とんかつ 明石

-vol.6- □■青春のとんかつ■□

ーー2012年9月15日来訪ーー

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一枚のカツレツが少年を虜にした。
感動が彼を上京させ、料理人になることを決意させ、
やがては、”天皇の料理番”といわれる。

秋山篤蔵その人である。

その一生は、彼を偲ぶ会(秋偲会)が結成されることからみても、
ひとかどの大人物であろうことがわかる。
1980年にその一生がドラマとなった。
堺正章の熱演が光った。

明治時代の話であるから、今と比べても修業は封建的で、
厳しかったことであろう。さすがの篤蔵も、修業場所の精養軒を去って、
場末の料理屋に逃げ込む。
印象に残っているのは、その場末に恩師の宇佐美シェフ(財津一郎が演じた)
が訪ねていくシーンである。

宇佐美シェフは、カツレツを注文する。
食べているところを、篤蔵が盗み見て、恐る恐る声をかける。
「どうですか、自分の作った料理は、、、」
にべもなく、一喝が返ってくる。
「なんだ、このキャベツの盛り方は、これが本当にお前の料理なのか!」

この言葉に打ちひしがれ、そして気づかされて篤蔵は精養軒に戻り、
フランスは、パリの名門Hotelリッツへ洋学する決心をするのである。
宇佐美シェフとの出会いがなければ、篤蔵の出世はなかったであろう。

昨日 私は学芸大学駅の千本桜ホールで、「オーディション」という演劇を観た。
知人から太田みゆきという女優さんを紹介され、観にいったのである。

コメディタッチの演目であったが、清楚で穏やかな雰囲気を持つ彼女が、
身体を張って演じている姿は、たしかに素晴らしいものがあった。
圧倒するわけでなく、醸し出す雰囲気が存在感を醸し出す女優さんだ。

スターを目指す志のものが、必ず通るオーディションが舞台。
そこで繰り広げらる笑いと感動。
演者の皆さん自分自身との思いも重なる題材であったことだろう。
素のままの等身大の演技が一人一人 、
自らの想いを反芻するかのように輻輳的であった。
全体としては、正直、笑っぱなしということはなく、
また、打ち震えて感動を覚えたわけではない。

初日で緊張感があったのかもしれぬが、リズムを作り出すのに、
やや力任せのところもったように思えた。
が、しかし
帰りの東横線のなかで、とらわれ人となっている自分がいた。
劇のことが、ずっと離れないのである。
ある種の苦しさとともに、ボディブローのように湧き上がる感情に、
陶然としてしまったのだ。

その苦しさとは、若く溢れくる欲望と、
拗ねた諦観の狭間で揺れる自分そのものの存在の矛盾。
デカダンスの陶酔に憧れながらも社会人の扉をたたいた自分の姿も浮かんできた。
歯痒さと、時を経て得た根拠のない余裕のポーズと怠惰のアンバランスにも気づかされたのかもしれぬ。

居酒屋の良さがまだ早く、オシャレな場所にも面倒で、
ついつい、丼ものや、定食屋に入ってしまうそんな 若い時代、
とんかつ はご馳走である。

そして、高級と大衆の狭間に漂う存在なのである。

高級というと、すぐ浮かぶのは、上野の御三家 「双葉」「ポン多」「蓬莱や」である。

上野になぜか多い とんかつ店の中のビッグ3である。

「ポン多」が創業明治38年と最も古い。
「ポン多」と「蓬莱」が低温揚げ、100度という低い温度でじっくりと揚げ、
仕上げに高温でカラッとさせる製法。
「双葉」と「ぽん多」はロースかつ しか出さないこだわり、
「蓬莱」は、ヒレの元祖と謂われている。
こういった重役級のとんかつは、値段が張る。
サラリーマンになりたての頃、和幸、さぼてんのような店にたまに入り、
不足しがちな野菜をキャベツをお代わりして補い、
普段の空腹感の腹いせにご飯をお代わりして、空虚さを満たしていた。

今時は経ち、そう言った食べ方は胃が持たなくなってしまったが、
たまには とんかつが食べたくなり、
ニュー新橋ビルの4階の「明石(あかいし)」にやってきた。

まずは、ビールと板わさで、主役の登場を待つ。
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そもそも、とんかつは、日本料理。
元の料理が、小麦粉をまぶした仔牛の切り身をフライパンで焼いたカツレツ(côtelette)が元の料理で、厚切りの豚肉を衣をつけて揚げるようにアレンジした。
とんかつという呼称は、新宿の「王ろじ」が、最初だという。

衣を纏うので、サクッという食感とともに、香ばしさが加わり、
旨味が逃げ出すのを防ぐ。
大衆に人気が出たのは、ソースをかけるという食べ方が大事な要素に思える。
そしてなによりも、揚げ物の温度であろう。熱々をハフハフいいながら食べる。
中から肉汁が溢れ出す。
この、サクッ、ハフ、ジュワが、とんかつの魅力である。

出てきた。

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キャベツは、(ロースの場合)別盛りになっている。

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味噌汁は、なめこ、ワカメ、豚汁の3種から選ぶ。

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(写真は豚汁)

置いてあった藻塩で、食べてみる。
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美味い。

雁屋 哲の小説
「美味しんぼ探偵局」の中で
大東が 大衆食堂の 薄いとんかつを絶賛しているところがあるが、
とんかつは、純然に肉のうまさを追求するのでなく、
厚切り肉を頬張る勢いがやはり欲しい。

ここの衣は薄い。

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剥がれるということは決してなく、文句なく美味しい食感を与えてくれている。

健康のため、衣を剥がして食べる人もいるが、
とんかつの魅力は、過剰ということにあると思う。

無駄に厚い肉を、熱々のまま 頬張る。
それだけで、活気があふれる。

「オーディション」の俳優さんたちの演技もある意味過剰だった。
声を張り、大げさに振る舞い、繰り返す。

自分の夢に向かって純粋な気持ちと、
それを取り巻く人間関係との矛盾。
殻を破ろうと必死になり、もがく姿こそ、”過剰”そのものだ。巧妙さ冷静さだけでは、
人を感動させることはできない。
若き日々の過ち、遠回り、挫折という過剰と相まって感動を生む。

「うまくいかないときがあってもいいんだ」

劇中のセリフにうなづきながら、とんかつを頬張った。
逃げたけど、勇気を出して戻った秋山篤蔵を想起したのだ。

新橋のランドマークに ひっそりとある 明石。
ぜひまた来ようと思う。
次回は、何かを乗り越えたご褒美として。

参考:とんかつ 明石

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