急ぐと、巨大な力に負けてしまう。
捕鯨は神話をつくる。
人は神話の前では、
狂気や神といった異常に対峙する。
鶏の味噌漬けを追加した。
なかなか注文をとりに来れないときもある。
そんなときには、
ゆっくり店全体をながめてみよう。
フロアは何人で切り盛りしているか。
店員さんは目と目をあわせてくれるか。
店員さんの中でチーフは誰だろう・・・
流れの中で 頃合いを見計らい
さっと 手をあげる。
あるいは声をかける。
折り合いがつけば、いうことなし。
リズムがあわないこともご愛嬌だ。
腹を立ててはいけない。
日常とは違う異空間も
居酒屋のいいところであろう。
私はいつも、其処に敬意と少しの畏怖を抱く。
しかもそれは、とても穏やかな畏怖であり敬意だ。
それでも
そこは、注連縄の結界が貼ってある異空間。
”神話”がつくられる場所なのである。
いつも居酒屋(そこ)にいって
自分を見つめる。
そのゴールはスタートに戻ることである。
これもウロボロスといってよいのであろう。
自分探しの中で、
その店ならでは というものを求めてしまう自分がいるのだ。
壁に大きく鯨のメニューがあった。
それを頼むこととしよう。
鯨ベーコン
そして
竜田揚げだ。
鯨はこんなに美味かったっけ。。。
幼少期に食べた給食の味を思い出してもみる。
エイハブの欲望を、
イシュメルが写し取るエクリチュール。
ひとつのものは 次のものが来て、
それとの関係性の中でしか意味を持たない。
立場や理論などが確立する前に壊され
次の波がくるといった めくるめく流れ。
追いつつ追うという
ウロボロス的な無限の狂気を
イシュメルが円環に閉じ込める。
新橋らしさを求めて
さまよう自分の筆は、
巨大なクジラに飲み込まれる運命(さだめ)なのか。
この店も新橋らしい。
きっとあの店も新橋らしいのである。
相手が強大すぎるのかもしれない。
だんだん畏怖を感じてきた。
気分を相手にすると
Webも羅針盤にすらならない。
その辺のオヤジさんに話しかけても
あちこちを指し示すだけである。
スターバックもいない。
心細くなって スターバックスに飛び込んでこうして書いている。
(スターバックスの語源は白鯨に出てくる航海士にちなむ)
居酒屋を書きつけても
それは、皆が居酒屋を追体験するまで
意味をなさないのだ。
たとえ追体験しても、
居酒屋と
そこに行った人の気分は再び来ないのではないか。
ならば、白紙のままでいいのではないか。
まさに
白きがゆえに冒しがたき白(マラルメ)
だ。
でも、
それでも、書きつけようと思う。
「イシュメルと呼んでほしい」で
始まる長大な「白鯨」の物語の後も、
海は、広大にただ広がっていることだろう。
それでも白鯨は書かれたのである。
飽く事なき 居酒屋をめぐる循環運動は
ゴールはないのだ。その巡回にこそ意味がある。
エイハブの物語は永劫回帰だ。
渦巻く悪循環ともいうべき酒学こそ
新橋だと思う。
勇気をもってそれに臨もうと思う。
新橋を語るにふさわしい店というのは
どこにもないが、
ゆうき家は、
新橋らしい店だといえる。
大箱なりの新橋らしさが光る店である。
参考:ゆうき家
photo by #DoY
串かしく
-vol.22- □■痛快な串■□
ーー2013年6月25日来訪ーー
串揚げのお店である。
飲み物は、ハイボールを頼んでみた。
お通しのきゃべつは、
串の合間にとてもよいであろう。
あとで気づいたことだが、
このキャベツ お代わり自由だ。
とても気の利いた良いお店だ。
入った瞬間からわかる。
串かしく
ニュー新橋ビルの地下一階のお店である。
池波正太郎の小説に
谷中・首ふり坂という短編がある。
幼少を病弱ですごした
ひよわな男が 格式高く威厳ある武家の婿養子となる。
武家の妻の閨房の所作に嫌気が差していた
彼は、悪友の誘いにのって
谷中の茶屋に息抜きに行く。
そこで出会った大女に魅せられて
とうとう武家から遁走してしまうという
なんとも身勝手な話なのだが、
正太郎の筆は、身勝手を咎めずに、
むしろ爽快に描いているように思える。
その大女は、とにかく力持ちで
米俵を片手でひょいひょいと投げてしまうほどで
男はただ立ちすくむばかりといった
シーンが印象に残る。
まっすぐで素朴な魅力が
男の繊細なとまどいと
遁走といった思い切った行動
のギャップを埋めたともいってよく、
はたから見ると
収まるところに収まったと得心がある。
料理にも
素朴さや豪快さが魅力な部分もある。
たとえば、カツオのたたき
は藁の炎でカツオを皮目を焼き、
すぐに氷水につけて、大ぶりに切って出す。
旨さを引き出す理にかなっている
といえばそうなのだが、
まずはこの調理法をきいただけで
お腹が空いてしまう。
この調理法で必要なのは串であるが、
串というのも脇役でありながら料理では
重宝するものである。
鮎であったり、鰻であったりと、
活躍の場は数知れない。
てんぷらも昔は屋台で人口に膾炙したという
江戸の大工、左官、鳶や商店の奉公人が
立ち食いできるように
串刺しで提供されたのを
屋台でつまみ食いしたのである。
“あて”にタコキムチと
つかさず、
串かしくで定番の5本セットを注文した。
串で食べること、
その魅力ははかりしれない。
世界各地で串は散見される。
フランス料理にだって串はある。
ブロシェットという。
京都のブロシェットという店では、
フランスの串料理の魅力を伝える。
そういった店はワインが似合うのであろう。
一品の量というのを決めるのは器によるのであろう。
皿であったり椀であったり小鉢であったりする
スプーン一杯で一品をつくるフランス料理もある。
串もその単位のひとつで、小世界をつくれる。
串を使って
贅をちりばめて小品に仕上げるという趣向
はとても良いのだろう。
道頓堀の串の坊などの店が好例だ。
四季折々の
旬のネタや定番のネタを含め数十種類も用意してあり、
たいていの人は”おまかせ”を注文する。
順次一串ずつ揚がって出てくる。
次になにが出てくるのか
楽しみであり、それも一興であろう。
胃袋の具合をみてストップをかける。
タレというか味付けも
ポン酢や、しょうゆ、ソース
塩、レモンなど、どれで味わうのか
お好みで選ぶ。
上品で、バラエティに富んでおり、
女性に人気などもうなづける。
こうした上品な店では逆にみかけないが、
ひとつひとつ串から外して、
箸で食べる人もいる。
複数人いる際に
全員の分量を考えての配慮かもしれないし、
上品さを考えてのことかもしれない。
しかし、串の本分は、
独占にあると思う。
レバーならレバーという部位だけを集めて食べる。
なんとも野性味が刺激されてよい。
鰻の頭のみ集めて出す
カブト(新宿思い出横丁)という店もあるが
特にそんなことを感じる。
原始的だからこそ世界中にある。
そして、なんだかおいしさも増して感じる。
駄菓子屋の”よっちゃんいか”などは
串であったからこそ、ヒットしたのかもしれない。
串で食べるのは粗野でよいし、
ナイフやフォークで、あるいは箸で食べるより、
会食の親しみも増す。
まさに”箸いらず”というわけだ。
焼き鳥、焼きとん に共通する新橋らしい風景である。
串料理の魅力はさまざまであるが、その中でも
素朴さや串の直線に見える”まっすぐさ”がなんともよい。
”箸いらず”の手軽さが人々の心が開き、
そこから直球の会話がはずむ。
串刺しという残酷な印象を与える言葉も、
本音を引き出すのに一役かうのかもしれぬ。
焼きとんも焼き鳥も、この痛快さがあればこそ
新橋に多くあるのではないか。
この
串かしく
ネタは単純、メニューは材料表なのかと見紛う。
串揚げもこれほどシンプルなのは痛快だ。
しかし、見直した。
玉ねぎや、
うずらは、串揚げがこの食材を一番おいしく食べる方法ではないか
などと考えてしまう。
当然追加した。
アスパラ、鮪、シイタケである。
鮪には味が付いているというので
意外だったが、薄く塩味がふってある。
あっさりと鮪のうまみを味わうことができる。
アスパラをソースにくぐらせ
頬張る。
はふっはふ と旨い
ハイボールをぎゅーっと流し込む。
ぷはぁ・・・・
しいたけをソースにくぐらせ頬張る。
はふっと、そしてハイボール。
永遠に終わらせたくない心地だ。
アナゴにレンコン
アナゴは大ぶりでこれはお好みで醤油でもいいそうだ。
あえて塩で甘みを味わうのもいいだろう。
天ぷらと同様の楽しみだ。
うん、うまい
そしてレンコン。
大ぶりのレンコンを
ソースにつけて頬張る。
はふっとする。んほっ!うまい。
感動だ。
自分で卓上の練り辛しをつけ
辛しレンコンにしてみたりした。
とても楽しい。
素材の余計な水分を取り除き、
カラッと揚げた食感と相まって
本来の味が導き出される。
揚げたてを
ソース壷にくぐらせるのだが
うす衣なので
かえって素材そのものの味が活きる。
痛快だけではなく
美味しさにもよくかなった料理だと
得心がいった。
店員さんたちの繊細な心配りも
うれしい。
谷中・首ふり坂の大女が、そそとして頬張る姿を
思わず想像してしまった。
通ってしまいたくなる
名店の発見は大きい。
今夜もよってみようと思う。
参考:串かしく
photo by #DoY
玉や
-vol.21- □■新橋のマニエリスム■□
ーー2013年6月7日来訪ーー
SL広場を背にして、目貫き通りを進む。
たくさんの風俗店や居酒屋の勧誘を避けて
脇の路地へ入ると異界となる。
ふっと一瞬の静寂と闇を感じたかと思えば、
すぐに赤ちょうちんの光が眼に差し込む
赴くまま、ぷいっと入るのもいいだろう。
といっても、店の軒先。
せり出たそこの椅子に腰を押し付けた。
そして、そのまま居場所となった。
そこは 玉や
焼きトンの店である。
新橋らしさとはなにか。
私は いまだに簡潔にまとめられない。
オシャレではたしかにない。
気取らない、というのも当たっている。
安いだけとは違う。
大衆派というがそれだけでは言葉が足りない。
奥が深いのも確かだ。
でも、それはどんな街でも同じこと、、、
たとえば、
お隣の浜松町だって、
サラリーマンの街といえなくもない。
秋田屋という名店がそれを物語るひとつだ。
そして浜松町の路地奥に入るとやはり、
いろいろな店がある。
キジ丼を売りにする店があったり、
安い店もあるし、
それこそ、隠れた名店も多い。
では浜松町のもつ雰囲気は
新橋と同じなのか?
似たところもあるにはあるが、
はっきりと違いが感じられる。
その違いを書くことが
新橋らしさを書くことになるだろうか。。。
烏森神社の裏には、小さいお店がひしめく、
まさに迷宮がある。
かつての色街の雰囲気が濃いこの地区は
情緒がひときわ深い。
聖と俗の
”バランス”によって
辛うじて封じ込められたものが
何かの折に噴き出してくることもある。
そこで、酒の登場だ。
酒は、
隠語でもなく薬にもなり
お神酒という聖杯にもなるのである。
人間の強欲は酒でいや増し、
それを清めるのも酒。
聖俗の根源は酒から出ずる。
ともかくもそういったシステムは古来変わらない。
ホッピーを注文すると、
「ホッピー」という声が軒先から店内
店内から厨房にこだまのように伝わっていく。
内臓の旨さというのは
ずばり、
食感と、内臓を生で喰らうというシチュエーションにある。
それに一番似合うのはなんといっても
ホッピーではないだろうか。
内臓とホッピーは新橋の黄金セットである。
総称は焼き鳥だが、
ここは焼きトン。
焼きトンのルーツは闇市。
新橋は最大規模の闇市があった。
屠殺場の暗黒へのつながりとあいまって
人間の業にもっとも近い料理ともいえる。
写真はハツ刺し
塩をモミこんである。
そのまま食べるということだが、
甘さがある。醤油を少しつけてもよいだろう。
メニューには内臓生肉の刺身が並ぶ。
魚肉を問わず、刺身を提供するには
システムが必要だ。
ともかくも鮮度が命。
食べごろの把握や、
くし刺しに使うものと生で出すものの仕分け、
貯蔵と仕入れの量の管理は、その店の経験がものをいう。
この軒先から風俗店のネオンも見える。
かつての花街の
情緒は風俗店があるからでは決してない。
情緒は
過去から伝わってくるのだ。
吉原には浅草寺があり、
歌舞伎町には花園神社があり、
川崎には川崎大師がある。
聖と俗は実に隣り合わせなのである。
その狭間には多くのお店があり
種々雑多な店の迷宮に迷い込むことになる。
そして迷い込むままここに居座っている。
迷い込むまま、内臓を喰らおう。
噛むごとに、タレが口に広がる。
それぞれ、塩とタレがある。
塩タレどちらを選ぶかはいつも悩む
好みでしかないが、
シロ、レバ は タレが
かしら、タン、なんこつ は 塩が
それぞれに合う気がする。
鶏肉が高価だった時代の代用品として、
内臓肉を仕入れたという。
日本人は本来内臓が嫌いだという説があるが、
これに異を唱えたこともある(ホルモン屋 だん 参照)
一方でこの料理を
マルクス主義者的に表現すれば
ブルジョアに搾取されている庶民が搾取を味わう料理である。
サラリーマンは自分の成果の利益から上前をはねられている。
ちょっとしたバランスの崩れで矛盾は噴出する。
会社という組織に みかじめ料を渡す代わりに経費と
暖簾をくれると解釈してなだめたりもするが、
それだけでは不足だ。
あくまでもそこは成長の場、自己実現の場なのである。
やや詭弁だが、
サッカーの本田選手の個人技も
サッカーそのものがないと発揮されない。
共同体の矛盾はメタな存在(神だの政府だの)の絶対的他者が
解決する。解決には”お供えもの”が必要だ。
そのお供え物を 共に食べることを供養という。
野菜もいってみよう。
しいたけ
ししとう
こういった野菜や
さまざまなメニューをとりあわせて
つまみをコーディネートできるのも
魅力である。
野菜を単品でじっくり味わうのは
串料理がよい機会をもたらしてくれる。
野菜の個性も串料理のフィールドがあればこそだ。
元気のいい店員さんたちが
店の中のみならず、ひょこっと顔を出して、
軒先に気配りをくれる。
軒先で店内よりサービスが遅れ、疎外感を味わうことはない。
すばらしいと思う。
サービス業はできて当たり前とみなされることが多い。
サーバーとは、いつでも当たり前にレスポンスを返す機械だ。
しかし、
サーバー保守は不断の努力によって成り立つのである。
(サーバーが少しでもダウンすると悪評が立つ。
そこは冷静に判断してご理解願いたい。と大抵思う。
クレームをつけるなとはいわない。
その前に”確認”が必要だと思うがいかがだろうか。)
人がやることミスがつきもの。
それでも、人しか作れないものがある。
それが居酒屋なのだ。
そんな酔いに任せた自分の雑言を
鯔背(いなせ)な店員さんたちのリズムが
拭ってくれる。
レバーにいってみよう
臭みがない。
そして、味に深みがある。
レバ焼きを逆に読めばキャバレ
こういったのは阿刀田高だったか。
このネタ(タネか)は
臓物串の王様だ。
ある酒場で聞く、新橋とは人生劇場だという。
また別の酒場で聞く、新橋とは浪漫だと。
またTVで聴く、新橋とはサラリーマンの街だと。
そうやって集めたプロパティの総体が新橋だ。
こんなふうに、ものごとを把握する仕方がある。
これはピカレスクロマンの手法だ。
マニエリスムとも美術史上ではいう。
つまり、逆なのだ。
新橋らしさは語れなくとも
”これが新橋らしい”ということは可能だ。
ちょうど画家が晩年に自画像を描くように。
風景を客体としてとらえた画家が、
客体から”みられる”逆の視点を感じ自画像に結ぶ。
メニューから自分の目に飛び込んできた
一品がある。サーロインである。
牛肉だ。
臓物を扱えるなら、実は精肉も扱えるそして魚介も。
たこ や まぐろぶつがメニューにのるのもそのせいだ。
そういったメニューもバラエティが広がってとてもいい。
ただ精肉は本当は熟成が必要だ。
とにかく頼んでみた。
こんどはタレ、塩両方
手前がタレ、奥が塩である。
焼きトンの店では異色ともいえるメニューに
舌鼓をうちながら夜はふけていく
見渡せば雑踏がある。
こちらが求めずとも飛び込んでくるものが
多くある。
そうしたものを想像をひろげて受け入れていこう
想像も繰り返せば現実となる。
一滴の水では海といわないが莫大に集まると海という。
その落穂拾いをやっていこう。
その総体が新橋を形作る。
新橋を描くのでなく作っていこう
それが 食べある記第二章である。
今日はその始まりだ。
参考:玉や 新橋店
photo by #DoY
高崎ビューホテル
□■一夜限りの創作料理の美食会■□
2013年4月25日 来訪
コンテンポラルな内装の優雅な会場に
誠実さの伝わってくる料理長の挨拶で 宴は始まった。
高崎ビューホテル 開業30周年の記念イベント
総料理長 須田秀明氏による 一夜限りの創作料理の美食会
和食、洋食、中華の饗宴だ。
30年を節目として新たなスタートをする気概。
それがまずは感じられた。 その理由はメニューにある。
発酵食品が使われていないのだ。
フランス料理ならチーズや、肉の燻製など 中華だって日本だってお得意の食材だが、
今日はすべてフレッシュな素材である。
さらには、スタッフ一同の感謝の念も伝わってきた。
料理長の計らいか、実況中継なども試み、スタッフ全員がテーブルから見える配慮。
そうなのだ。スタッフだってみられるとやる気がでる。
料理長だけ偉くても宴はうまくない。
さて、素晴らしい美食会に敬意をこめて 芸術性高い絵のような一皿一皿に対し、
図像学(イコノグラフィ)のような解体の試み(どうしてこれはうまいのかを解説すること) をしたいのだが、
完全に料理の力のほうが上で、私の筆の力はそれを描き切ってはいない。
ともかくもすべての作品をひとつひとつ紹介だけはしてみようと思う。
■彩の芽吹き
○和 愛媛産平目昆布〆山菜巻を柚子こしょうジュレで
味覚が呼びさまされていくような繊細な味に
柚子こしょうのジュレがまとう。キリッとして食欲も増す。
○洋 フォアグラと旬野菜のゼリー寄せ
ゼリー寄せとは、西洋風煮こごりである。
色彩がなんとも綺麗で優雅。絵画を見るようだ。
○中 紹興酒風味の車海老に旬野菜を添えて
車海老はこういう宴では華やかになる。
シンプルに後を促すような一品。
次が食べたくなる。
■琥珀色の育み
瀬戸内海産鱧と洋野菜の金華ハムスープ仕立て
鱧は和、洋野菜の洋、金華ハムの中 和洋中の合作である。
鱧はこの時期は決して旬とはいえない。やはり夏から秋にかけてなのか。
しかしながら、 さっぱりしたものを梅肉なんかであえるから産卵を終えて少し身がしまったものが
好まれるからその季節を旬としているのであろう。
スープに入れて触感を楽しむなら、むしろよい。
たしかな技術が支える骨切りに クオリティの高さが伝わって安心と信頼ができる。
洋野菜はズッキーニ。 洋野菜といってももともとは南米や、エジプトが原産。
西洋料理は大航海がその食材をささえる。
独特な触感が魅力だ。
金華ハムのスープは、浙江省や雲南省などの名物料理。
作り方がシンプルなのになんとも複雑なうまみが口にひろがる。
■薄紅の煌めき
○和 黄身醤油で青森県産本マグロのあぶり焼き
大間のマグロである。近海ものの良さはなによりも“ほどよさ”にある。
脂がのりすぎず、赤身の味がしっかりとバランスがよい。
あぶり焼きという調理法も“ほどよさ”を引き立てるものだ。
食感もどっしりとして、とてもよい。
○洋 香草風味のタスマニア産サーモンと帆立のタルタル仕立て
香草風味の鮭は西洋では古来より食べられている。
もともとは、聖職者たちが謝肉祭の前の魚をたべてよい日に食した。
トラウト(鱒)などを養殖していたという。
それだけに、鮭鱒に関して西欧は確かな味覚をもっている。
一般的には大西洋の鮭鱒のほうが、味が良いとされる。
海と空が違うということであろうが、タスマニア産の鮭鱒は世界中で有名になった。
「美味しんぼ」でも紹介されたので、ご存じの方も多いかもしれぬ。
世界一人気のあるレストランがタスマニアにあり、日本人シェフが腕をふるうという。
そこの名物料理がオーシャン・トラウトのコンフィ。
今日のこの一品はそれを思い出させた。
帆立が完全に脇役になるほどこの鮭は存在感がある。
とてもうまい。
○中 チャイニーズ風真鯛のお刺身
和、洋と横綱級の魚を出してきたが、
それに肩をならべるどころか印象にくっきりと残ったのがこの一品であった。
フランス料理は、エスコフィエやアランデュカスなど料理界の巨匠のおかげでバターまみれの料理から進化を遂げた。
その進化には、ジャポネスク、シノワズリーなど東洋の文化も影響していることだろう。
中華料理はそこから逆輸入される形か。まさにヌーベルシノワーズ。 油を使う料理からの脱皮である。
それでも松の実がかけてあり、しっかりと中華なのである。
個人的に、高崎ビューの中華料理は注目だ。
素晴らしいセンスが光る。
こんな料理人を招聘できるのも料理長の腕なのだと思う。
■山吹の温もり
○和 大根釜のすっぽん煮の彩飾り
スッポンのスープでさっと煮た大根で器を作り、その中にキノコ類や野菜などを入れて、彩りよい炊き合わせである。
彩の食材の触感と淡い出汁中にたくましさがちょっぴりと感じられるスッポンの風味。とても温もりがやさしい一品だ。
○洋 北海道ウニのふらっとシブレットソース
コンソメがベースなのであろう西洋風茶碗蒸しに雲丹をふんだんにのせて、シブレット(西洋浅葱)をかけたもの。
濃厚なうまみがねっとりと纏わり、 ふわっと柔らかな香とともに口に広がる。
文句なしにうまいものである。 シブレットが次の一口を新鮮にする。
○中 上海風吉切鮫のふかひれ姿煮
吉切鮫。気仙沼でとれる鮫のほとんどがこの種である。
フカヒレ自体に味はあまりなく、広東ではこってりとしたとろみのあるスープをかける。
オイスターソースなどをいれて煮込むのが上海風である。トロっとやわらかく食べやすい。
滋養にもよさそうな心持だ。
■黄金に映える悦び
○和 赤ピーマンソースの鴨地蒸し
地蒸しというのは浅学でわからないが、玉地蒸しが具のない茶碗蒸しを指すことから ただ蒸しあげたものを指すのであろう。
かなり肉質のよい味わいのある鴨。
その素材を生かすために行う和ならではの引き算というところだろうか。
引くと何かが足されやすくバランスがよくなる。
赤ピーマンソースも大変に美味。
○洋 トリュフソースの上州フィレ肉グリル
上州牛は初めて食べたが、素晴らしいと思った。
くさみが少なく食べやすい。それでも肉料理を食べているというどっしり感がある。
火加減も絶妙だったせいもあるのかもしれぬ。地元の食材を使う心配りも粋だ。
○中 長崎県産鮑の香味辛し炒め
この炒め料理は、日本料理かと思うほどだ。
鮑のうま味が存分に味わえる。
鮑から湧き出す海の香が一皿全体にいきわたり 夕日の映える海が情景として浮かんだ。
■木漏れ日の楓 ずわい蟹の炊き込みご飯に鶯餡を添えて
西洋のリゾットのような盛り付け、固めに仕上げたチャーハンのような触感とカニの風味、和の鶯餡。
合作なのだが基本は和食である。
芽吹いた新芽が育(はぐく)まれ、煌(きらめ)きながら存在を醸し出す。
やがて山吹のような温もりと相まって、黄金に映えるように昇華していく。
この美食会に 食材を人の成長や修行にたとえ、達成していくような巻物が 仕込まれているのだとすれば、
”木漏れ日の楓”は30年達成の記念を祝う今日の宴のなかで、 ホテルに訪れてくれた人への感謝を込めた絵になるのであろうか。
とてもくつろいだ雰囲気に会場内がなったのだ。
■深緑からの虹
ハーブティーに合わせ、料理と巻物の集大成の余韻を興ずる。 カラフルなスイーツである。
○和 宇治抹茶の京生八つ橋風
抹茶の風味と八つ橋のような食感が落ち着く。
○洋 ラズベリーのフワフワレミントン
レミントンとは一口サイズのケーキである。
柔らかく仕上げてあり
ラズベリーの酸味でさっぱりとする。
○中 マンゴープリン 白きくらげ入り
濃厚なマンゴーなのだが、白きくらげは胃の薬にもなるらしい。
官能的な食感に 体がゆったりとした。
和、洋、中が バランスよく奏でられた饗宴。
その中で各々がいぶし銀のように個性を発揮する。
出てくる品々がどれをとっても、本当に素晴らしかった。
それをまとめあげる指揮者のなみなみならぬマネージメントが感じられる。
今度はゆっくり泊まって味わうべきであろう。
また、いきたい場所が高崎にできたことは、 これからの人生の大きな収穫である。
チャンドラマ
-vol.20- □■バブルとスパイス■□
ーー2013年5月2日来訪ーー
新橋はカレーで有名な街というわけではない。
カレーを食べようとするならば、
SL広場の近くにゴーゴーカレーがあったり、
牛丼チェーンや立ち食いソバ屋さんでも食べられる。
なかには丹波屋のように立ち食いソバ屋にもかかわらず
本格的なスパイシーなカレーを出す店もある。
しかし、ナンで食べるようなインド料理屋となると
結構少ないのではないか。
と思うと灯台下暗しか
ニュー新橋ビルの4Fにチャンドラマという店があるではないか。
Smileからみると見上げる場所にあるわけだから
灯台”上”暗しか・・・
ここは、いわゆるインド料理屋である。
インド料理といえば、
カレーが思い浮かぶが
インドにカレーという料理はないそうである。
西欧の食は胡椒を求める文化があった。
これは1500年以上前から胡椒を求めている。
ひとつには味、そして保存にも効果があったからだ。
イスラム教徒が東洋の交易路をにぎってから
胡椒が西欧に入らなくなってしまったが
ベネチア人が交易関係を結んで流通させる
麻薬みたいだ。
やがて十字軍を率いてベネチア共和国が
コンスタンチノープル(いまのイスタンブール)
を攻略し胡椒の取引を独占的する。
シェイクスピアの有名な「ヴェニスの商人」は
こうした金の亡者なのだ。
独占された諸国も黙っていない
なんとか独自ルートをつかもうとする。
大航海時代である。
重商主義でも各国は東インド会社を設立して
植民地時代となる
こうした各国の攻防の後
流通が行き届くようになり、
胡椒の値段が下がり始めるのは
18世紀後半を待たねばならなかった。
こうしたインドとの交易などのかかわりの中で
インド人の食べているものが世界中に伝播していった。
国際通の方からよくきくのだが、
各国の両替商はなぜかインド人がやってることが多いという。
それはなぜであろう?
インドから来日する人も数多い
中国と比べて距離はあるものの、
インド料理の看板を掲げる店は多いことから
相当数の移民の方がいらっしゃるのだと推察する。
日本では、いわゆる”カレーライス”が明治期から
独自なアレンジと発展をとげて今日にいたっている。
なんといっても
企業努力の結晶ともいえる
カレー粉の発明が大きく寄与している。
インドになくて日本にあるものがカレー粉なのである。
してみると、本場であるはずのインドにはない
”カレー(curry)”とはいったいなんだろう。
語源としては
ヒンズー語説とタミル語説がある
ヒンズー語で薫り高いもの、おいしいものを表す
turcarriがイギリス経由で訛った
あるいは、
タミル語で米にかけるソース状のものをkariといい
それがポルトガル経由でヨーロッパに入ったときに
訛ったなど
諸説あり不明だ。
つまりは各国がインド料理を真似てアレンジした料理を
カレーというのであろう。
ビーフカレーは、牛を神と同等に扱うインドでは考えられない
というが、カレーである以上それもありなのである。
インド料理屋では正式には”カレー”も”カリー”もないのだ。
もうひとつ誤解を生んでるらしい料理に
サモサがある。
インドの揚げ餃子といわれるサモサだが、
実は中央アジアの料理だという。
マルコポーロの道を西へたどったあたりだ。
ラーメンの起源を求めていくと
どんどんマルコポーロの道を西にたどり
パスタと出会うという。
小麦粉料理であるこの餃子も
おそらくラザニアと出会うことであろう
といってもどっちが古い(起源な)のかは不明だ。
ヨーロッパとアジアがもつ”粉もの文化”は
雄大なスケール!
これにエキサイティングな香辛料の歴史が加わり、
食の一大ロマンを展開する。
さて、インド料理として思い出すのは
タンドールであろう。
ナンを焼く窯のことである。
ヨーグルト、香辛料をまぶしてつけた
鶏肉を串に刺して
この窯で焼いたものを
タンドリーチキンという。
インド北西のパンジャーブ地方の料理である。
鶏肉に揉みこんだヨーグルトの効果でやわらかに仕上がる。
パパドは、ひよこ豆から作った南インドの料理だ。
乳製品だが、
ヒンズー教徒は基本的に菜食主義なのである。
酒も飲まない。
なんでマトンや鶏はOKなのか
それはイスラム支配が続いた時代があるからだ。
じゃあ乳製品はOKなのか?
これにも少し誤解があって
私たちのいう菜食主義とちょっと違う。
ヒンズーの教えのひとつに不殺生がある。
ところが乳製品については殺さなくても摂取可能だからOKだ。
菜食主義ゆえに豆類を多くたべる
草自体を刈り取るわけでもないからだ。
誤解ついでに書くと
タクシーに乗ると会話の中で出てくるのが
バブルはもう起きないという話題。
しかし、それは実績を重んじていない考え方かもしれぬ。
2度あることは3度あるということなら
バブルは何度となく起きてきたのだから
起きないと考えるのはむしろ冒険かもしれぬ。
たとえばオランダで起きたチューリップをめぐる価格の高騰
これは清貧をモットーとするカルバン派でも起きるのだから
目も当てられぬ。
冷静なお国柄が収束を早くしたともいえる。
チューリップの球根に実質とは違う価格がついた。
過熱化したのは先物取引の導入が理由といわれる
お次はバブルの語源にもなった
南海泡沫事件である。
ヨーロッパでは戦乱が多く
イギリスは軍資金に窮した
それの金融ソリューションとして南海会社が登場。
スペインとの貿易をファイナンスしたが破綻する。
南海会社の株が急落したのは1720年。
同時代のダニエル・デフォーは、
コーヒーショップで株取引にも関与していたため
この事件を目の当たりにした。
小説にも、リアリズムとマニエリスムがある
前者はなるべく写実的に書こうとするが
後者は皮肉なようにやや過剰な描写をする。
なにが過剰になるか
それは、情報である。
デフォーの「ロビンソン・クルーソー」は
これでもかというくらいデータを浴びせてくる。
言葉と物、貨幣と価値は一対だ。
ただ、効率の良い取引のために信頼が伴わなくなる。
物に対して言葉が過剰になるとき
価値に対して貨幣が過剰になるのかもしれぬ。
その後 イギリスは、不動産バブルに見舞われたり、
鉄道狂時代を迎えたりする。
今はビックデータの時代、、、
とても危険な時代ともいえる。
いまは労働価値説が不安定だ。
働かなくても儲かる人がいるのはいつの時代も同じだが
一生懸命働いても食えない人がでて
ワークライフバランスという働き方の多様化もあり、
労働意欲の低下を感じる。
このチャンドラマ
「月の神様」という意味の店名なのだが、
IT会社(イーグルアイ)が経営母体のレストランだという。
980円の飲み放題があるのは安い!
パパドとビールを頼む。
見た目は辛くなさそうだが、とてもスパイシーだ。
タンドリーチキンもうまい。
カレーが出てくるまで時間がかかるが
インドでは、香辛料は直前に調合するのだから当然だろう。
チキンのキーマカリー
とライス
マトンカラヒだ。
このカラヒは家庭でもおなじみの味で
各家庭でご自慢の味があるらしい。
辛いものを食べるとなんだか元気になる。
景気なんて理論でなく気の持ちようだ。
スパイシーに経済が立ち直っていくことを願う。
参考:チャンドラマ
ひょっとこ
-vol.19- □■普段着の居酒屋■□
ーー2013年3月13日来訪ーー
変化がなだらかで、ゆっくりと進む。そんな印象の時間がある。
おだやかに、だんだんと変化していく時間も多くある。
それに対して、
変化が急激で、記憶にとどまる前に
大きなことが起こってしまうことも多々ある。
1900年代初頭、アインシュタインが相対性理論をとなえるやいなや、
ハイゼルベルク、シュレーディンガー、ディラック、ボーア
といった次々と天才たちが量子力学を確立していった。
その後30年以上、科学者たちはその理論の検証に追われる。
注目すべきは、同時代を生きた天才たちの
ものすごくて、すさまじいパフォーマンスである。
たおやかなる呼吸は許されず、息もつかず走り去る時のながれ。
1945年に核爆弾が破裂するまでその勢いはとまらなかった
といってよいかもしれない。
多くの情報が飛び交う昨今は、
情報の濃いと薄いをかぎわける嗅覚を奪われている感じがする。
本来の時間の流れを捉えるには
情報の取捨選択が必要であり、
選び取りのためには物事の本質をとらえる哲学が必要だと思う。
情報が空虚な空回りをしていると思うのは1995年にWindowsというOSが
インターネットを爆発的に全世界にばらまいたことが大きい。
それまでは、情報を発信する筋道が限られており、
しかるべき手続きを経なければ手に入らなかった。
それはそれでよかったのかもしれぬ。
思えば、95年を用意したその前の十年というもの、
60年安保、70年安保を経てイデオロギーも落ち着きをみせて、
成熟した経済のもと、やっと大衆が本当の力を獲得してきた。
産業がこぞって、しかも大股でIT化に向かう前のこの10年は、
情報の嗅覚がまだ麻痺していなかったと思ってもみるのだが、
そのあとに起こるバブル経済の乱気違いな騒ぎをみると
いつの時代も変わらないのかもしれないとも思う。
それでも、”1985年”という年は、濃い一年だといえる。
そして、濃い薄いが判断できる最後の年ではないだろうか。
この1985年は、
田中元首相が政界を病気のため退き、
ソ連のチェルネンコも死去した。
プラザ合意により、円が100円台に高騰した。
東北新幹線が開通し、大幅なダイヤ改正が行われ、
東海道新幹線も100系車両が登場した。
夏目雅子が白血病のためなくなり、
8時だよ全員集合が終了。
北の湖が引退し、
阪神タイガースが20年ぶりの優勝を飾った。
このあとバブルに流れ込むまで、
いろんなブームの仕掛けに、
人々が心地よくのっかる時代だった。
この後から現在まで、
ブームについて、
仕掛けが暴露されながら
なかば、しらけながらノル時代となる。
僕が居酒屋がすきなのは、
いまも昔も変わらないものを求めているのかもしれない。
ひょっとこは、ニュー新橋ビルにある。
昭和を思わせるポスターが店外にはってある。
つまみも奇をてらうものがなく、
酒の肴にぴったりの趣向。
実にいい。いいではないか!
グルメな食事は飽きるが、こういうものは飽きない。
ブームといわず、流行を追わず、
自分はこれ!って決めたものがある人がいる。
それを押し付けられるのは嫌だけれど
そういう人を見るのは楽しさもある。
ビールはこの銘柄!
つまみはいつもこれ!
変化はないが、そこに普段着のよさがある。
ここには、サッポロの赤星がある。
これにこだわる人も多い。
そのこだわりに根拠や理由なんか不要である。
こだわること自体を楽しんでいるのだから。
お通しは、メンマである。
突き出し、つまりはお通し
については3系統に分類できる。
どっちが上でどっちが下ということもない。
よければ値段をとられるだけなのだ。
一番多いのが流用派。
普段のメニューにあるもの、あるいはその一部を
突き出しに出すタイプである。
たとえば、韓国料理屋でナムルがメニューにあるとすると
そのモヤシを使ってお通しとするのがこれだ。
つづいては、大衆派。
メニューにのせるほどのこともないような品だが、
すぐ出せて、酒を飲ませることができる。
こちらもアテとして楽しくもある。
乾き物で代用するところもある。
入念派は、
メニューにないが、洒落た一品を挨拶代わりに出すタイプである。
客としてはお勘定をある程度覚悟する瞬間でもある。
料理の腕やおもてなしに自信があるタイプの店に多い。
ひょっとこのお向かいの だいだい が流用派、
ちいち が入念派なのに対し、ここは大衆派だ。
すぐに食べ終わることなく、
料理が出される隙間を、これでつなぐこともできる。
まずは、もつ煮込み
定番だ。
おっと、やられた。
うますぎる。
新橋は、もつ煮込み選手権があれば、優勝だ。
もつ煮通りのある浅草なんかが対抗馬だろうが、
あちらは大関。こっちは横綱である。
ひょっとこ、だいだい、ちいち
を新橋もつ煮御三家と呼ぶことにしよう。
ほたるイカ 沖漬け
これも定番だろう。
これもいい! 実にいい。
あっという間になくなることもなく、
酒に実によく合う。海の旨みと、
そして居酒屋に来たうまみをとことん感じる。
納豆のスタミナ和え
納豆とオクラに沢庵と長ネギを和えたもの。
海苔にディップして食べる。
なにげないものだが、とてもおいしい。
また飲みたくなる。
ビールを追加し、
ソラマメを頼んだ。
岩塩があわせてでてくる。
さや から取り出し、
少し岩塩をつけて 口に運ぶ。
うん。うまい!
何時間でも此処にいたい気分だ。
現実問題 まだまだ居座れるだろう。
友人が 終了宣言をして、smileに促すとわれに返った。
昨日からの風邪がいつのまにか治っている。
外国人のお客人が隣に座った。
こういう居酒屋に来てくれるのは、非常にうれしい。
なぜか、誇らしげな気分になった。
参考:ひょっとこ
==編集後記==
いついってもこの店は混んでることが多いです。
人が集まる店はなにかもっている。でも、意外に食べログとかに投稿はありません。
みんながとっておきにして、流行ってほしくないということでしょうか。
居心地がとてもよい店です。
とびきり贅沢なメニューが並ぶわけではありませんが
ほっとできるような普段使いできるお店を
みんなが求めているのかもしれません。
酒の魚 和海
-vol.18- □■新橋の竜宮城■□
ーー2012年8月13日来訪ーー
新橋は臓物に冠する店が多いと思う。
しかし、 立地を考えれば海鮮のものだって当然手に入る。
築地から、銀座を経て新橋。 たいした距離ではない。 自転車だって買い付けは可能である。
新橋には、魚金グループをはじめ海鮮を扱う店はたくさんある。
今まで紹介できていなかったのは、 漁港の沼津を故郷に持つゆえの驕りかもしれぬ。
今日はサッパリと刺身で一杯やろう。
刺身というのは料理法として、単純にも思える。
構造主義のレヴィ・ストロースが料理法について、 生のもの、火をかけたもの、熟成させたものに分けた。
火にかけたもののうち、焼くより煮るという調理法の方が失敗がないので、 より高いところにおかれる。
生のものは、低い地位だが、一つの分類法という便法にすぎない。
たとえば、小中学の調理実習が、刺身だったらと考えてみよう。
ひょっとすると、材料はすでに切り身になっていて、
皿に移し替えるという実習ですんでしまうのかもしれない。
そういえば、小中学のときに読まされた「人魚姫」は、
王子を助けた事実を伝えられないまま死を選ぶというせつない物語であった。
生のままで食べるというのも、なんとなく、 せつないような、罪深いような印象を持つ。
焼こうが煮ようが殺生することには変わりがなく、
文明的にどうのこうのいうのは、人間のロゴスにすぎぬ。
刺身を食べさせるには、店としては、それなりの構造というか、 システムを持たないといけない。
文明的な面からも、冷凍技術や運搬技術の発達なしにはできないし、
作り手も安全についての配慮や姿勢が問われる難しい料理である。
このあたり、刺身のウンチクについては、
『さしみの科学』の畑江女史にゆずろう。
魚の下処理のバリエーションもひろく、
なによりも、切る技術についても、長年の修行が必要である。
道具だって専用の刺身包丁を使うのは無論、 それにだってこだわりがある。
日本橋には、木屋や うぶけや という刃物専門店がある。
いずれも江戸時代からの創業だ。
新橋の「和海(なごみ)」は美味しい刺身を食べさせてくれる粋な店である
店に入ってカウンターに座ることができた。
見上げると、天井は、骨組みが突き出た梁が見える。
店員さんたちの元気な声が、なんとも心地よい。
江戸時代にも人魚が登場する話がある。
山東京伝の「箱入娘面屋人魚」は、
浦島太郎と乙姫との間にできた人魚を、釣舟の平次が助ける。
舞台は中洲新地、隅田川の三又中州が埋め立てられてできた淡水と 海水が混ざるところで、
水産物も豊富だったのだろう。 富永町という一大歓楽街となり、
私娼の蔓延るほどの賑わいが、 お上の逆鱗にふれ、寛政元年に取り払われる。
取り払われたはずの中州は、 海底に潜り”竜宮城”に移転していたという見立てから物語が始まる。
日本橋にあった魚河岸が明治になって築地に移転した。
築地は全国から魚介類が集まり、 まさに、現代の竜宮城さながらである。
この巨大な迷宮からお目当ての魚を仕入れるのには、目利きがなければいけない。
旬な魚に関する知識も並大抵ではいけない。
和海のメニューをみると、今日の日付が見えた。
きいてみると、日替わりでのメニューの提供だということである。
寛政元年は西暦では1789年でちょうどフランス革命の年。
吉原が人形町から移転になったのは1656年。
移転から100年以上を経ていた。
山東京伝のプロデューサー というべき蔦屋重三郎の茶目っ気で、
吉原移転も踏まえての仕掛けかもしれない。
出だしが、「ゆく川の流れは絶えずして、、、、」
この黄表紙のプロットが非常に愉快なのだが、 平次に助けられた恩返しをと、
魚人という花魁になって身を売るが、 生臭くてとても客がつかない。
この魚人の鱗をなめると、若返るというので、アンチエイジング事業に乗り出す。
ところが、裕福になった平次も欲が出て舐めだし、舐め過ぎて、7歳になってしまった。
そこで浦島太郎(義理の父というわけだ)が登場して、玉手箱でもとの通りに戻る。
一方、舐められ過ぎた人魚もすっかり鱗が剥げ落ちて、 人間となり、幸せに暮らしたという。
アンデルセンが、人魚の物語を書くのが1836年なので、 それから先立つこと40年あまり。
江戸の想像力は本当にすごいと思う。
平次夫婦が住んだ場所が、今の人形町。実は人魚町が由来としゃれる。
和海の女店員さんたちは、みんな きれいな人ばかりで、
さながら、 竜宮城に迷い込んだようだ。
突き出しは、高野豆腐におぼろ煮をかけたもの。
胃に食欲を与えてくれる様な落ち着いた感じになった。
表に “本日入荷”という文字が見えたので、岩牡蠣を頼んだ。
岩牡蠣は海のミルク。実に芳醇だ。
品種・産地が違うのか、通常の岩牡蠣よりはやや小ぶりで身がしまっていて、
磯の香りがみずみずしく、軽やかだ。
慌てて、銀盤(日本酒)を頼んだ。
海のものにはやはり日本酒が合う。
お造りがきた。
タコからいく。さっと茹でてある。
生ダコのプリプリ感はないが、上品な風味がたまらない。
タコの旬は、面白いことに、関東では冬、関西では夏だ。
春から夏にかけて産卵期なので、夏のタコはやや薄味とのこと。
すっきりした味を強調したのか。
カンパチ
ブリやヒラマサは冬が旬だが、カンパチは夏から初秋が旬だ。
つづいて キハダマグロ
クロマグロの旬が春で終わったあとは、キハダマグロに選手交代する。
よく動く魚でミオグロビンンを多く含む。あっさりとした赤身が特徴だ。
カレイ
ヒラメの方が重宝がられるが、味はカレイの方が濃厚だ。 エンガワと一緒に盛られている。
ヒラメは養殖が多いため、カレイの方が無難。 昆布締めにせずとも良い味だと思う。夏が旬だ。
鯵は、活〆にしてあるのであろう。 身のしまりよりも旨味がひきたつ方を板さんは選んだらしい。
そして、 真イワシ
こちらも鯵同様、片口イワシは、身のしまりを楽しむが、
真イワシはねっとりとした脂の旨味を味わう。 これも今が旬だ。
どの魚も旬なものである。 浅薄な先入観におもねることなく、
美味なる旬を堂々と盛り付ける、まずもって見事なお造りである。
実は久しぶりに美味しいさかなを食べたので感動が増したのか、 しばし陶然としてしまった。
そこで、やや わがままにもなり、
オススメのお造り(この日は売り切れ990円)と10種盛りのお造りの両方にノミネートされている
〆サバを単品で追加できるかきいてみた。
できます!とのこと
自慢の一品らしく,実にねっとりと下にまといつくサバの脂と、 身の旨味が渾然と口に広がる。
米焼酎 山セミを追加した。
白身さかなによく合う焼酎だというが、〆サバとの相性も上々だ。
本来酒が弱い自分はすっかり酔ってしまった。
夏の宵せっかく竜宮城にきたのだからと、ガーリックチャーハンにつみれ汁も追加。
なぜかチャーハンまでうまい。
つみれ汁がうまいことはいうまでもない。
フェルナン・ポワン以前の時代には、
フランス料理には、バターが夥しい量で使われていたのだ。
革命を起こしたのがポワンである。 素材との調和を大事にする姿勢は、
弟子のポールボキューズに引き継がれる。
ボキューズたちは、ヌーベル・キュイジーヌという時代をつくりあげる。
この時代を代表する一人のベルナール・ロワゾーは、軽さを追求し、 バターを水に置き換えた。
素材の味を際立たせる方向なのだ。
しかし、この流れは混乱をきたす。
ただ薄味にすればよいという料理がでてきて玉石混交となってしまった。
単なる手抜き料理ではない料理とはどんなものか。
エスコフィエ、ロブションなどキュイジーヌモデルヌが古典復活の要素を取り入れた。
というような変遷をみるにつけ、 刺身という料理は究極の料理ともいえよう。
素材の味そのものであり、かつ、手抜きではない。
新橋でも 刺身の美味しい店を発見できたことは、
大変うれしい収穫であった。
今度はオススメのお造りに間に合うように来よう。18:00ごろらしい。
参考:酒の魚 和海