ホルモン屋 だん
-vol.8- □■平和とホルモン■□
ーー2012年9月21日来訪ーー
闇市にホルモンが出回ったのはなぜか
という問いがあるが、突き詰めると、
精肉と内臓肉とどっちが先に流行ったのかという問題の類題である。
研究家たちの間でも議論になる難問だ。
焼肉は、内蔵焼肉が元祖だ、いや、それは違うと紛糾する。
少しだけその尻馬に乗ってみよう。
内臓を食することに抵抗があった世相があったという。
この説を後押しするものとして、
闇市に羊頭狗肉が本当にあったというひどい話もある。
昭和21年の新聞記事である。
野犬捕獲人の鑑札を悪用し、ゴロつきを4人集めて、船橋や市川などで犬を殺し、新橋の露天商に、皮や毛皮、肉を売っていた男が逮捕された。
当時のお金で3万円も稼いでいたという。
犬も戦争の犠牲者だ。
酒もひどいもので、
カストリ焼酎といって出されていた酒がある。
粕取が語源で、酒粕に残っているアルコールを蒸留して作った酒を指す。
正規品は高いので、これを密造する。
お粗末な精製の仕方なので、酷い臭いがしたという。
さらにこれを工業用アルコールで、水増しした。
ときに、メタノールも混じっていた。
メタノールは体内で分解されると、蟻酸という毒性物質に変わるため、視神経をやられた人が30名も出た。
食糧難は、人間らしい食文化を奪う。
2度とそんな時代を繰り返してはならない。
たしかに、闇市で取り引きされた物資は品質の粗悪なものがあったのだろう。
内臓苦手論は、ほとんど捨ててしまうものを利用させたからと導くが、
私は疑問が残る。
生産性を考えると希少ともいえる内臓の量、
そして、痛み易いのにわざわざ手間をかけるのは、なぜだろうか。
牛肉の食べ方は、朝鮮の方々が教えてくれたという。
当時の焼肉とは、直火で炙ったものでなく、
唐辛子やニンニクの含まれた醤や味噌で漬け込んだ肉を野菜と一緒に炒めたもの。
焼肉定食の焼肉を思い出す。
この肉には、精肉もあったが、内臓もあった。
匂い消しのため、辛味をつけられた肉を頬張り、
ふぅふぅと汗をかきながら強めの酒を煽る。
肉体労働者の集まる店には、こうした光景がみられたのだ。
闇市の頃つまりは日本の敗戦後、帰国した朝鮮の人の数は100万人ともいわれた。
これによって内臓の消費先がなくなったため、余ったホルモンを安価で流したというが、これは、内臓を日本人は食べないというデマの片棒に過ぎないように感じる。
万葉集に鹿の内臓を薬として食べた薬狩りを示す長歌があるし、このあとの時代も途切れることなく内臓を食べて来た。江戸時代の「薬喰い」がいい例だ。
つまりは、私見では、ただ単に、
内臓を食べたい欲求があったから流行ったのだと思う。
日本は明治まで、肉食の習慣がなかったというのはデマである。
キジ、ウサギ、タヌキ、イノシシなどの狩猟、食肉はずっとあったのであり、
家畜の肉や牛の肉を食べなかったに過ぎない。
牛が、仏教では禁忌されることも影響があったと思う。
文明開化のとき、牛鍋屋が登場する。
仮名垣魯文が牛鍋屋の様子を描いたのは有名だが、
庶民に広まったのは、牛めし屋。
当時の”食道楽”という雑誌に作り方が紹介されているが、
材料は内臓が主だと記されている。
このモツの牛飯は昭和初期まで人気が続いたのだ。
古川緑波の悲食記にも登場するし、
永井荷風の断腸亭日乗には、
「深川門前仲町あたりの屋台店にて煮込みというものは、牛豚などの臓物を味噌で煮たるもの」
とある。
牛飯が、今の牛丼のような精肉に変わるのは、昭和初期である。
伊藤晴雨という画家が書いた書物には、モツの牛飯が消えていくのを嘆く。
この頃内臓から精肉への変化があるのについては、冷蔵技術の向上がある気がする。
煮込みで使用するものは、茹でて出荷されていたか、
仕入れのあと、すぐ茹でていたのではないだろうか。
ホルモンを生で仕入れて、自分で焼いて食べる形式の店は、
大阪猪飼野の「とさや」が元祖とのこと。
この地区には精肉の焼肉店が多数あり、内蔵焼肉が出てくる素地があったという。
精肉焼肉が先だという論は、このように論理展開する。
ともかくも、食糧難のなか、ホルモンは闇市で復活する。
そもそも、このホルモンという名称は、
大阪の北極星産業の北橋社長が食物に名付け商標登録した。
元来、体内の分泌物質を指す医学用語であり、
化粧品などに使われた名前を食物に転用したのである。
闇市から組み上がってできた新橋には、多くの「ホルモン」がある。
焼き鳥の代用として臓物串焼きが多いという経緯なのだが、
当然、ホルモン焼肉の名店もある。
ホルモン屋 だん
七輪で新鮮なホルモンを焼いて食べるのは、
それだけで、なんとも元気がでるシズルだ。
牛ホルモンの5種盛を頼んだ。
いきなり、ミノサンド。
ミノは通が食べる代表的な部位だと
モランボンの焼肉のタレを開発したチョンデソン氏が書いている。
ミノの食感は、なんとも胃に心地よい感じだ。
そのミノにジューシーな脂が挟まった希少な部分をミノサンドという。
ミノのトロとでもいおうか。
しゃくっとミノの食感を味わうと、じゅわーっと脂の旨味が広がる。
マルチョウ。
筒状に輪切りした中央部分に、ぷにゅぷにゅとした脂がある。
うほっと、声がでてしまった。
肌によいかもしれない。
シビレ。
胸腺の部分である。
リードボー(ris de veau) という呼称は仔牛にしか使えないそうだ。
西洋では出汁のもとであるその部位。
コクがあり、味わい深い。
ハチノス。
見るだけで、滋養に良さそうだ。
イタリアでもこの部位は好まれ、主に煮物で登場する。
韓国でもコムタンスープに用いられる。
旨味も強い。
センマイ。
生で食べられるものなので、炙るだけ。
香ばしさも加わり、うまい。
刺身も食べてみた。
新鮮な感じがよくわかる素晴らしい一品だ。
最初はビールだったが、
モツには、やはりホッピーがよく似合う。
じゃりん子チエでも登場するホルモン焼きにバクダンという
組み合わせを想起してしまった。
風体は庶民のフリをしているようで、
ここの肉の味は超一流だ。
勢いがついて
豚のホルモン三種盛り
を追加した。
豚たん、のどなんこつ、ホルモン、
中央上がシロコロだ。
あれ? 4種ある。
シロコロがホルモンの切り方を変えたものなので、
ノーカウントのご愛嬌のサービスだろうか。
なかでも豚たんは、いわゆるタン元と言われる部分。
食感と旨味が凝縮された感じだ。
レモンであっさりと食べた。
どれも新鮮で、
肉の味を知り尽くした下味がついている。
素晴らしいホルモン焼きだ。
もうホルモンが先か精肉が先かはどうでもよくなった。
昭和22年に東は「明月館」、西は「食通園」がそれぞれ焼肉料理店を開業し、
焼肉の日本文化の礎となった。
日本人による焼肉屋の経営は歴史が浅い。
1988年ソウルオリンピックの年のパルパルが最初だという。
そのはるかに前から日本人の肉食文化を支えてきた国がある。
平和ボケといわれてもよい。
新鮮なものが美味しく味わえる
この日々の幸せを後世まで絶やしてはならないと感じた。
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