馬鹿ぼんど 第三話

 baga_sabanna01

身体とゆう箱の中にリズムを刻むため、

ただそれだけのために神様が用意してくれた装置がある。

そんなことに気付いたのはいつ頃のことだっけ。

二十歳のわたしには既知のことだった。

だからフィリックスに影響を受けたわけじゃないよ。

現にフィリックスに出会うずっと前、
わざわざモロッコのマラケシュにまで足を延ばし、
グナワの生演奏も体感していたんだし。

 二人で踊りに行く。

フィリックスはダンスミュージックに掻き消されまいと、耳朶に噛みつくくらいの近さで
、声のボリュームをマックスにする。

「神様のギフトを大切にしマショウ!」

と、決まってそうシャウトするの。

自分の汗を舐めながら。

二人で一杯のソルティドッグを口に含んで。

彼のそうゆう感性には共感できた。

好きになる理由は「これでいいか」って。

 


「いや慰めが欲しかったわけじゃないわ。何てゆうかな……」

「何て言うか?」

 中上さんは再び眼鏡をかける。

 太陽運行に逆らったりしないネグロイドだから、

将来別離する理由も特別に見つからないだろうな、って、直観的に悟ったの。

「出会ったその日に、恋人になるとか結婚するとか決めたわけじゃないけど、別れなくて

もよさそうな人だなって、安心感みたいなものがあったのかな……」

と、わたしは中上さんと視線を合わせた。

 中上さんはその前からずっとわたしの目を見ていた。

 

 

 十歳の時に、わたしの両親は離婚した。

「あなた、子供たちの前でやめて!」

 お母さんがそう制した父親の手には、果物ナイフが握られている。

あの刹那の記憶は、二八になった今でも焼印のように拭き取りも剥がし取りもできない。

 もともと悪いのはお母さんだった。

わたしも弟もそのことはすっかり分かっているし、

お母さんも「自分がいけなかった、あの人に悪いことをした」と認めて、

いまでも時々悔恨の涙を零す。

「お前がめちゃくちゃにしたんだろう!」

 お父さんの憤激は、手にしたナイフも溶解してしまうほどのエネルギーだった。

 母親の背中に隠れていたわたしは、刃物よりもその熱に身が縮まった。

 あんなに憤った男の人を見るのは、後にも先にもあれ一度きりだ。

「何でだ?! えっ、言えよ! 何でその男なんだっ?!」

 俺の何が不満なんだ?! と発すると、彼は自らの脇腹をナイフで刺した。

 血がいっぱい流れた。

 涙もいっぱい流れた。

 流れた血も涙も、そのほとんどがお父さんのものだった。

 それ以来、わたしの中には、 “別れ ”とゆう人間の営みの一つが、腫れっぱなしのニ
キビみたいな風に残ってしまった。

 “学んだ ”とも 、“感じた ”とも、何か違う。ただ “残っている ”って

だけの、印みたいなもん。

 付き合い始めてすぐの頃、
フィリックスの黒い胸板にくっついて彼の鼓動を聞いていた時、

「だから、別れ、って、すごくキライよ」

って、零したの。

 そうしたら、彼ね、

「サバンナで仕事をする男たちにとって “別れ ”は当たり前のコトデス」

と、煙草を燻らせた。

 わたしが「それは “死ぬ ”ってことの意味じゃない?」って聞いたら、「ソウ」と答
えるので、「なんか違うのよね」って不貞腐れた。

 (つづく)

 

by ケイ_大人


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自分のために~誰かのために、言葉とセンテンスの職人でありたいと 日々精進しているところです。

言葉から命を吹き込まれた語り人たる登場人物たちが、いつのまにかぼくから離れて個を象るとき、読者の皆様の傍にそっと寄り添わせてやってくださいませ。

あなたが死にたいくらいの時、彼らが少しの役にでもなるなら…

ぼくの幸せです。