玉や

-vol.21- □■新橋のマニエリスム■□

ーー2013年6月7日来訪ーー

 

 

SL広場を背にして、目貫き通りを進む。

たくさんの風俗店や居酒屋の勧誘を避けて

脇の路地へ入ると異界となる。

ふっと一瞬の静寂と闇を感じたかと思えば、
すぐに赤ちょうちんの光が眼に差し込む

tama_tama

 

赴くまま、ぷいっと入るのもいいだろう。
といっても、店の軒先。

せり出たそこの椅子に腰を押し付けた。

そして、そのまま居場所となった。

そこは 玉や

焼きトンの店である。

新橋らしさとはなにか。

私は いまだに簡潔にまとめられない。

オシャレではたしかにない。
気取らない、というのも当たっている。

安いだけとは違う。
大衆派というがそれだけでは言葉が足りない。

奥が深いのも確かだ。

でも、それはどんな街でも同じこと、、、

たとえば、
お隣の浜松町だって、
サラリーマンの街といえなくもない。
秋田屋という名店がそれを物語るひとつだ。

そして浜松町の路地奥に入るとやはり、
いろいろな店がある。
キジ丼を売りにする店があったり、
安い店もあるし、
それこそ、隠れた名店も多い。

では浜松町のもつ雰囲気は
新橋と同じなのか?

似たところもあるにはあるが、
はっきりと違いが感じられる。

その違いを書くことが
新橋らしさを書くことになるだろうか。。。

烏森神社の裏には、小さいお店がひしめく、
まさに迷宮がある。

かつての色街の雰囲気が濃いこの地区は
情緒がひときわ深い。

聖と俗の
”バランス”によって
辛うじて封じ込められたものが
何かの折に噴き出してくることもある。

そこで、酒の登場だ。

酒は、
隠語でもなく薬にもなり 
お神酒という聖杯にもなるのである。

人間の強欲は酒でいや増し、
それを清めるのも酒。

聖俗の根源は酒から出ずる。

ともかくもそういったシステムは古来変わらない。

 

ホッピーを注文すると、
「ホッピー」という声が軒先から店内
店内から厨房にこだまのように伝わっていく。

tama_hoppy

内臓の旨さというのは
ずばり、
食感と、内臓を生で喰らうというシチュエーションにある。

それに一番似合うのはなんといっても
ホッピーではないだろうか。

内臓とホッピーは新橋の黄金セットである。

総称は焼き鳥だが、
ここは焼きトン。
焼きトンのルーツは闇市。
新橋は最大規模の闇市があった。
屠殺場の暗黒へのつながりとあいまって
人間の業にもっとも近い料理ともいえる。

 tama_sasi

写真はハツ刺し
塩をモミこんである。
そのまま食べるということだが、
甘さがある。醤油を少しつけてもよいだろう。

メニューには内臓生肉の刺身が並ぶ。
魚肉を問わず、刺身を提供するには
システムが必要だ。

ともかくも鮮度が命。
食べごろの把握や、
くし刺しに使うものと生で出すものの仕分け、
貯蔵と仕入れの量の管理は、その店の経験がものをいう。

この軒先から風俗店のネオンも見える。

かつての花街の
情緒は風俗店があるからでは決してない。

情緒は
過去から伝わってくるのだ。

吉原には浅草寺があり、
歌舞伎町には花園神社があり、
川崎には川崎大師がある。

聖と俗は実に隣り合わせなのである。

その狭間には多くのお店があり
種々雑多な店の迷宮に迷い込むことになる。

そして迷い込むままここに居座っている。

迷い込むまま、内臓を喰らおう。

tama_yaki01
シロは直腸。
総称の焼き鳥でチャンピオン格のネタだ。

噛むごとに、タレが口に広がる。

それぞれ、塩とタレがある。
塩タレどちらを選ぶかはいつも悩む
好みでしかないが、
シロ、レバ は タレが
かしら、タン、なんこつ は 塩が
それぞれに合う気がする。

鶏肉が高価だった時代の代用品として、
内臓肉を仕入れたという。

日本人は本来内臓が嫌いだという説があるが、
これに異を唱えたこともある(ホルモン屋 だん 参照

一方でこの料理を
マルクス主義者的に表現すれば
ブルジョアに搾取されている庶民が搾取を味わう料理である。

サラリーマンは自分の成果の利益から上前をはねられている。
ちょっとしたバランスの崩れで矛盾は噴出する。

会社という組織に みかじめ料を渡す代わりに経費と
暖簾をくれると解釈してなだめたりもするが、
それだけでは不足だ。

あくまでもそこは成長の場、自己実現の場なのである。

やや詭弁だが、
サッカーの本田選手の個人技も
サッカーそのものがないと発揮されない。

共同体の矛盾はメタな存在(神だの政府だの)の絶対的他者が
解決する。解決には”お供えもの”が必要だ。

そのお供え物を 共に食べることを供養という。

野菜もいってみよう。

しいたけ

 tama_shitake

ししとう

 tama_sisito

こういった野菜や
さまざまなメニューをとりあわせて
つまみをコーディネートできるのも
魅力である。

野菜を単品でじっくり味わうのは
串料理がよい機会をもたらしてくれる。

野菜の個性も串料理のフィールドがあればこそだ。

元気のいい店員さんたちが
店の中のみならず、ひょこっと顔を出して、
軒先に気配りをくれる。

軒先で店内よりサービスが遅れ、疎外感を味わうことはない。
すばらしいと思う。

サービス業はできて当たり前とみなされることが多い。
サーバーとは、いつでも当たり前にレスポンスを返す機械だ。
しかし、
サーバー保守は不断の努力によって成り立つのである。

(サーバーが少しでもダウンすると悪評が立つ。
そこは冷静に判断してご理解願いたい。と大抵思う。
クレームをつけるなとはいわない。
その前に”確認”が必要だと思うがいかがだろうか。)

人がやることミスがつきもの。
それでも、人しか作れないものがある。
それが居酒屋なのだ。

そんな酔いに任せた自分の雑言を
鯔背(いなせ)な店員さんたちのリズムが
拭ってくれる。

レバーにいってみよう

 tama_reba

臭みがない。

そして、味に深みがある。

レバ焼きを逆に読めばキャバレ
こういったのは阿刀田高だったか。

このネタ(タネか)は
臓物串の王様だ。

ある酒場で聞く、新橋とは人生劇場だという。
また別の酒場で聞く、新橋とは浪漫だと。
またTVで聴く、新橋とはサラリーマンの街だと。
そうやって集めたプロパティの総体が新橋だ。

こんなふうに、ものごとを把握する仕方がある。
これはピカレスクロマンの手法だ。
マニエリスムとも美術史上ではいう。

つまり、逆なのだ。
新橋らしさは語れなくとも
”これが新橋らしい”ということは可能だ。

ちょうど画家が晩年に自画像を描くように。

風景を客体としてとらえた画家が、
客体から”みられる”逆の視点を感じ自画像に結ぶ。

メニューから自分の目に飛び込んできた
一品がある。サーロインである。
牛肉だ。

臓物を扱えるなら、実は精肉も扱えるそして魚介も。

たこ や まぐろぶつがメニューにのるのもそのせいだ。
そういったメニューもバラエティが広がってとてもいい。

ただ精肉は本当は熟成が必要だ。

とにかく頼んでみた。

 tama_saroin

こんどはタレ、塩両方

手前がタレ、奥が塩である。

焼きトンの店では異色ともいえるメニューに
舌鼓をうちながら夜はふけていく

見渡せば雑踏がある。
こちらが求めずとも飛び込んでくるものが
多くある。

そうしたものを想像をひろげて受け入れていこう
想像も繰り返せば現実となる。
一滴の水では海といわないが莫大に集まると海という。

その落穂拾いをやっていこう。
その総体が新橋を形作る。

新橋を描くのでなく作っていこう

それが 食べある記第二章である。
今日はその始まりだ。

参考:玉や 新橋店

photo by  #DoY

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これまでのコメント

  1. ヤーマン! より:

    食べ歩記第二章おめでとうございます(^ー^)女性わ地図を見るのが苦手な人が多く、GPSを使うより、~を背にして1つ目の信号を右に曲がる。など、言葉で説明してくれた方が理解してくれる人が多いように思います。(私の周りだけだったらすみません、、笑)その点で言うと、スマイル店長のブログわ理にかなっているとゆうか、女性目線ですよねっ(*´ω`*)笑!なんとなくあの辺りかなぁ♪って想像がしやすいです!ってずーっと思ってたんですが、なかなか言うタイミングを逃してたので、1つの区切りとしてヤーマンからの報告でしたっ٩( ‘ω’ )و笑!これからも皆さんで頑張って下さい☆*心より応援致しております。ヤーマン♡

    • admin より:

      ヤーマンさん♪
      いつもコメントありがとうございます!
      お返事遅れてすみませんm(_ _)m
      地図に限らず、実際に来店したときの
      様子や気持ちをなるべく詳しくお伝えできればと
      思っています!

      これからも応援よろしくお願いします。

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