粟田口

-vol.16- □■青猫のまなざし■□

ーー2012年11月2日来訪ーー

vol16_kanban
世界を一冊の本に閉じ込めたい。

18世紀末の知識人や天才たちの野望であった。
野望と書くと大げさかもしれない。

時代の要請(History of Ideas)のまま
それで動かされた欲望のままに書きつけたにすぎない
ところもあるからだ。

遠くに出かけていかなくとも、
すぐそこに事物がある。
捲るとそこにすぐに見つかるシステム。。。

時刻表の魅力も同じ種類のものだ。
実際に鉄道に乗るのもよいが、
乗らなくても疑似体験ができるのである。

書きつけることが所有につながる欲望である。

風景画などの流行もその欲望に関連がある。

そういった啓蒙思想から神に代わって
この世を書ききるというダイナミスムには、
野望といえるものも含まれていた。
その欲望の先には普遍言語の構築があったのである。

事物を表す”リアルな”言語を創設の研究は、
1666年 ロンドンのロイヤルソサイエティが推し進めたもので、
その”閉じ込めたい”という思想の原動力となったが、
システマティックなバベルの塔は崩れ去る。

しかし、それが分類学(タクソノミー)を産み落とし、
そして、百科事典編纂を掻き立てる。
(ディドロ、ダランベールの夢。)

19世紀には百貨店(デパート)が出来上がり、
進化論の開花へ向けて”系統だて”の下準備ともなるのである。

バベル塔の崩れた理由は、そもそも人間が
ものを認識する仕方の取り違えにあるのであるが、

それは
簡潔にいえば、
システムを破壊したい情動があるからである。

ハプニングや、発見のよろこびは、
このシステムからは生じないのである。

地図の空白を埋めるのとは別の仕方で
街を歩き、フラっと立ち寄る。
こんなとこにこんなものがあるんだ。
という 
出会いの喜び、

閉じこもっていてはわからない肉のリアルとの干渉。

システムでは排除された偶然そのものの感動があるからだ。

しかし、効率を考えると、
それをもシステムに包含したいと望むであろう。

萩原朔太郎の「青猫」では、
都会の建築を愛するのはよいことだとしながらも、
そこの裏町の壁にさむくもたれる猫の目の夢を描いた。

伊藤晴雨は、明治政府の太陽に背を向け、
責め絵を描く。

彼は性的には不具であったが、
ひたすら幼き頃にみた折檻の打ち震えを描く。

一方で江戸の考証に熱心にし、江戸の風俗を再構成に挑む。

情動とシステムのはざまに生きる。

美人画家 竹久夢二のモデルにもなった お葉。
責め絵のモデルもやっている。

時代を作り上げる芸術は、無頼派も含めて
みな交流がある。そして女たちもそこにある。

芸術だけではない。政治運動家も情動の交流がある
有名すぎる例でいえば 伊藤野枝と大杉栄。

政治活動という大義
芸術という大義

それらは、
情動の綾が縫い合わさって、
矛盾への怒りと重ねあっていく…

明治が用意した壮大なシステムのはざまで、
大正ロマンは息づく。

それが、昭和モダンへと引き継がれる。

池波正太郎が、フランスへ行った際に立ち寄る居酒屋がある。

モンパルナスの”クーポール。”

そこには、ピカソもキッシングもいた。
そして、マン・レイも、そのモデルのキキもいた。

時代は情動が作り、その情動の舞台には居酒屋がある。

芸術家が集い、構想を整理したり、
またデガダンに流れたり、そして壊したりしたのであろう。

壮大な芸術を立ち上げながら、
一方で、決して正統とはいえない、
月の光に冷たく照らしだされていくもの。

そういったものが昭和にも息づいている。

モデルのキキは、藤田嗣治も描いている。
藤田氏もクーポールにいた一人だ。

藤田の描きだす線。
マン・レイがカメラを使ってコラージュする構成。

世界を魅了する線や構成の向こうにはキキがいた。

さて、
サラリーマンの街といわれる新橋。
そこには酔ってくだまくリーマンが、
頭にネクタイのハチマキをする姿を想像するが、
それは、それ。

来てみて、実際に歩いて味をみないと
やはりわからないことばかりだ。

インターネットというファッサード的システムから
のぞいても
わからない居酒屋の舞台の情動がそこには息づく。

今日訪れた 珠玉の店「粟田口」は、
SL広場を抜け、
目抜き通りともいえる新橋仲通を内幸町方面にいったところにある。

地下にある店である。

vol16_tennai

造作も素晴らしい
清潔さと情緒を兼ね備えた上品さが漂う。

サッポロの黒生の生をいただく。


突出しは2種。
vol16_tukidasi

この日は、シメジの菊花あえと、ゴマ豆腐である。
素材の味をいかした上品な味の競演。

これで一気に食欲に火がついてしまった。

カツオのたたきサラダ。
vol16_katsuo

大振りに切ったカツオ。
この時期は脂がのっていてうまいのだ。

ニンニクチップスがきいている。

たっぷりの針とうがらしが、
食欲を増進させる。


ふぐの薄づくり。
vol16_fugu

コリコリとした食感の官能的な心地よさと、
ふぐの身の ほのかな香り

それを存分に味わえるこの厚みが絶妙である。

作り手の丹念さがそこに光る。

合わせる酒は酔鯨

馥郁たる香りがまた料理を引き立てる。


豆腐の味噌漬け。

vol16_misokyu

添えられたキュウリに乗せて、
極上のもろきゅうとなる。

味噌の発酵と豆腐の食感が、まったりとして、
食卓のアクセントとなる。


どの料理も、気品を醸し出すまで磨かれた技が
感じられる。

大山鶏の黒こしょう焼き
vol16_tori_sansho

驚くべきはこの焼き加減。
一箸ごとに、鳥の旨みが伝わってくる。

うまい。

心地よくなってきて、
合わせる酒も蒸留酒、
芋神という焼酎のロックになった。

さらに、鰆のウニ味噌焼き
vol16_sawra

あっさりした鰆に
海の幸のウニの香りとうまみを乗せる。
大地の味噌がうまくとりもつ。

酒にもぴったりだ。

もう少し食べたくなったが、ここらで打ち止めにして
次回来訪のお楽しみとした。

店員の接客、サービスもすばらしい。

料理の味、店の雰囲気、人のサービス。

まさに3拍子そろった店である。

デガダンに流れた、
自分の心もなんだかシャキっとした。
明日への英気もいただいた感じだ。

新橋の名店を発見した。


ドアを開かなければ
わからないものがたくさんある。
そんな情動と興奮がそこにある。
その興奮にからめ捕られ、

もはやそこに熱はないのに、
感情を浪費してしまう
デカダンもあれば、

興奮をシステムにからめ捕って
作り上げる技もある。
システムは何かが欠如しているから
作られる。

その欠如を埋めようとするのは
哀しいほど深い情動だ。

ときとしてその情動は、
誰からも振り向いてもらえずに
そこにひっそりと輝くものである。

それを一つ一つ
拾い上げていこうと思う。

そして、ドアを開けて
そこへとそっと置いていこうと思う

さまざまな思いの拮抗が
店に入り、騒ぐ。

そんな騒ぎができるのも、
居酒屋というサーバーがしっかりしていればこそ。

今宵は昭和モダンに身をよせながら、
平成への活力を得た気がした。

参考:粟田口

LINEで送る


これまでのコメント

  1. ヤーマン! より:

    こんばんわ!ブログいつも見てみます(^^)難しい言葉でわ分かりませんが、スマイル店長のブログも、時刻表のように疑似体験が味わえますよ♬*だから読んでいて楽しいです♡*私も勝手にその会に参加しているような気分になれます٩(๑˙╰╯˙๑)۶笑!写真もたくさん載せてくれるので気づいたんですが、「引き目真上派」と「アップ横側派」がいますねー笑♡*最近新しいブログの楽しみ方を発見して、これとこれわ一緒の人が撮ったのかなぁーって当てっこするのが地味にハマってます(笑)!夜な夜なこんな遊びをしている自分が寂しすぎるー(´;ω;`)あとこれにわ1つ難点があって、正解が分からないってとこですねー(泣)改善してください♡笑♡ヤーマン∠( ‘ω’)/

    • admin より:

      ヤーマンさん♪
      コメントありがとうございます!!

      写真についてするどいご指摘ですね!
      そうです。今までは、複数人で撮影したものを
      使ってます!!

      次回作以降になりますが、
      撮影班も加わり、
      取材陣を増強して取り組んで参りますので、
      ご期待くださいね!

ヤーマン! にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>