馬鹿ぼんど 第九話

spiral_metal

「八月にアロマテラピー業界の大規模な展示会を主催するんです。出てみませんか?」

 小里(おざと)と名乗る、愛想の良い若い男がそんな提案書を持ってうちの店を尋ねてきたのは、ダレルの七歳の誕生日だった。

涼しげな白の半袖シャツにエクルベージュのチノパンを合わせていて、

爽やかさと清潔感を漂わせている。

名刺には「ライフサイエンスプランニング株式会社 執行取締役」と。

「ライフサイ……小里……、もしかして、この前 詐欺で捕まった奴ですか!?」

と、銀眼鏡の奥の丸い目が、ギョロんと大きくひん剥かれた。

「中上さん知ってるんだ?」

「それ新聞で読みましたよ」

 会期五日間の展示ブース料として三十五万円を支払えば、

この業界内では確かな箔がつき、顔も広がります。

芸能人やマスコミもたくさん来るから知名度がかなり上がります。

過去平均すると一ブース辺りの売り上げは軽く百万を超えているから、

出展料など簡単にペイ出来てしまいます。

と、まあ、よくありがちなイイ話にまんまと引っ掛かったわたし。

「払ったんですか?」

「ええ、払ったわ」

「どうしてもっと慎重に……?」

 だってわたしには時間がなかったから。

「……」

アイアンブルーの溜息が面接室の床に溢れ落ち、

中上さんの足元まで流れて可愛らしいパンプスを呑込んだ。

べっとりとした恨めしさが溜息の後からじわあっと込み上げて来る。

胃がキュッとして、次の瞬間後頭部を捻(ひね)られた様な鈍い痛みに襲われた。

と、気が付いたら何もかもが顔から出ていってしまうように、激しく涙が溢れ出す。

あっ、わたし、泣く。

「なんであんなのに騙されたんだろう! どうして、わたしは、わたしは……」

 まったく世間知らずの馬鹿だ。

 バーチャルシュミレーターでは一丁前の旅人を気取れても、

リアルな世界では自分の靴紐も結べない稚児(ちご)じゃない。



「咲恵さん、藻掻けば藻掻くほど、

あなたの旅の意味が茫洋(ぼうよう)としてしまうことに気付いて?」

と、突っ伏すわたしを引っぱり起こすように問い掛ける。


「あなたがそうして手足を振り回す。

暴走するオールは何度となくダレル君に当たってしまった」


「ちがう! あれは躾です! わたしのストレスとは関係ない!」

「私はあなたの息子さんに対する愛情が希薄だとは思えない。
本当に薄らいでいたら、こうやってここに来ることもしない」

「だから返して下さい! わたしはダレルを愛しています。心から……心から……」

「躾をすることは親として当然です。
けれど、問題はそれを受け止める側の子供の気持ちなんです。
ダレル君は最近のあなたを怖いと感じていた。
だから、身体の痣(あざ)を学校の先生に問われた時泣き出してしまったのでしょ? 
子供が身の危険を感じて、シグナルを発し始めたら、そのこともきちんと受信して、
接し方を修正してあげるのがお母さんとしての務めなんですよ」  

「もういいから返して下さい……返して下さい!」

「返してほしいと言う言葉を、私に初めて叫んでいる御自分に気がついていますか?」

「わたしはあなたに負けてなんかない。わたしは母親の役割を果たそうとしているだけ!」

「咲恵さん……」

「……?」

「申し訳ないのだけれど、私は子供の人権を守る仕事をするものとして、
まだあなたにお子さんを返すことは出来ない」

「どうして?!」

と、わたしは身を捩って絞り出した。

「ダレル君を返してほしいっていう気持ちは、あなた自身がどう生きるかって問題と切り離して考えてください。
今は、あなたにとってのあるべき母親とか、女性とか、
そういう姿を体現しようとするのではなくて、
世界にたった独りしかいないダレル君の母親としてどうあるべきなのか、
御自分の心に問い直してほしい」

 わたしの中に、蛇腹状の冷たい金属みたいなのが埋まっていて、

不意にそいつがピンと伸び上がってくる。

ついでにその温度が、煙を上げていた脳天をクールダウンしてくれるような感覚。

流した涙と叫んだ声を掻き集めて元の場所に仕舞いたい。

そう思うと血の気も失せた。

「なんて様(ざま)を見せてしまったんだろう……わたし、もう帰ります。いいですか?」

 呟きでノックをするように、わたしは中上さんにお伺いを立ててみる。

(つづく

by ケイ_大人


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これまでのコメント

  1. ヤーマン! より:

    小説いつも読んでます☆*咲恵さんわ立ち直ることが出来るのでしょうか?凄く心配です。。中上さんのように、カウンセリングのお仕事も大変ですよねっ。私も友達から相談されたりすることもあるんですが、聞いてあげることしか出来ません。聞いてる方も真剣だから体力使うし、何か色々考えてしまいましたっ。こんな感想ですみません。。更新頑張ってくださいねっ(*´˘`*)♡応援してます♬*ヤーマン!

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自分のために~誰かのために、言葉とセンテンスの職人でありたいと 日々精進しているところです。

言葉から命を吹き込まれた語り人たる登場人物たちが、いつのまにかぼくから離れて個を象るとき、読者の皆様の傍にそっと寄り添わせてやってくださいませ。

あなたが死にたいくらいの時、彼らが少しの役にでもなるなら…

ぼくの幸せです。