カフェ コットンクラブ


-vol.10- □■G列車で行こう■□

ーー2012年10月6日来訪ーー

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パリのピガール街といえば、
有数の歓楽街である。
この近くにムーランルージュはある。

キャバレーである。

このキャバレーの開店記念ポスターを
書いたのは、ロートレックである。

ロートレックは印象派だが、
多くの娼婦を描きとめていてる。
精鋭の画家が娼婦にみたのは
何だったのか。

ロートレックのアパルトマンは
歓楽街からピガール広場を超えて
ビクトールマセ通りに通じる静謐な
アヴェニューフロショー
(avenue frochot)にあった。
19世紀末の1897年の話である。

この20年前の1870年は第二帝政時は亡命していた
文豪ヴィクトール・ユーゴーが帰国後身を寄せたのも、フロショー通りだ。
ひっそりとして、どことなくミステリアスな雰囲気のこの街区は、
多くの有名人が住み着いている。
アレクサンドル・デュマが借金に追われて住んだのもここであれば、
シルヴィー・ヴァルタン、レジーヌ・クレスパン、ジャン・ルノアールなど
枚挙にいとまがない。

ジャンゴ・ラインハルトもこの街区に住んでいた一人である。

ジャンゴは、JAZZの演奏では
バックのひとつにすぎなかったギターを
フォアグランドにズンと突き出した。

ギブソンからゴンチチに至るまで、
彼の影響は多大だ。

アメリカのJazz界も放ってはいない。
デューク・エリントンによってアメリカに招聘されているが、
公演では、大遅刻という失態を演じた。

デューク・エリントンといえば、
Jazzファンでなくとも知っている曲
「A列車で行こう」である。

A列車のAとはニューヨークの地下鉄の路線の番号である。
東京メトロでも同じ試みがあり、
銀座線ならG列車、丸ノ内線ならMが
割り当てらている。

A列車は、ブルックリンからハーレムを抜けて
マンハッタン北部をつなぐ8番街急行である。

Jazzをききにくるならこの列車がいいよ
ということである。

では、ハーレムのどこへかといえば、
禁酒法時代の名店CottonClubである。
オウニー・マドゥンがSingSing刑務所から経営したという伝説の店だ。
多くのJazzミュージシャンを世に出した。
デューク・エリントン楽団も1931年までの7年間は
ここのお抱えであった。

同名のカフェが新橋にあることを
ご存知だろうか。

cafe Cotton Clubは、入口は狭いが
中は意外と広い空間が広がっている


白い壁に高い天井 真紅のソファーが配されているその雰囲気は、20世紀半ばのクラブの雰囲気である。
そのくせ、オシャレで居心地がよい。

カクテルや、食事のメニューも豊富でしかも、リーゾナブルである。

今日選んだカクテルは、スパイシージンジャエール。
すりおろしの生姜の鮮烈な香りがとてもよい。何杯でもいけそうだ。
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これをお供に、TAPAS風に愉しんでみることにした。

TAPASとは、
スペイン流の小皿料理のことである。

アルフォンソ10世が健康のために
ワインとともに、食事を用意することを義務付けたのが最初だという。
アルフォンソは、レコンキスタの戦では、さほどの功績を残さなかったが、
文化芸術に理解を示したのである。

生ハム しかも、高級なハモン・セラーノである。
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スペインの山は、冬冷たくて、しかも乾燥している。
その気候がよいハムを作る。
噛むほどに旨味と独特の香りが広がり
食欲がわく。

ポロ葱と海老のアヒージョ
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ポロ葱は西洋ではよく使われる野菜である。
玉ねぎのかわりにスープにしたり、タルトにしたりもする。
甘みが心地よい。
アヒージョは、ニンニク風味ということである。
オリーブの熱気とともに、胃をくすぐる香りが立ち上がってくる。

イタリアでは、ニンニクを効かせすぎないように留意するらしいが
スペインでは強烈なのかものしれぬ。

レバーのパテ
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丁寧に臭みを抜いたレバー
その旨味と風味だけを純粋にとりだし、パテに仕上げた。
ペロリと平らげてしまった。

スペイン風ではないかもしれぬが

ピザもいってみよう
ピザの女王 マルゲリータである。
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ナポリのピザ協会では、マルゲリータとマリナーラを真のナポリピッツァと認定し、
作り方まで厳格に定めている。
マルゲリータは、生バジルの緑が冴え、
その香りが、芳醇なモッツァレラチーズの白と
程よい酸味のトマトをまとめあげている。

マルゲリータとは、
1889年のウンベルト1世が、ナポリを訪れた際に献上した際、
王妃の名前であるマルゲリータをピッツァに冠した

ウンペルト1世は 無政府主義者によって暗殺される。
非業な王妃は、晩年、文化を奨励し、よく貧しい芸術家を保護したという。

柔らかく、美味しいピッツアである。

生演奏にゆったりとしながら、
カクテルを呑む空間が、新橋にあるとは意外であるが、嬉しくもある。


ジャンゴ・ラインハルトは、
幼少時の火傷の影響で、左手の小指と薬指が不自由であった。
それを創意工夫によって克服するだけでなく、
もっとも叙情性のあるギター、と評されるまでになった。
そんな彼は、43歳という若さで、早逝してしまう。
脳出血だったという。

そんなジャンゴには弟がいた。
弟もギタリストだったが、ジャンゴの死後ギターを弾くことはなく、
フランス下流社会へジプシーとなって戻って行った。

酔いどれ船 を詠みながら、
酒に溺れる日々 パリの芸術家が過ごしたそんな日々に憧れて過ごした自分の恥ずかしい青春を

少しだけ苦々しく思い出した。


酔いどれの街 新橋に
”俺のイタリアン”という店が席巻しているときく。
女子もたくさん集まるようになったときく。

宣伝文句ゆえの誇張もあろう。
しかしながら、本格的なシェフによる立ち飲みというコンセプト

は素晴らしいと思う。

みんなの新橋は
戦後の昔から、そこにある。

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かつては花街があり、上流の客も来た。
今だって、街のサービスレベルは落としていない。
アヴェニュー・フロショーが不思議な雰囲気をもつように、
新橋にだってゲニウスロキ(地霊の力)があるのだ。

そして、その力を使って、
今日も元気にサラリーマンを支え続けている。

参考:コットンクラブ 新橋

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これまでのコメント

  1. ヤーマン! より:

    こんばんわ♬*いつもブログ拝見してます(*´ω`*)先日友達とコットンクラブに行って来ました!職場から近いとゆう理由で新橋を選んだのですが、2人共土地勘がなく困っていた時、ここで紹介されてるのを思い出して寄ってみました。店内わ凄く落ち着いていて、騒がしすぎず、ゆったりとした時間を過ごすことが出来ました(*´ェ`*)♡*お酒が全く飲めない私達でも、十分満足出来る素敵なお店でした☆*友達も気に入ってくれたみたいでホントに良かったです(*´˘`)♪また行きたいと思います!いつも色々な情報を載せてくれてありがとうございます。これからも応援しているので頑張ってください☆*

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