鯛麺真魚


-vol.17- □■融合のこだわり■□

ーー2012年9月25日来訪ーー

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枕草子226段には、紀貫之が登場する。
ある夜、馬が急に立ち止まってしまい 前進も後退もできなくなった。

空からは大雨が降ってくる。

宮主が来てそこは、蟻通明神の宮であるから、
馬から降りなくてはいけなかったと説くと、

紀貫之は、詫びの印にと

「かきくもり あやめも知らぬ大空にありと星をばおもうべしやは」

と詠んだ

馬はたちまちに元気になり、雨は止んだ。

ありと星
と詠んでいるが、実は”蟻通し”である。

唐の皇帝が日本の知恵を試そうとして、
七曲の水晶に糸を通せといった。

蟻と蜂蜜を使って見事にこの難題を中将が解いて知恵の神となったという、
すなわち蟻通明神である。

「蟻通」は、世阿弥が能の謡曲に仕立てている話で、
そこでは、姨捨山の老人の知恵として、紹介される。

紀貫之の立ち往生は、
鈴木春信が 笠森おせんとして復活させる。
「雨夜の宮詣で」という美人画である。

唐というのは、日本にとって脅威の存在であったのか。
明神がこれを退散させる話はまだほかにもある。

たとえば世阿弥の「白楽天」。

唐の皇帝は日本の知恵を試せと、

大詩人 白居易を日本に派遣する。

詩の詠み競べをしようというのだ。

漁夫に対して、
『青苔衣を帯びて巌の肩にかかり 白雲帯に似て山の腰をめぐる』
と詠む。
(大人げなくないか、、、、)

しかし、この漁夫は即座に、
『苔衣着たる巌はさもなくて きぬ着ぬ山の帯をするかな』
と返歌する。

それもそのはず、この漁夫は実は、和歌三神の一人 住吉明神が化けていたのだ。

漁夫がなんて素晴らしい歌詠みをすると驚いていた白居易を
風を吹かせて帰国させる。(気の毒に、、、)

尾形光琳は、この謡曲を見事な屏風にしたてている。

四条流庖丁式という故実があるが、
手を食材に触れずに、真魚箸と庖丁で調理する。

長崎の諏訪神社では
住吉大祭のときに、鯛をこの式で調理し、豊漁祈願として奉納する。

日本は花は桜、
魚は鯛と江戸では云われていた。

鯛は焼いても煮ても刺身でも美味で、実に複雑な味覚を呼び覚ます。

淡白に思える味から想像もできないほど濃厚な出汁がとれる。

新橋は焼き鳥の名店 鳥藤の隣にある

鯛麺真魚の主人は、いいスープができたので、
この店を開いたという。
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品数は多くないが、
様々な料理がメニューに上っている。
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このスープを活かすために辛味と合わせてラーメンを出す。

味が想像できない。

身のほのかな甘みがどうなってしまうのだろうと心配になる。

中華料理の前菜で、鯛などの白身魚と、レタスやキャベツなどの野菜を使い、
ワンタンの皮をあげたものを乗せる。
さっぱりとしたドレッシングをかけていただくサラダのような一品がある。

ヌーベル・シノワーズという名にふさわしい 和と中華の清々しい競演だ。


日本の短歌の伝えたいことは、本当は小説くらいの長さの文章らしい
それを5・7・5・7・7 の31文字に凝縮する

でも今度はその短歌を
聞かされた方の想像力がくすぐられる
自分の実経験を思い起こし、言葉から想念が次々と広がり、
一冊の小説のような思いを構築していく

言外の情報のほうが溢れている。
そんな状態。

何を書くかよりも
何を書かないかということ
そして、芯を残す
残ったものはどうしても伝えたいことそのものであるかも
知れないし、伝えるためには残さなければならなかったものである

洗練というとそれまでであろうが
思考としてその方がよく伝わることもあるのであろうし、
沢山言葉を紡ぐより雄弁ということもあるであろう

だからいい。


素材の味を引き出すというが、
それも同じく 引き算が入っている。

鯛の骨は、必ずボイルして余計な脂を落とす。

これが引き算だ。その上で出し汁をとる。

強烈なもの同士で喧嘩させると味も強くなるが、
濃厚すぎて飽きがきてしまう
強すぎる個性を抑えることで、素材の味が引き立ち、
あと一口食べたいという気を起こさせるのが料理には肝要だ。


天下一品のラーメンのような鶏だしの強烈な直球は胃にこたえる。
(若い時分にはそういうのがいいのだが・・・)

鯛も同じ製法で作ると、かなりの魚臭さになるのではないだろうか。


鯛茶漬けに胡麻ペーストは風味を盛ったりする。

風味を盛るほど、いわば削ぎ落とされているから 美味しい。

性格の違うものを合わせて両方の輪郭を曖昧にし、

そこから各々の個性を引き出すのである。

胡麻があるから鯛を感じる。
鯛があるから胡麻の風味を感じる。

この店のラーメンも辛味を加えているのはそういうことではなかろうか。

そのラーメンというゴールを目指して
まずは、刺身をいただいた。

今日の鯛の刺身は、胡椒鯛だそうだ。

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多国籍なものも一品頼んだ。
イカのハーブ炒めである。
ニンニクとバジルの効いた一品。

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ハイボールで人心地つけてラーメンを待つ。
店内は落ち着いた雰囲気だ。
ずっと座っていたいような感覚をもった。
柔らかい物腰のご主人から、元々は小料理屋だったのを改装したことをきいた。

ラーメンはハーフにもできます

といわれたが、そのまま一人前頼んだ。

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うまい。

実にうまい。

長い間、新橋で美味しいラーメンを探してきたが、まさにメーテルリンク。

鳥藤の隣にあったとは、、、

スープは、唐辛子の風味がきいていて、鯛の風味も実によい感じ。

具の中でチャーシューの代わりに鯛の身が、

支那竹の代わりに、筍が使われていた。

甘みがラーメンを引き立たせる。

麺は浅草開化楼。

細麺だったので、思わず主人にきいてみた。
「細麺もあるんのですね」

するとご主人
「このラーメンに合う麺をさんざん試食させてもらいました」

優しい中にも こだわりの芯が感じられる。

スープをわざと残し主人に渡すと、〆の おじやになった。

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フランス料理では出し汁のことをフォンという。

フォンドボーとは仔牛の胸腺を煮出したものである。

魚出しで有名なのは、フュメ・ド・ポアソン(fumet de poison)という技法。

鯛や平目をまずは野菜などと炒めてから煮出す。

西洋でも出汁に、日本と共通の素材が使われていることを想うと、実に愉しい。

酒井抱一は、尾形光琳を発掘したという。
この人物なくては、光琳は有名にはならなかっただろうとされる。
その光琳は、西洋のジャポニズムのきっかけを作ったのだから歴史は愉しい。

抱一が光琳をフィーチャーして、
光琳は日本の絵画をフィーチャーさせる作品を多く残した。

料理もまた芸術。

風神によって吹き飛ばすのでなく、
盛んに融合し、お互いの個性を引き出す関係でありたい。

参考:鯛麺真魚(タイメンマオ)

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粟田口

-vol.16- □■青猫のまなざし■□

ーー2012年11月2日来訪ーー

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世界を一冊の本に閉じ込めたい。

18世紀末の知識人や天才たちの野望であった。
野望と書くと大げさかもしれない。

時代の要請(History of Ideas)のまま
それで動かされた欲望のままに書きつけたにすぎない
ところもあるからだ。

遠くに出かけていかなくとも、
すぐそこに事物がある。
捲るとそこにすぐに見つかるシステム。。。

時刻表の魅力も同じ種類のものだ。
実際に鉄道に乗るのもよいが、
乗らなくても疑似体験ができるのである。

書きつけることが所有につながる欲望である。

風景画などの流行もその欲望に関連がある。

そういった啓蒙思想から神に代わって
この世を書ききるというダイナミスムには、
野望といえるものも含まれていた。
その欲望の先には普遍言語の構築があったのである。

事物を表す”リアルな”言語を創設の研究は、
1666年 ロンドンのロイヤルソサイエティが推し進めたもので、
その”閉じ込めたい”という思想の原動力となったが、
システマティックなバベルの塔は崩れ去る。

しかし、それが分類学(タクソノミー)を産み落とし、
そして、百科事典編纂を掻き立てる。
(ディドロ、ダランベールの夢。)

19世紀には百貨店(デパート)が出来上がり、
進化論の開花へ向けて”系統だて”の下準備ともなるのである。

バベル塔の崩れた理由は、そもそも人間が
ものを認識する仕方の取り違えにあるのであるが、

それは
簡潔にいえば、
システムを破壊したい情動があるからである。

ハプニングや、発見のよろこびは、
このシステムからは生じないのである。

地図の空白を埋めるのとは別の仕方で
街を歩き、フラっと立ち寄る。
こんなとこにこんなものがあるんだ。
という 
出会いの喜び、

閉じこもっていてはわからない肉のリアルとの干渉。

システムでは排除された偶然そのものの感動があるからだ。

しかし、効率を考えると、
それをもシステムに包含したいと望むであろう。

萩原朔太郎の「青猫」では、
都会の建築を愛するのはよいことだとしながらも、
そこの裏町の壁にさむくもたれる猫の目の夢を描いた。

伊藤晴雨は、明治政府の太陽に背を向け、
責め絵を描く。

彼は性的には不具であったが、
ひたすら幼き頃にみた折檻の打ち震えを描く。

一方で江戸の考証に熱心にし、江戸の風俗を再構成に挑む。

情動とシステムのはざまに生きる。

美人画家 竹久夢二のモデルにもなった お葉。
責め絵のモデルもやっている。

時代を作り上げる芸術は、無頼派も含めて
みな交流がある。そして女たちもそこにある。

芸術だけではない。政治運動家も情動の交流がある
有名すぎる例でいえば 伊藤野枝と大杉栄。

政治活動という大義
芸術という大義

それらは、
情動の綾が縫い合わさって、
矛盾への怒りと重ねあっていく…

明治が用意した壮大なシステムのはざまで、
大正ロマンは息づく。

それが、昭和モダンへと引き継がれる。

池波正太郎が、フランスへ行った際に立ち寄る居酒屋がある。

モンパルナスの”クーポール。”

そこには、ピカソもキッシングもいた。
そして、マン・レイも、そのモデルのキキもいた。

時代は情動が作り、その情動の舞台には居酒屋がある。

芸術家が集い、構想を整理したり、
またデガダンに流れたり、そして壊したりしたのであろう。

壮大な芸術を立ち上げながら、
一方で、決して正統とはいえない、
月の光に冷たく照らしだされていくもの。

そういったものが昭和にも息づいている。

モデルのキキは、藤田嗣治も描いている。
藤田氏もクーポールにいた一人だ。

藤田の描きだす線。
マン・レイがカメラを使ってコラージュする構成。

世界を魅了する線や構成の向こうにはキキがいた。

さて、
サラリーマンの街といわれる新橋。
そこには酔ってくだまくリーマンが、
頭にネクタイのハチマキをする姿を想像するが、
それは、それ。

来てみて、実際に歩いて味をみないと
やはりわからないことばかりだ。

インターネットというファッサード的システムから
のぞいても
わからない居酒屋の舞台の情動がそこには息づく。

今日訪れた 珠玉の店「粟田口」は、
SL広場を抜け、
目抜き通りともいえる新橋仲通を内幸町方面にいったところにある。

地下にある店である。

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造作も素晴らしい
清潔さと情緒を兼ね備えた上品さが漂う。

サッポロの黒生の生をいただく。


突出しは2種。
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この日は、シメジの菊花あえと、ゴマ豆腐である。
素材の味をいかした上品な味の競演。

これで一気に食欲に火がついてしまった。

カツオのたたきサラダ。
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大振りに切ったカツオ。
この時期は脂がのっていてうまいのだ。

ニンニクチップスがきいている。

たっぷりの針とうがらしが、
食欲を増進させる。


ふぐの薄づくり。
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コリコリとした食感の官能的な心地よさと、
ふぐの身の ほのかな香り

それを存分に味わえるこの厚みが絶妙である。

作り手の丹念さがそこに光る。

合わせる酒は酔鯨

馥郁たる香りがまた料理を引き立てる。


豆腐の味噌漬け。

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添えられたキュウリに乗せて、
極上のもろきゅうとなる。

味噌の発酵と豆腐の食感が、まったりとして、
食卓のアクセントとなる。


どの料理も、気品を醸し出すまで磨かれた技が
感じられる。

大山鶏の黒こしょう焼き
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驚くべきはこの焼き加減。
一箸ごとに、鳥の旨みが伝わってくる。

うまい。

心地よくなってきて、
合わせる酒も蒸留酒、
芋神という焼酎のロックになった。

さらに、鰆のウニ味噌焼き
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あっさりした鰆に
海の幸のウニの香りとうまみを乗せる。
大地の味噌がうまくとりもつ。

酒にもぴったりだ。

もう少し食べたくなったが、ここらで打ち止めにして
次回来訪のお楽しみとした。

店員の接客、サービスもすばらしい。

料理の味、店の雰囲気、人のサービス。

まさに3拍子そろった店である。

デガダンに流れた、
自分の心もなんだかシャキっとした。
明日への英気もいただいた感じだ。

新橋の名店を発見した。


ドアを開かなければ
わからないものがたくさんある。
そんな情動と興奮がそこにある。
その興奮にからめ捕られ、

もはやそこに熱はないのに、
感情を浪費してしまう
デカダンもあれば、

興奮をシステムにからめ捕って
作り上げる技もある。
システムは何かが欠如しているから
作られる。

その欠如を埋めようとするのは
哀しいほど深い情動だ。

ときとしてその情動は、
誰からも振り向いてもらえずに
そこにひっそりと輝くものである。

それを一つ一つ
拾い上げていこうと思う。

そして、ドアを開けて
そこへとそっと置いていこうと思う

さまざまな思いの拮抗が
店に入り、騒ぐ。

そんな騒ぎができるのも、
居酒屋というサーバーがしっかりしていればこそ。

今宵は昭和モダンに身をよせながら、
平成への活力を得た気がした。

参考:粟田口

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韓国家庭料理 高馬宇

-vol.15- □■絶品のトッポギ■□

ーー2012年11月24日来訪ーー

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烏森口の路地。
天ぷらや、焼き鳥屋などの看板が両脇に並ぶ。
どの看板も、どこか古めいている。

ピンクなお店の呼び込みの嬌声を、ひやかしで受けながしながら進む。
右手に 高馬宇 という韓国料理の店を見つけた。


数日前から冬将軍の足音がたしかに大きくなっている。
温まりたかったが、
なぜかメッチュ(ビール)を頼んだ。

カルビの小札につられて、入ってきたので、
焼肉にはビールだという決めつけが
こういう頼み方になったのだ。

メニューをながめる。
おすすめに印がつけてある。

そうしているうちに、お通しがきた。

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卵焼きだが、固めの茶わん蒸しともいえるほど
出汁がたっぷりときいていて、ほっとする味だ。
ニラとネギが入っている。

なにより、温かいのがちょっとうれしい。
とにかく外は冷える。

カルビと脂ホルモンを選んだ。

キムチも、と、追いかけて頼む。

店内は、われわれが入って、ほぼ満員となっていた。
1階は奥行は狭い
2階にも席があり、
我々のあとから入ってきた客は2階に通されていた。

銘々のテーブルで話が盛り上がる間を
男性の店員が颯爽と行き来する。

実にキビキビとした所作である。
頼もしく、男らしいオッパの動作である。

キムチが来ていた。
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色鮮やかだが、酸味が少しきいていてコクがある。

本場のキムチがうまいといっても
本来は意味をもたない。

キムチは家庭家庭で味が違うのである。
それだけで、相対主義を超える。
だから”本場のキムチ”というのは幻想で存在しないということだ。

でも、本場のキムチはわれわれの頭の中にはちゃんとある。

幻想といえば、
岸田秀は、人間は物語を描きたがる生き物だといった。
それを共同幻想とし、唯幻論と自ら名付けた。

アメリカは、イラクに核施設があるという幻想をもった。
その幻想のもと、軍を派遣し、爆弾をたくさん落とした。
石油の利権に絡むことだったというのは、ひからびた後日談だ。

それよりも、
幻想によって国が動いたということに興味がわく。

アメリカだけではない。
万世一系の菊とそれを否定する葵だって、
幻想と幻想の対決であった。

それをイデオロギーと呼ぶより、
脳天気なステレオタイプを描けること
その幸せをかみしめるべきなのかもしれない。

鉄なべがきた。
ん? 周りに食パンが置いてある。
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きいてみると、

「余計な肉汁を吸うのです。」
と笑顔で答えてくれた。


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カルビを焼く。

肉を乗っけるとジューっという音がする。
7割ほど焼いて、ひっくり返す。

あとは色が変われば食べごろだ。
うまい。
熟成した肉にタレがしみこんでいる。

ぐびっと ビールを呑む。

店内を見渡すと、みんな笑顔だ。

牛肉を食べると元気になる。
幻想かもしれないが、ともかくも元気になるのである。

若き頃、韓国の留学生の飲み会に誘われたことを思い出した。
新宿歌舞伎町のビルの中。

とにかくたくさん飲む。
でも、乱れないというか、目上をたて、礼儀を残す。
相手を重んじるのである。
気が付くと相当に酩酊してしまったが、まだ酌をすすめる。
断っても杯は満たされる。
最後はカラオケ装置なしで、歌なども飛び出すいきおい。
朝までそのビルの中にいた。

本場のプルコギはどうだとか
日本における焼肉の歴史などは、どうでもいい。

それがどんな物語でも焼肉のいまここは変わらない。

韓国の人々の”いまここ”で、
目の前の相手と飲むという行為へのなみなみならぬ集中力を感じた。
明日仕事があるとか
家に帰れないのはやばいとか
そういうことは一切打ち捨てて、
今、こうして、お前といっしょに飲んでいるんだ!
楽しくやろうぜ!
ただ、それだけ。

エンターティナーという言葉が浮かんだ。

たしかに、物事はおしなべて、いろんな背景を包含している。

後から、分析もできるだろう。批判もできるだろう。

でも、それらは所詮、藪の中だ。

”いまここ”でファンタジーとか幻想のいいわけは後回しである。

そういう潔さというか
韓国の人の男らしさを感じた。

そんなことを思い出したのは、
心が少しだけ若返ったせいかもしれない。

胃も若返ったか、脂ホルモンを注文した。
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脂ホルモン。
文字通り、脂がたっぷりついている。

脂をまず焼き、すぐにひっくり返す。
周りに火が通ったら、中まで通るように遠火の場所に移し、じっくりと。

仕上げに、脂を下にして、余計な脂を焼き切る。

・・・なかなか切れないので、そのまま、タレにつけて口に運ぶ。

はふはふ。じゅわーー。

うまい。

無煙ローターはついていないので、
みんなで、この煙を共有する。

それもまたオツだ。

酒をハイボールにかえ、
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オイキムチを頼んだ。
唐辛子をつかっていない。
さっぱりとした味だ。


楽しいと食欲も増す。

トッポギを追加した。
こんなにうまいトッポギはいままで食べたことはない。

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もう20年以上も前のこと、
韓国人の友達と親しくなって、
彼の大阪のおばあちゃんの家に連れて行ってもらったことがある。

そのときに、おばあちゃんの手料理をごちそうになった。
ウゴジスープのクッパが非常においしかったのを覚えて、
東京に帰ってきても、百人町に足を運んだりした。


今は下火になってはきたものの
韓流ブームで、
新大久保は観光地めいた趣になって、
そんなに感動を味わえなくなった。

値段も結構する。

そういう状況で、
新橋の烏森口で、
おいしい韓国料理が食べられるとは!
素直に感動してしまう。

新橋の場末の路地で、みつけた おいしい店。
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こんどは、部隊チゲでも食べに寄ろうと思う。

参考:高馬宇

 ==編集雑記==
この店は、新橋の韓国料理では創業20年の草分
本当においしい。
新橋の韓国料理は、店舗数も多くはありませんが
こんなにおいしい店があるならと
なんか納得してしまうほどです。

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中国家庭料理 玲玲

-vol.14- □■中国の醤 ■□

ーー2012年9月5日来訪ーー

 

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世界三大料理という言い方がある。

フランス、トルコ、中国を指すらしい。

どれも世界各国で馴染みがある料理である。

世界の高級なホテルではフランス料理が供されているし、

日本の都市の街角でもドネルケバブの屋台がみられる。

中華料理に至ってはヒマラヤの麓でも中華料理屋があるそうだ。

いわずもがな、新橋にも新橋亭という大店(おおだな)があり、

烏森側にも、蘭苑(※1)という うまい店が点在する。

ニュー新橋ビルの地下1階も若い女性が店の中に誘う声掛けをする姿がよくみられる。

名物といってもいいであろう。新橋と中国の魔都はどこか似通っているのかもしれぬ。

三大料理にインドが入っていないのは、分類方法によるのであろうが、

手落ちとしか思えない。カレーは世界中どこでも食べられる。

お歴々の分類に異を唱えても仕方がないが、帝国の成り立ちと関係があるという。

ならば、フランスではなくローマであろうし、トルコでなく、ペルシャであろう。

ローマの料理は、単純で素朴であるが、これがイタリア料理の祖先である。

ワイン、オリーブ、パン、チーズといった食材が肉や魚とともに並ぶ。

ペルシャは羊肉をよく食べ、臭み消しの香辛料が特徴的であり、 インドに通じるところがある。

中国料理も原型をつくったのは秦・漢の大帝国時代である。

ローマと中国には共通点があり、 ローマのガルム、

中国の醤という魚の塩漬けから作った 調味料がそれぞれ形成された。

香辛料は、ヨーロッパが胡椒を珍重したので、交易盛況の一因となったが、

中国とインドの使う香辛料は共通といってもよい。

中国には五香粉を肉や魚の下味に使用する。

桂皮、丁字、花椒、小茴、八角などからなる。

インドでもガラムマサラという混合香辛料がある。

ターメリックは、生姜のようで、身体を温める作用があるが、 医食同源ということでは、インドのカレーも薬膳といえる。

つまりはウコンのことである。

小茴の西洋名はフェンネル、丁字はクローブと呼ぶ。

フランス料理はバター、イタリアはオリーブとニンニク、トルコは香辛料と

それぞれ食材を特色をもつものの、 それぞれが混じりあって、複雑に分化して今日に至っている。

帝国がその料理を高めたのだから、 それは高級感のある海老チリや北京ダックが名の知られた料理であるが、

それを毎日食べるわけではなく、 中国では日常、家常料理と呼ばれる家庭料理を食べている。

秦や漢以前は粟やヒエだったのが、 小麦にとって代わったのであるから、

帝国の財力や権力がなければそういった改革はならなかったことであろう。

小麦は中国では麺と呼ぶ。

長細く加工したものも麺であるし、万頭も麺からできる。

餃子の皮だって麺だ。

中国の家庭料理で、 私が真っ先に浮かぶのが、 干豆腐である。

豆腐を板状に乾燥させたものを細長く切り、香菜と一緒に和えたものである。

中国家庭料理では思いのほかシャンツァイがよく使われる。

西洋名はコリアンダー。

インドや、西洋でもよく使われる。

日本料理では使用しないが、なぜか、日本で食される香菜は日本産であり、 中国にも輸出していることもあるらしい。

コリアンダーも肉の臭い消しの役目があり、 中国にはシルクロードを通じて羊と同時期に伝わったという。

他に、ジャガイモの千切りの炒め物や、 トマトと卵の炒め物、豆苗や、空心菜の炒め物などが思い浮かぶ。

野菜料理ばかり並べたが、 ニンニクの芽と豚肉の炒め物もよく食される一品である。

卵も鶏だけでなく、ピータンなどもよく家庭で食されるが、 家鴨の卵(主に塩漬け)もポピュラーである。

そして、なんといっても餃子であろう。

中国では新年などにも出される。 日本の餅のような感覚であろうか。

餃子は、お金を意味するらしく、縁起を担いで沢山食べられる。

そんなこんなで今日紹介するのは、 餃子の美味しい店「玲玲」

ここは、中国家庭料理の隠れた名店である。

麺ロードと私が勝手に名付けた西口商店街を進み、 居酒屋チェーン天狗が見えたら、右側の2階にある。

風情あるぼんぼりを見上げて、狭い階段を上がって入店。

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お通しから、干豆腐と、煎った落花生が出された。

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餃子にはビールだろうとまずは一杯。

ここもサントリーである。

先日ご紹介した 牛タンの荒もサントリーしか置いてなかった。

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プレモルは ライバルのエビスを出荷本数で抜いたらしい。

上海で、青島ビールと業務提携したという。

レバニラや、麻婆豆腐などおなじみの料理が並ぶが、 メニューにはフカヒレの姿煮などの高級食材も混じっている。

値段をみたらとても手が出ない金額なので飾りなのだろう。

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空心菜がオススメときいて、まずはそれを頼んだ。

空心菜は 火が通りやすく 手早く炒めないとシャキシャキした食感がしない。

また、しっかり炒めないと独特の粘りと風味がでない。

このため、強い火力で一気に調理するのだが、家庭料理といえるのだろうか。

実は、腕の見せ所の料理なのである。

出てきた。

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次々と箸が進む。

中国の人の作る餃子の特徴は、 基本は、皮が厚いこと。皮も手作りなのだ。

それから具材にキャベツだけでなく、ピーマンや、セロリが入ることである。

そもそも焼き餃子は珍しく、水餃子が基本だ。 手作りの皮は水餃子でこそ真価を発揮する。

もちろん、各家庭で味付けが異なる。 このバラエティが魅力だ。 今日は あえて焼き餃子を頼んだ。

この店でも餃子を頼んだとき 嫌いな野菜があるかときかれた。

ピーマンやセロリなどが入ると味わいがしまり、さっぱりとするのだが、

まさにここの味はズバリでそれであった。

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大きめだ、ジュワッと肉汁が出る。 それでいて後味がよいので、

何個でも食べられそうなくらいサッパリとしている。

餃子自体に味付けする店もあるが、 ここのは薄味である。

なるほど、これなら沢山食べられる。 皮に香ばしい羽がついているため、

タレもよく沁みて、薄味の餃子とも相性が合う。

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日本人が焼き餃子を好むといえば焼く 薄味が好きだとみれば、そうする。

祖国の味をその場の風土に合わせている。

この羽もしかりだ。

家庭料理とはいえ 押し付けにはならない こなれて 揉まれて 味が形成されていく。

そうして残って行ける土台があればこそ、三大料理という冠がつくのであろう。

一気に食べてしまった。

先述の醤(ジャン)は、醤油でなく、日本の味噌に近い。

前漢の時代に大豆を発酵させて作る黄醤が出来上がり、食卓を豊かなものにした。

これを鶏卵と一緒に炒めまろやかなタレにする。

サニーレタスにこのジャンをつけ キュウリやニンジンと香菜と一緒に手巻き寿司風に食べることもあるという。

この店には、醤油、酢、ラー油の横にニンニクと炒めたジャンが置いてあった。

これを餃子のタレの中に入れたので味に風味が増した。

他の料理をとも思ったのだが、 次回の楽しみとすることにした。

新橋は、料理のレンジが広くレベルが高いなぁとつくづく感じた。

 

参考:中国家庭料理 玲玲

 

==編集雑記==

※1 現在は移転のため閉店。

 

※この蘭苑は2月末に移転閉店となった

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仙台牛たん 荒  新橋店

-vol.13- □■食への熱意 ■□

ーー2012年7月27日来訪ーー

 

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ワンダーテーブルといえば、 モーモーパラダイスやバルバッコアグリルなどを仕掛ける食のエンターテナーだ。

そのワンダーテーブルから、 玄品ふぐを手がける関門海を経て独立した 佐藤大輔氏は、

小伝馬町にビストロタルトを開いた。

氏の気軽に呑めるワインバーに対する構想は、 早くからあったらしい。

今では、新橋でも立ち飲みのワインバーは人気で、 活気ある雰囲気を新橋の横丁に与えている。

先見があったということであるが、 ビストロの名は伊達でなく、

パリの居酒屋を再現したところもある。

フランス料理を気軽に食べてワインを食べてもらいたいという気持ちが伝わる店作りだ。

女性客にも気を遣い、鮮魚と合わせた人目をひくメニュー作りもセンスが光る。

そのメニューの中に フランス風のモツ煮込みがあるのは、意趣深い。

欧の肉食の文化は、本朝はまだ追いつかないほどの奥深さがある。

さて、 仙台で牛たんが名物になったのはGHQ駐在によって、 牛が手に入りやすかったというが、

決してそうではない。

佐野啓四郎は、牛たんという食材の素晴らしさに目をつけ、

これをなんとか名物にしようと苦心した。

その不眠不休の努力の際、山形まで材料を仕入れにいったという。

苦心の末、 杜の都に太助が誕生するのである。

助の字がつく牛タン料理屋が多い。

仙台の喜助、真助、などなど。

太助へのリスペクトなのか、インスパイアなのかは不明である。

新橋にも、利助という店がある。

烏森口にあるのと、ニュー新橋ビルの地下の2店舗を展開している。

当然のことながら、”助”がつかない店だってある。

六本木に構える たんや又兵衛、一徹などなど、 いろんな店があるのは、

それだけ牛たん焼きがそれだけ浸透しているということであるが

流通がよくなったからだけでは、文化となるということはない。

効率と味は往々にして反比例する。

啓四郎氏は、人並みならぬ研究を重ねた。

切り身の厚さ、塩加減、火力、焼き加減 、、、、、、

美味しく食べるためへの絶え間ない工夫が 牛たん料理を産んだのだ。

料理人達の気持ちと努力が旨い料理に結実する。

とりわけ、焼き加減は 牛たんにとっては肝要である。

新橋にも、そんな焼き加減にこだわった店 「荒」がある。

2名で店に入ったので、牛たん焼きを2つ頼んだ。

しかし、出てきたのは一人前ずつ。

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片方は、人が食べるのを見ている時間が発生してしまうが、

焼き加減にこだわるこだわりが優先されている。

火を通しすぎると固くなり、食感を損なう。

従って、ただ強火で焼けばいいというものではない。

頃合いをみてひっくり返したりしてつくる 細かい気配りは、

せいぜい一人前ずつの量しか行き届かないのだ。

つまり、大量には焼けないのだ。

切り身の厚さを薄くすれば、いくらか難易度は落ちるのだが、

それではあの噛むほどに あふれる肉汁は消失してしまう。

かといって、 厚すぎても食べにくい。

まさに絶妙な厚さなのだ。 時間がかかるといって、

下焼きして準備をしても風味を損なってしまい、感動する味はうまれてこない。

そういったギリギリの勝負でこの料理は成り立っている。

口に頬張ると、 上品な肉汁があふれ、胃の底が狂喜乱舞する感覚だ。

一人前 1500円は、正直安いと思う。

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店の雰囲気は、落ち着いてどことなくおしゃれでもある。

女性客だけのグループもあった。

お通しは、仙台のセットでは定番の鉄砲漬けを含むお新香

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食欲に火が付き、 ゆでたんを頼んだ。

手前が、タン元の部分で一番柔らかく美味しいという説明があった。

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目に自信と満足が現れている料理人から、

直接醤油を肉にかけず、煮汁に含ませるように少量かけてください

といわれた。

ほろほろと崩れつつ、 舌の上で牛タンの上品な味わいが広がる。

先ほど、狂喜乱舞した胃も今度はゆったりと落ち着いた満足に浸る。

けっして新橋らしくはないが、 旨い牛タンを出す店があるということは、

この街の店のレンジの広さを感じることができた。

ワンダーテーブル、関門海ともに、 流通に工夫をこらし、

大量に供給することによって、 エンターテイメントを引き起こした。

そこから独立した佐藤大輔氏は、

そこに、なにか物足りなさを感じたのではなかっただろうか。

しかしながら、 効率を求められる食品業界も、個性とこだわりを追求する店も、荘子の蝶だ。

大量生産できない 牛たん。

こうした丹精込めて料理を出す心意気の良い店も、

新橋の食と居酒屋の文化を支えている。

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参考:牛たん 荒 新橋店

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ちいち

-vol.12- □■サラリーマンのはらわた■□

ーー2012年6月24日来訪ーー

vol12-gaigan

ニュー新橋ビル地下1階の
だいだい
もつ煮込みがうまいという話だった。(vol.11参照)

もつ煮込み ・・・

牛や豚の内臓を鍋にぶちこんで、
大根、人参などの根菜と一緒にぐつぐつと煮込む。
仕上げに長ネギをきざんだものをぶっかける

冷めないうちに ハフハフしながらほおばり、焼酎や ホッピーをクーっとあおる、、、、

内臓料理は、ビタミンや鉄分、亜鉛などのミネラルを多く含み、
高タンパク低脂肪であるという講釈であるが、
私がこの一品に求めるのは栄養よりも精神性である。

もつ煮込み が、日本で食されるのは明治以降である。
肉食自体が明治以降なのだから当然かもしれない。
労働階級がよく食したそうで、
鳥肉が高価なので安価な内臓で代用したのがはじまりとのこと。
肉食の本番ヨーロッパでは、内臓料理の種類も多彩である。
独特の臭みを処理し、
それをうまみにかえる技法は料理人の腕のなりどころで、
ribouldigueなど、それを名物とするパリのレストランもあるくらいなのだが、
なんといっても、レストランよりも
レクルビス、ラ・コキーユなどのビストロで常食で
ブーダン(豚の血液を煮込んだもの)がよく使われている。
フランス料理の今の体裁は、実は歴史が浅いようで19世紀以降であるというが、
それまでは、調理法といえば、もっぱら煮ることで、
大鍋を暖炉につるし、そこに余り物の食材をぶち込み、
パンや練り物と一緒にたべるという実に素朴なものだったらしい。

それまでは、と書いたが、
辻静雄さんが著書の中で紹介してくれたゼルディンの書いた本には、
パリ以外の農村では19世紀当時もまだ つるし鍋があったとのこと。
それは、日本の囲炉裏と共通している風景ではないか

いわゆる もつ煮込みは、
大阪の在日コリアンの方が提供して広がった という話もある。
大阪でホルモンは「放るもの」だと洒落れる。

飾り気のないのがよいところなのか、
はらわたを食らうということに野生を取り戻すのか
もつ煮込みをたべると妙に落ち着く。

肚をさぐるとか肚を決めるとかいうが、
一番感情に左右されやすい臓器部分を指して肚(はら)というのであろう。
本性それ自体というのか
それを食らうことに一興ありだと思う。

昭和の場末がよく似合う
このもつ煮込みは昭和のソウルフードであり、
また、焼き鳥屋が多い新橋のソウルフードであると決めつけた。
鼻息を荒くすれば、
新橋の ということは
”サラリーマンのソウルフード”
なのである。

甲府の鶏もつ料理がB級グルメで話題とかそんなことよりも
私がこの料理に求めるのは流行ではなく、普遍性である。

前置きが長くなったが、
今日はそんなもつ煮込みを変わった形で出すお店が新橋にあるときいて
いってみることにしたのである。

ニュー新橋ビルを背中に、
愛宕山方面に4分ほど歩く 城南信用金庫のほど近くの路地裏にその店は見つかった。

居酒屋 ちいち である。


入ると結構混み合って 盛況なご様子

接客は小気味よく、
席を案内してくれた店員さんが会計に呼ばれるとみるや
厨房からすすっと別な店員さんがオーダーを承ってくれた。

メニューは、もつ鍋があることから、
博多を想起し、オススメの中に辛子レンコンがあることから、
熊本を思いだし、そうかと思えば、ツブ貝のチャンジャが見えたので、
そうか九州と韓国は実は近いときくし、、、
なるほど焼酎のラインナップがならぶ。
日本酒は有名どころの地酒がならぶ。

基本は、九州の美味しいものを
えり好みしたような感じだ。

突き出しは、オクラとタコわさびを混ぜたもの。

”だいだい”が小アジの南蛮漬けをきざんだ流用派なのに対し
こちらは、入念派で客に対する敬意を感じた。

生搾菜の浅漬けと、串焼きの盛り合わせを頼んだ。

お目当ては、石垣牛のもつ煮込み

 vol12-motu

石垣牛。。。こんどは沖縄である。
それを白濁スープの塩味で食する。
ホルモンはまったりとよく脂がついていて、うまい。
これだけの脂がよく乗っていれば、コラーゲンもたっぷりだ。
中和するのに相当な塩分を要するため 少し塩分は強めの仕上がりで
臭み消しのニンニクの風味とともに、なんとも元気が出る逸品である。

焼肉やさんの スープを思わせるような感じもあるが、
もつ鍋のプチ版なのであろう。

串物は 上品な塩加減で、
素材に自信があるのであろう 焼き加減もまた絶妙

 vol12-yakitori

ドリンクのラインナップの中で、
意外性とともにひときわ目を引いたのが、
コークハイ
オススメという文字も飛び込んできた。

なんだか、那覇の暑い夜にステーキ屋の裏手でこだわって料理を出している店
という映像イメージが浮かんだ。

さくっと一杯 うまいツマミで飲みたいなら、
こういう店がうってつけであろう。
値段も手頃で、コストパフォーマンスがとてもいい。
つまりは、
安くてうまい店であった。


参考:酒肴 ちいち

==編集雑記==

ブログ掲載のあとも
何度か足を運んでいる。
店員さんが きさく なのと
やはり、うまくて安い!ところが魅力である。

 

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家庭料理 橙(だいだい)

-vol.11- □■居酒屋の相対性理論■□

ーー2012年6月12日来訪ーー

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藤沢周平の短編に 「捨てた女」 という作品がある。

機転がきくわけでもなく、とびきりいい女ぶりでもない

”ふき” のことが何故か気になる 歯磨き売りの男 ”信助”。

2人は、ひょんなことから一緒に暮らすようになる。

ままごとのような生活が続いたが、

信助は結局、渡世人の血が騒ぎ出すのを抑えることができなかった。

 

信助は”ふき”を捨てた。

 

人間には、摺れたところがあるのであろう。 本当の幸せに対して どこか不器用なところがあるのかもしれない。

居酒屋は古くからある商売であり、 また震災後の復興でもいち早く立ち上がる。

行動経済学者のいうまでもなく、 人間は合理的な面だけ持ち合わしている訳ではない。

ただ安く飲みたいのであれば、 ほかにいくらでも方法があるのであるが、 居酒屋に集う人は多い。

せっかく求め、作った家族から、なんとなく逃れたいときがある。

なんらかの喪失感をわざと味わいたいと思うときもあったりする。

そのくせまったくの孤独だと どこかさみしい。

その非合理的な人間の欲望をしってか知らずか、 提灯は人を誘う。

そして、心憎くも 縄のれん の結界がはってある店もある。

サラリーマンの聖地 新橋のランドマーク ニュー新橋ビルは、

40年もの間 ”ニュー”と言われ続ける。

SL広場の脇に君臨するビルの地下には 闇市から組み上がった街をそっくりと封印している。

この地下1階のほぼ中央に”だいだい”という居酒屋はある。

中国女性の元気かつ執拗なる誘いの声のコダマをくぐり抜けて 中央まで進む。 白い大きめの提灯 がある。

執拗なる誘いは外にいると 煩わしさと くすぐったさが入り混じるが、

中はそのおかげで異空間となる。

なんとも不思議な感覚だ。

中は、 まっとうな、 まっとうすぎるくらいの居酒屋である。

 

”信助”は やがて 渡世人に身をやつしていく。

どんなに美しい女と遍歴を重ねても なぜか思い出すのは ”ふき”のことであった。

プイっと 風呂屋にいくようにして、 それきり 2人の会うことはなく短編は終わる。

精神分析家のラカンは、 欲望は他者として欲望する といった。

欲望はいつでも主体から等距離にある 近づくとみえない 遠ざかると現れる。

光速が空間の歪みでしか解決できなかったアインシュタインのように 本当の自分という空虚と 過剰なる欲望の統一場は、 実は、居酒屋という歪んだ空間にあるのではなかろうか。

そんな馬鹿げた考えを 打ち消すように、 もつ煮込みがでて来た。

 

vol11_motu

うまい 、文句なしにうまい。

少なくとも私にとっては、居酒屋の居は居場所の意味である。

モツを食べると元気になって酒を追加してしまった。

”だいだい”には、刺身、焼き物、揚げ物 、煮物 が揃っていて、

そのどれもが妙なる味である。

どんな居酒屋でもこのクオリティを維持するのは難しいことだと思う。

ロケーションの妙と相まって、 絶妙なる居場所となる。

ニュー新橋ビルは一応、複合施設である。

飲食店だけでなく、上階には事務所もある。

それ以上にマッサージのお店も多数ある。

たいていの駅前ビルには、 チェーン店が多く入りそうだが、

このニュー新橋ビルの地下にはその姿は少ない。

活気のある個性の集合である。

それぞれの異空間があるのであろう。

ついつい ハシゴをしてしまいたくなる。

銀座、新宿、渋谷、池袋は たまにいけばよいが

でも新橋はしっくりきて反復可能性を確認してしまう。

こんな魔都の空間まである新橋を後世に残したいと思う。

 

参考:(食べログ、ぐるナビに情報なし)

==編集雑記==

”スマイル店長の新橋☆食べある記”の 取材

第一号の記事です。

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カフェ コットンクラブ


-vol.10- □■G列車で行こう■□

ーー2012年10月6日来訪ーー

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パリのピガール街といえば、
有数の歓楽街である。
この近くにムーランルージュはある。

キャバレーである。

このキャバレーの開店記念ポスターを
書いたのは、ロートレックである。

ロートレックは印象派だが、
多くの娼婦を描きとめていてる。
精鋭の画家が娼婦にみたのは
何だったのか。

ロートレックのアパルトマンは
歓楽街からピガール広場を超えて
ビクトールマセ通りに通じる静謐な
アヴェニューフロショー
(avenue frochot)にあった。
19世紀末の1897年の話である。

この20年前の1870年は第二帝政時は亡命していた
文豪ヴィクトール・ユーゴーが帰国後身を寄せたのも、フロショー通りだ。
ひっそりとして、どことなくミステリアスな雰囲気のこの街区は、
多くの有名人が住み着いている。
アレクサンドル・デュマが借金に追われて住んだのもここであれば、
シルヴィー・ヴァルタン、レジーヌ・クレスパン、ジャン・ルノアールなど
枚挙にいとまがない。

ジャンゴ・ラインハルトもこの街区に住んでいた一人である。

ジャンゴは、JAZZの演奏では
バックのひとつにすぎなかったギターを
フォアグランドにズンと突き出した。

ギブソンからゴンチチに至るまで、
彼の影響は多大だ。

アメリカのJazz界も放ってはいない。
デューク・エリントンによってアメリカに招聘されているが、
公演では、大遅刻という失態を演じた。

デューク・エリントンといえば、
Jazzファンでなくとも知っている曲
「A列車で行こう」である。

A列車のAとはニューヨークの地下鉄の路線の番号である。
東京メトロでも同じ試みがあり、
銀座線ならG列車、丸ノ内線ならMが
割り当てらている。

A列車は、ブルックリンからハーレムを抜けて
マンハッタン北部をつなぐ8番街急行である。

Jazzをききにくるならこの列車がいいよ
ということである。

では、ハーレムのどこへかといえば、
禁酒法時代の名店CottonClubである。
オウニー・マドゥンがSingSing刑務所から経営したという伝説の店だ。
多くのJazzミュージシャンを世に出した。
デューク・エリントン楽団も1931年までの7年間は
ここのお抱えであった。

同名のカフェが新橋にあることを
ご存知だろうか。

cafe Cotton Clubは、入口は狭いが
中は意外と広い空間が広がっている


白い壁に高い天井 真紅のソファーが配されているその雰囲気は、20世紀半ばのクラブの雰囲気である。
そのくせ、オシャレで居心地がよい。

カクテルや、食事のメニューも豊富でしかも、リーゾナブルである。

今日選んだカクテルは、スパイシージンジャエール。
すりおろしの生姜の鮮烈な香りがとてもよい。何杯でもいけそうだ。
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これをお供に、TAPAS風に愉しんでみることにした。

TAPASとは、
スペイン流の小皿料理のことである。

アルフォンソ10世が健康のために
ワインとともに、食事を用意することを義務付けたのが最初だという。
アルフォンソは、レコンキスタの戦では、さほどの功績を残さなかったが、
文化芸術に理解を示したのである。

生ハム しかも、高級なハモン・セラーノである。
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スペインの山は、冬冷たくて、しかも乾燥している。
その気候がよいハムを作る。
噛むほどに旨味と独特の香りが広がり
食欲がわく。

ポロ葱と海老のアヒージョ
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ポロ葱は西洋ではよく使われる野菜である。
玉ねぎのかわりにスープにしたり、タルトにしたりもする。
甘みが心地よい。
アヒージョは、ニンニク風味ということである。
オリーブの熱気とともに、胃をくすぐる香りが立ち上がってくる。

イタリアでは、ニンニクを効かせすぎないように留意するらしいが
スペインでは強烈なのかものしれぬ。

レバーのパテ
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丁寧に臭みを抜いたレバー
その旨味と風味だけを純粋にとりだし、パテに仕上げた。
ペロリと平らげてしまった。

スペイン風ではないかもしれぬが

ピザもいってみよう
ピザの女王 マルゲリータである。
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ナポリのピザ協会では、マルゲリータとマリナーラを真のナポリピッツァと認定し、
作り方まで厳格に定めている。
マルゲリータは、生バジルの緑が冴え、
その香りが、芳醇なモッツァレラチーズの白と
程よい酸味のトマトをまとめあげている。

マルゲリータとは、
1889年のウンベルト1世が、ナポリを訪れた際に献上した際、
王妃の名前であるマルゲリータをピッツァに冠した

ウンペルト1世は 無政府主義者によって暗殺される。
非業な王妃は、晩年、文化を奨励し、よく貧しい芸術家を保護したという。

柔らかく、美味しいピッツアである。

生演奏にゆったりとしながら、
カクテルを呑む空間が、新橋にあるとは意外であるが、嬉しくもある。


ジャンゴ・ラインハルトは、
幼少時の火傷の影響で、左手の小指と薬指が不自由であった。
それを創意工夫によって克服するだけでなく、
もっとも叙情性のあるギター、と評されるまでになった。
そんな彼は、43歳という若さで、早逝してしまう。
脳出血だったという。

そんなジャンゴには弟がいた。
弟もギタリストだったが、ジャンゴの死後ギターを弾くことはなく、
フランス下流社会へジプシーとなって戻って行った。

酔いどれ船 を詠みながら、
酒に溺れる日々 パリの芸術家が過ごしたそんな日々に憧れて過ごした自分の恥ずかしい青春を

少しだけ苦々しく思い出した。


酔いどれの街 新橋に
”俺のイタリアン”という店が席巻しているときく。
女子もたくさん集まるようになったときく。

宣伝文句ゆえの誇張もあろう。
しかしながら、本格的なシェフによる立ち飲みというコンセプト

は素晴らしいと思う。

みんなの新橋は
戦後の昔から、そこにある。

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かつては花街があり、上流の客も来た。
今だって、街のサービスレベルは落としていない。
アヴェニュー・フロショーが不思議な雰囲気をもつように、
新橋にだってゲニウスロキ(地霊の力)があるのだ。

そして、その力を使って、
今日も元気にサラリーマンを支え続けている。

参考:コットンクラブ 新橋

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お多幸

-vol.9- □■樽とサラリーマンの誇り■□

ーー2013年2月5日来訪ーー

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円安に転じて、株価もリーマンショック以前の水準に戻ってきた。
アベノミクスを讃える人もいるが、反動を恐いとも思う。
長い間デフレの状態が続くことは経済の歴史でもまれなことなようだ。
なにかをきっかけに好景気に転ずることを人々がのぞんでいたことと思う。

政策の結果として好景気が続いたのなら、振り返ってきっかけをつくったことを
はじめて評価することになるだろう。

新橋の街も活気を取り戻しつつある。
飲む人が増えてきたように感じる。

きっかけをつくるのは、自分自身であると説くビジネス書も多いが、
なるほどその通りであろう。
そもそも景気も気の持ちようなのである。
しかしながら、言うは易しである。

なかなかきっかけづくりは難しい。
性に合わないという人も多かろうと思う。
何事も口火を切るのは人の性格による。
事業主となるのが難しいであれば、
サラリーマンでいる人生もまた楽しいではないかと思う。

自分は、経済については、疎いのでわからないことが多い。
そうはいいつつも、
こんなスナックの店主でも街の空気が緊迫を帯びているのは
感じることができる。

ビジネスチックなことを書くことは元来お角違いなのだが、
今夜は おでんの名店 ”お多幸”で飲んだゆえ
そんな高尚な気分になれたのかもしれぬ。

おでん

老若男女に受け入れられる料理だ。

田楽が語源であるが、原型はとどめていない。
江戸時代の外食文化が産んだ傑作といったほうがこの料理にふさわしい。

お多幸といえば、関東煮の名店である。

おでんは歴史が古く地方によって多彩だが、
主には2系統あり、しょうゆをたっぷり使う関東煮と
薄口醤油を上品につかう関西炊きがある。

御茶ノ水の”こなから”は、関西炊きの名店である。

こなからは、おでん種まで自家製で手が込んでいる。

お多幸は、とてもシンプルで、やや大ぶりな種が特色だ。

店の一押しは、豆腐。

豆腐は、人形町の双葉からの仕入れというこだわり。

おでん種は、日本橋の神茂からの仕入れである。

濃口醤油の色が印象深いお多幸だが、
味わいはとてもやさしい。

おでんには、もちろん日本酒。
菊正宗をもらった。
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樽の香りがする。

馥郁たるその香に 日本酒の味が引き立つ。

いかの塩辛を ”あて”に味わう。

とてもよい。

かつて、高度成長期の日本を書いた”Japan as Number1”
という本がよく売れた。

日本人の学習能力の高さを評価している本であった。

日本は相伝の技術力、ひたむきさ、品質の高さが魅力である。
それは、組織によって磨かれる。

修行や丁稚奉公などの制度を通じ、
商売のメソッドや、ものづくりの技が世代を超えて受け継がれてきた。

今は世代格差が広がりつつあり、若い人に中年以上の方がもっている
さまざまな技術が伝わりにくくなっている。

会社という組織も日本は特徴的だ。
年功序列や、終身雇用といった制度について
日本人の風土にあっていることを知ってつくったとしたら
驚嘆の先見と分析である。

しかしここ30年の間に、崩壊しつつある。

上司がローンや教育費にあえぎ、
OLがおしゃれなランチを楽しむかたわらで
立ち食いソバをすする姿。
夜席でも割勘を強いられる上司の姿をみて、
どうして憧れをいだくものか。

自分としては、悲哀があっていいな
とも思う。

しかし、世代格差ゆえの技術のミッシングリンクを是正するなら
尊敬できる上司とお多幸で一杯傾けるのも一興であろう。

ビジネス書籍は、実業家ばかりが書くものでないと思う。
個人技だけでなく
会社組織を盛り立てようという風土が消えつつあるのはさびしい。

取引先や上司ともっと飲む機会を増やしたほうが
自分のためだし、日本のためでもあると思うがいかがだろうか。。。

社歌をうたい、背広に会社の社章を誇らしげにつける
サラリーマンが減ってきてしまった。

会社組織の文句ばかりがきこえてくる。
会社にも正義があり、社員にも正義がある。

和解はなくとも折り合いをつけようと話し合う道はきっとある。

会社が自己実現の場で、会社のカラーに染まり、
会社を成長させ、自分も成長することがサラリーマンの気概である。
その世界的にもまれな組織があればこそ、
高度成長期の日本の技術を支え、他国との競争に勝てたのではなかろうか。

会社は、菊正宗をひきたてる樽のような存在であってほしい。

〆サバをつまに、二丁盛りをいく。
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野菜の甘み、しょうゆの味わい、さまざまな具のうまみが混然一体となって
仕上がる絶大なるハーモニー。
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玉子、じゃがいも、巾着を追加した。


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さすがは老舗、なんとも落ち着く。

神茂の技術が光る種を、おでんという作品にまとめあげる店の力は、
まさに、お多幸ブランドである。

一過性の景気の上げ下げに一喜一憂することは不要であるように思う。

こういった店がありつづけることで、
会社というブランドの香りをまとったサラリーマンが、
堂々と元気に仕事ができるなら、なによりではないだろうか。

今夜もまた、
新橋という樽も
サラリーマンの疲れを誇りに変えようと
年輪を重ねていくことだろう。
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参考: お多幸 新橋店

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ホルモン屋 だん

-vol.8- □■平和とホルモン■□

ーー2012年9月21日来訪ーー

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闇市にホルモンが出回ったのはなぜか
という問いがあるが、突き詰めると、
精肉と内臓肉とどっちが先に流行ったのかという問題の類題である。

研究家たちの間でも議論になる難問だ。
焼肉は、内蔵焼肉が元祖だ、いや、それは違うと紛糾する。
少しだけその尻馬に乗ってみよう。

内臓を食することに抵抗があった世相があったという。
この説を後押しするものとして、
闇市に羊頭狗肉が本当にあったというひどい話もある。

昭和21年の新聞記事である。
野犬捕獲人の鑑札を悪用し、ゴロつきを4人集めて、船橋や市川などで犬を殺し、新橋の露天商に、皮や毛皮、肉を売っていた男が逮捕された。

当時のお金で3万円も稼いでいたという。
犬も戦争の犠牲者だ。

酒もひどいもので、
カストリ焼酎といって出されていた酒がある。
粕取が語源で、酒粕に残っているアルコールを蒸留して作った酒を指す。
正規品は高いので、これを密造する。
お粗末な精製の仕方なので、酷い臭いがしたという。
さらにこれを工業用アルコールで、水増しした。
ときに、メタノールも混じっていた。
メタノールは体内で分解されると、蟻酸という毒性物質に変わるため、視神経をやられた人が30名も出た。

食糧難は、人間らしい食文化を奪う。
2度とそんな時代を繰り返してはならない。

たしかに、闇市で取り引きされた物資は品質の粗悪なものがあったのだろう。
内臓苦手論は、ほとんど捨ててしまうものを利用させたからと導くが、
私は疑問が残る。

生産性を考えると希少ともいえる内臓の量、
そして、痛み易いのにわざわざ手間をかけるのは、なぜだろうか。

牛肉の食べ方は、朝鮮の方々が教えてくれたという。
当時の焼肉とは、直火で炙ったものでなく、
唐辛子やニンニクの含まれた醤や味噌で漬け込んだ肉を野菜と一緒に炒めたもの。
焼肉定食の焼肉を思い出す。

この肉には、精肉もあったが、内臓もあった。
匂い消しのため、辛味をつけられた肉を頬張り、
ふぅふぅと汗をかきながら強めの酒を煽る。

肉体労働者の集まる店には、こうした光景がみられたのだ。

闇市の頃つまりは日本の敗戦後、帰国した朝鮮の人の数は100万人ともいわれた。
これによって内臓の消費先がなくなったため、余ったホルモンを安価で流したというが、これは、内臓を日本人は食べないというデマの片棒に過ぎないように感じる。

万葉集に鹿の内臓を薬として食べた薬狩りを示す長歌があるし、このあとの時代も途切れることなく内臓を食べて来た。江戸時代の「薬喰い」がいい例だ。

つまりは、私見では、ただ単に、
内臓を食べたい欲求があったから流行ったのだと思う。

日本は明治まで、肉食の習慣がなかったというのはデマである。
キジ、ウサギ、タヌキ、イノシシなどの狩猟、食肉はずっとあったのであり、
家畜の肉や牛の肉を食べなかったに過ぎない。
牛が、仏教では禁忌されることも影響があったと思う。

文明開化のとき、牛鍋屋が登場する。

仮名垣魯文が牛鍋屋の様子を描いたのは有名だが、
庶民に広まったのは、牛めし屋。

当時の”食道楽”という雑誌に作り方が紹介されているが、
材料は内臓が主だと記されている。

このモツの牛飯は昭和初期まで人気が続いたのだ。
古川緑波の悲食記にも登場するし、
永井荷風の断腸亭日乗には、
「深川門前仲町あたりの屋台店にて煮込みというものは、牛豚などの臓物を味噌で煮たるもの」
とある。

牛飯が、今の牛丼のような精肉に変わるのは、昭和初期である。
伊藤晴雨という画家が書いた書物には、モツの牛飯が消えていくのを嘆く。
この頃内臓から精肉への変化があるのについては、冷蔵技術の向上がある気がする。
煮込みで使用するものは、茹でて出荷されていたか、
仕入れのあと、すぐ茹でていたのではないだろうか。

ホルモンを生で仕入れて、自分で焼いて食べる形式の店は、
大阪猪飼野の「とさや」が元祖とのこと。
この地区には精肉の焼肉店が多数あり、内蔵焼肉が出てくる素地があったという。
精肉焼肉が先だという論は、このように論理展開する。

ともかくも、食糧難のなか、ホルモンは闇市で復活する。

そもそも、このホルモンという名称は、
大阪の北極星産業の北橋社長が食物に名付け商標登録した。

元来、体内の分泌物質を指す医学用語であり、
化粧品などに使われた名前を食物に転用したのである。

闇市から組み上がってできた新橋には、多くの「ホルモン」がある。
焼き鳥の代用として臓物串焼きが多いという経緯なのだが、
当然、ホルモン焼肉の名店もある。

ホルモン屋 だん

七輪で新鮮なホルモンを焼いて食べるのは、
それだけで、なんとも元気がでるシズルだ。

牛ホルモンの5種盛を頼んだ。

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いきなり、ミノサンド。
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ミノは通が食べる代表的な部位だと
モランボンの焼肉のタレを開発したチョンデソン氏が書いている。
ミノの食感は、なんとも胃に心地よい感じだ。
そのミノにジューシーな脂が挟まった希少な部分をミノサンドという。
ミノのトロとでもいおうか。

しゃくっとミノの食感を味わうと、じゅわーっと脂の旨味が広がる。

マルチョウ。
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筒状に輪切りした中央部分に、ぷにゅぷにゅとした脂がある。
うほっと、声がでてしまった。
肌によいかもしれない。

シビレ。
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胸腺の部分である。
リードボー(ris de veau) という呼称は仔牛にしか使えないそうだ。
西洋では出汁のもとであるその部位。
コクがあり、味わい深い。

ハチノス。
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見るだけで、滋養に良さそうだ。
イタリアでもこの部位は好まれ、主に煮物で登場する。
韓国でもコムタンスープに用いられる。
旨味も強い。

センマイ。
生で食べられるものなので、炙るだけ。
香ばしさも加わり、うまい。

刺身も食べてみた。
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新鮮な感じがよくわかる素晴らしい一品だ。

最初はビールだったが、
モツには、やはりホッピーがよく似合う。

じゃりん子チエでも登場するホルモン焼きにバクダンという
組み合わせを想起してしまった。

風体は庶民のフリをしているようで、
ここの肉の味は超一流だ。

勢いがついて
豚のホルモン三種盛り
を追加した。
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豚たん、のどなんこつ、ホルモン、
中央上がシロコロだ。
あれ? 4種ある。

シロコロがホルモンの切り方を変えたものなので、
ノーカウントのご愛嬌のサービスだろうか。

なかでも豚たんは、いわゆるタン元と言われる部分。
食感と旨味が凝縮された感じだ。
レモンであっさりと食べた。

どれも新鮮で、
肉の味を知り尽くした下味がついている。
素晴らしいホルモン焼きだ。

もうホルモンが先か精肉が先かはどうでもよくなった。

昭和22年に東は「明月館」、西は「食通園」がそれぞれ焼肉料理店を開業し、
焼肉の日本文化の礎となった。

日本人による焼肉屋の経営は歴史が浅い。
1988年ソウルオリンピックの年のパルパルが最初だという。
そのはるかに前から日本人の肉食文化を支えてきた国がある。

平和ボケといわれてもよい。
新鮮なものが美味しく味わえる
この日々の幸せを後世まで絶やしてはならないと感じた。

参考:ホルモン屋 だん 新橋総本店

 

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