馬鹿ぼんど 第六話

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わたしは子育てに忙しく、フィリックスはよく働いてくれた。

工業廃棄物のリサイクル工場が、彼の戦場だった。

そもそもフィリックスがガーナを出たのは、豊かさを求めたからだ。

幼い頃、下の妹の鉛筆を折ってしまい父親に激昂された。

それはNGOから支給され、妹が大切にしていた代物だった。

彼は、たった一本の鉛筆で家族ぐるみの大騒動に発展するような、

西アフリカの経済的未熟さに辟易(へきえき)とする。

世界にはインクの残ったボールペンを放り捨て、ただシワがついただけの紙を丸める国もある

フィリックスはサバンナよりも広い地平を夢の中に見た。

せめて砂ぼこりの立たない地面に寝転んでみたいとも思った。

それで東に向かった。

「東京はすごいデス」

彼は何度も感嘆した。

何が凄いのか? と、問い掛けると、ゴミが金にナリマス、と答える。

ガーナじゃ、ゴミはゴミでしかなく、宝にはならない。

彼は宝船に乗る。

七福神と肩を寄せ合う気分で、五穀豊穣に悦喜するように。

だから、ゴミの山を前にすると、

「ぼくも金持ちの気分デス」

って破顔する。

3kなんてあれもないから、誇りを持って労働する。

労働して労働して労働しまくって、戦場に流す汗の量は幸福に比例する。彼は本当にそう信じた。

フィリックスの父親は、部族どうしの小競り合いに巻き込まれて、

マーケットに広げた大切な城を一瞬のうちに失ったことがある。

家畜をやられ、物置台やら荷車やらを破壊され、あげく右足を折られて、長男は殺された。

なのに父親は三日と置かず、商売を再開させてみせた。

「神の思し召しのまま」「残された家族の幸福のために」だそうだ。

かつて父親が身を粉にしていたように、今や一男一女を儲けた家長は、自分もそうあろうと真摯に務めてくれた。

その姿勢は、そんじょそこらにいる甘ったれた日本人若男の比にならないでしょうね。

 

 

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「いい御主人じゃないですか? だのに何でだろう?」

と、中上さんが深い溜息をつく。

「そうよね……」

わたしも、溜息のニュアンスに同意した。

「あの人、わたしには持てない荷物を担いでくれていたんだけど……」

「だけど?」

咲恵は何もしないで家にいてほしい、子供たちのこと、二四時間守っていてほしいし、ぼくの帰りを必ず待っていてほしい……、って。

「それは、お子さんたちもまだ幼いのだし、仕方のないことですよ」

「まあそうなんだけど、エマがお腹にいるときに、アロマテラピストの資格を取ったの」

このままじゃダメ。わたしの旅は終わっちゃう、って、焦ってもいた。

「ここはフィリックスにとっての終着点かもしれないけど……」

「ここって?」

東京。

「わたしにとっては出発点なのよ、って、反発する気持ちが強くなっていったの」

「枷(かせ)を外して自由になりたいって考えたの?」

と、中上さんは前傾になって質問をする。

「でも彼は……フィリックスは、独りじゃ生きてけないだろうしなあ、って悩んだわ」

と、わたしは中上さんのロックオンを逃れるように、パイプ椅子の背もたれを背中で押すように後退した。

「私の彼……」

ん?

「結婚したら、直(じき)にこの仕事を辞めてほしいって求めてくるんです」

そうなのか……。

「けれど、したいんでしょ? 結婚」

「うん、まあそうなんだけど……」

と、彼女は首を傾げた。

ケースワーカーの責任を果たすのも私だし、彼の妻になるのも私。

どっちも「私」だ。どっちかの「私」を捨てるなんてできない。

と、まあそんなことをゆいたいようだ。

「わたしがゆうのもなんだけど、中上さんは仕事を辞めて家庭を守った方がいいんじゃないかなあ」

「どうしてです?」

「彼のことを好きだってゆったじゃない……」

つづく

by ケイ_大人


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自分のために~誰かのために、言葉とセンテンスの職人でありたいと 日々精進しているところです。

言葉から命を吹き込まれた語り人たる登場人物たちが、いつのまにかぼくから離れて個を象るとき、読者の皆様の傍にそっと寄り添わせてやってくださいませ。

あなたが死にたいくらいの時、彼らが少しの役にでもなるなら…

ぼくの幸せです。