馬鹿ぼんど 第八話

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「咲恵、キミは家のお金、どれくらい使いマシタカ?」

フィリックスが青白く見えたのは、その時が初めてだった。

さすがにわたし、“まずい ”って悟る。

 

春の雨が降る朝だった。

それぞれが身支度を済ませ、もう出かけようとした矢先、

「話がありマス」と肩を叩かれる。

おもむろに彼がローテーブルの上に差し出したのは、貯金通帳……。

日本語の不自由な彼は、こうゆう類のものを一切合切持て余し、わたしに全て任せてきた。

「よく自分で調べてみマシタ。お金、四十八万しかない……」

 その声はかすかに震えている。その手もわずかに共振している。

 ここに記されたことを理解するのって、それほど難しかったわけじゃないでしょう?

けど、事実を受け止め、咀嚼(そしゃく)し、どうわたしにぶつけたらいいかって、

きっと、ずっと、あなたは悩んでいたはず。

 

「おかしいデス! ボクいっぱい働く。ダレル、エマ、そして咲恵のために。それ、キミの店のためじゃないデショ?」

 店を始める前は百五十万ほどあった我が家の蓄え。それがニ年半でもう三分の一以下。

 気付いてはいたけど、気にしないようにしていたの。

「このお金はキミだけのものじゃない。家族みんなのもの!」

「……ごめん……」

って、ゆうしかない。

 

 歩きだした私の旅。ひたすら前を見た。

裸足の足裏はボロボロに傷ついて、真っ赤な血で滲んでいたとゆうのに。

「もう……」

 わたしとは一緒に暮らせない、彼が絞り出す。

「……」

わたしは黙って受け入れた。

「なんで咲恵は “ごめんなさい ”って言わないのデス? なんで “これからは家族のために我慢します ”って言ってくれないのです?」

 フィリックスは大粒の涙を零し始めた。

 ガーナの星星の下でわたしが流したそれと、同じ、涙かもしれない。

 

 

 

「にわかに納得してしまったんですか?」

 中上さんの問いかけは責めるような語気を含んでいた。

「そうね」

 彼に許しを乞えば、この旅を引き返すような真似だと感じて。

「引き返してはいけなかったのでしょうか? 咲恵さんの商売はその時点で決して上手くいってはいなかった。

自分のお店を持つことを、あなたは “旅 ”だって表現するけど、その旅費はどこから出ていたんです?

家族じゃないですか? 甘えに依存した自立なんて、自立とは言えないわ」

「……」

 

 それでも、一度立ち止まって、旅の工程を練り直すことも、

あるいは旅を中断して家族のもとに戻ることも、わたしは選ばなかった。

 

「なぜ?」

 それは……。

やっぱり、好きじゃなかったから。

 

別れてみると、フィリックスの優しさが滲みることもあった。

「咲恵は女の子だから」

って、この春小学校に上がったばかりのダレルと、寄り添って暮らすことを許してくれた。

「お前は男の子だからママを守ってあげなさい」

と、息子に言いつけてくれた。

 店主として城を守ることの難しさを学びながら、

どうにか店は丸三年間持ちこたえることができた。

それでも、安定しない台所事情を察し、フィリックスは毎月ちゃんとお金をくれていた。

二人が困るといけないからって。

一応拒む姿勢は見せるけど、お金を受け取るとほっとする自分もいる。

「今月も助かっちゃった」って、正直思うの。

 だから、好きの感情は薄いけど、ダレルの父親として誇る気持ちはまだあった。

 わたしの旅はどこかに向かっているのでも、数マイル動いた、

でもなくって、実はずっと、男らしいフィリックスが用意してくれたバーチャルシュミレーターの中での出来事だったのかもしれない。

と、そんなことを考えたりすると惨めさが沸々と湧きあがって鬱っぽくなる。

 わたしは真に自立した企業家になりたいと思った。

 元夫の援助を乞わなくとも、女手で子供一人を育てるぐらい、わたしにだって出来るはずだ。

 代官山の木造アパート・六畳半の城で、いつまでもちまちまやってはいられない。

 わたしには時間がない。

(つづく)

by ケイ_大人


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自分のために~誰かのために、言葉とセンテンスの職人でありたいと 日々精進しているところです。

言葉から命を吹き込まれた語り人たる登場人物たちが、いつのまにかぼくから離れて個を象るとき、読者の皆様の傍にそっと寄り添わせてやってくださいませ。

あなたが死にたいくらいの時、彼らが少しの役にでもなるなら…

ぼくの幸せです。