馬鹿ぼんど 第七話

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自分の中にこさえて必死にしがみついていた一本の筋。

それが “恋愛→結婚 ”とゆう新芽を出して枝分かれしてゆく。

「もうここにはいないのよ」 見えない誰かの囁き。

あなたの耳にはそう聞こえ、あなたの口が「何がいないの?」と聞き返す。

すると誰かはまた教えてくれた。

「あなたの肉体はここにいても、あなたの心はもうずっと遠くの高い場所まで登っていってしまったのよ」

あなたは驚いて、ひたすら怖くなって掌に汗をかいた。

汗は小便のように臭い匂いを発して、ぎゅっと握りしめていたその幹を腐らせていく。

それでもまだ離さない手が、みるみるうちにその手から下の幹と緑葉を腐らせていく。

「結婚と仕事って、二者択一するようなもんでもないと思いますけど……」

それ戯言よ。

フェミニストが運動の旗印にするには、あまりにも分かりやすかったから。

「中上さん、女性のためのユートピアなんて信じるの?」

 

エ マを0歳保育に預ける余裕などはなかったでしょ。

彼女を抱きながら、“起業ハウツー ”を読み漁った、あの頃。

「『金』『見込み客』『熱意』。

そして何より『家族の理解』」 必要なものはこれで全部よ、

って、ある本は机を叩いて弁を揮っていた。

わたしは、「そうなんだあ」と軽薄に相槌を打ち、

「『熱意』なら四条件に入ってるけど、『資格』って書いてないなあ」と、

馬鹿な顔してエマに乳を飲ませて いた。 アロマテラピーショップのオーナー。

絵に餅を描いてるとき胸は弾むばかりだったけど、

現実はモチというより無知をさらしまくって苦しんだ。

イメージしていた街、わたしは代官山に手頃な物件を見つける。

木造築四十年のアパートを改装したSOHO型のテナント。

六畳半という手狭さは難だけど、敷 金、礼金1ヶ月ずつってのは魅力だ。

当時まだ二十五才になったばかりで、しかも専業主婦のわたしに、経済的余裕などあるわけない。

お隣にはオリジナルアクセサリーを売るアーティスト。

向かいでは若い占い師が「修行中」と書かれた札を提げている。

雑多な種が無秩序に蒔かれたような異空間。

「いつか旧山手通りあたりに路面の店を出したい」

とか熱く芽生えを語る種もあれば、

「大それたことは考えちゃい ないから」と小さくまとまろうとする種もある。

そこには様々な生き方がある。

わたしの芽の向きはまだ曖昧だったものの、

滞留し沈殿しかけている心の中の塊を、

ともかくこの刺激的な種どもがどうにかしてくれるにちがいない。

なんてゆうのは甘かった。

一銭も使わずに立ち去っていく客たちが来ると、“塩撒いてやりたい ”なんて傲慢な気持ちにもなった。

時々箍(たが)が緩んで、エマが燥(はしゃ)いじゃったりすると、

「幼子を置いて商売するなんて不見識だ」、そんな厭味 まで垂らして出ていくのだ。

それに、そういう輩に限って、アロマの専門的なことをダラダラと口上吹いていくもんだし。

三カ月目には、「本日都合によりお休み」と不規律で稚気な下げ札が、

「修行中」と殊勝なそれに向き合うことも屡(しばしば)。

釣銭を切らしていて、アクセサリー屋にいくらか貸してもらったことがあって、

そのことを二三日忘れて返さなかったら、

「常識がないっ!」 って、いつもは温和なその店主に、えらく冠を曲げられたこともあったわ。

 

 

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「突っ走ってしまったのね……起業することに」

男女同権の理想社会を信じるかどうか?

そのことへは終に答えず、中上さんは淀んだ表情を浮かべて問い返してきた。

「もちろん一応形式的なあれかもしれなかったけど、夫に相談はした」

「その時、フィリックスさんは何て?」

「主婦の遊びデス」 って。

「あなたは家の中にいて、子供たちを守りなさい。それが役目デス」 って。

それがうつろな縞馬みたいな眼球で訴えてくるし。

「わたし、ああ、もうウンザリ! って、ぶつけてやったの」

「あの……」

中上さんにケースワーカーとしての厳しい顔つきが戻る。

「自分勝手なこと言ってるなあ、とか、自戒とかはありませんでした?」

彼女がわざわざ我が身の愚痴を吐いて聞かせたのも、本心から慰みを受けようとしてたわけじゃない。

齢が程近く、形容し得ぬ親近感が湧いていたとしても、

わたしは子供虐待の疑いをかけられた忌むべき親失格者であり、

彼女はわたしに子供を返すかどうかの断を下せるケースワーカーなのだ。

その関係性を覆すほど、事は情緒的な心の棚引きに左右されたりはしない。

自分勝手? 自戒? 人として、それはそうだ。

「……自問自答しない日はなかったわ」

(つづく

by  ケイ_大人


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馬鹿ぼんど 第六話

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わたしは子育てに忙しく、フィリックスはよく働いてくれた。

工業廃棄物のリサイクル工場が、彼の戦場だった。

そもそもフィリックスがガーナを出たのは、豊かさを求めたからだ。

幼い頃、下の妹の鉛筆を折ってしまい父親に激昂された。

それはNGOから支給され、妹が大切にしていた代物だった。

彼は、たった一本の鉛筆で家族ぐるみの大騒動に発展するような、

西アフリカの経済的未熟さに辟易(へきえき)とする。

世界にはインクの残ったボールペンを放り捨て、ただシワがついただけの紙を丸める国もある

フィリックスはサバンナよりも広い地平を夢の中に見た。

せめて砂ぼこりの立たない地面に寝転んでみたいとも思った。

それで東に向かった。

「東京はすごいデス」

彼は何度も感嘆した。

何が凄いのか? と、問い掛けると、ゴミが金にナリマス、と答える。

ガーナじゃ、ゴミはゴミでしかなく、宝にはならない。

彼は宝船に乗る。

七福神と肩を寄せ合う気分で、五穀豊穣に悦喜するように。

だから、ゴミの山を前にすると、

「ぼくも金持ちの気分デス」

って破顔する。

3kなんてあれもないから、誇りを持って労働する。

労働して労働して労働しまくって、戦場に流す汗の量は幸福に比例する。彼は本当にそう信じた。

フィリックスの父親は、部族どうしの小競り合いに巻き込まれて、

マーケットに広げた大切な城を一瞬のうちに失ったことがある。

家畜をやられ、物置台やら荷車やらを破壊され、あげく右足を折られて、長男は殺された。

なのに父親は三日と置かず、商売を再開させてみせた。

「神の思し召しのまま」「残された家族の幸福のために」だそうだ。

かつて父親が身を粉にしていたように、今や一男一女を儲けた家長は、自分もそうあろうと真摯に務めてくれた。

その姿勢は、そんじょそこらにいる甘ったれた日本人若男の比にならないでしょうね。

 

 

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「いい御主人じゃないですか? だのに何でだろう?」

と、中上さんが深い溜息をつく。

「そうよね……」

わたしも、溜息のニュアンスに同意した。

「あの人、わたしには持てない荷物を担いでくれていたんだけど……」

「だけど?」

咲恵は何もしないで家にいてほしい、子供たちのこと、二四時間守っていてほしいし、ぼくの帰りを必ず待っていてほしい……、って。

「それは、お子さんたちもまだ幼いのだし、仕方のないことですよ」

「まあそうなんだけど、エマがお腹にいるときに、アロマテラピストの資格を取ったの」

このままじゃダメ。わたしの旅は終わっちゃう、って、焦ってもいた。

「ここはフィリックスにとっての終着点かもしれないけど……」

「ここって?」

東京。

「わたしにとっては出発点なのよ、って、反発する気持ちが強くなっていったの」

「枷(かせ)を外して自由になりたいって考えたの?」

と、中上さんは前傾になって質問をする。

「でも彼は……フィリックスは、独りじゃ生きてけないだろうしなあ、って悩んだわ」

と、わたしは中上さんのロックオンを逃れるように、パイプ椅子の背もたれを背中で押すように後退した。

「私の彼……」

ん?

「結婚したら、直(じき)にこの仕事を辞めてほしいって求めてくるんです」

そうなのか……。

「けれど、したいんでしょ? 結婚」

「うん、まあそうなんだけど……」

と、彼女は首を傾げた。

ケースワーカーの責任を果たすのも私だし、彼の妻になるのも私。

どっちも「私」だ。どっちかの「私」を捨てるなんてできない。

と、まあそんなことをゆいたいようだ。

「わたしがゆうのもなんだけど、中上さんは仕事を辞めて家庭を守った方がいいんじゃないかなあ」

「どうしてです?」

「彼のことを好きだってゆったじゃない……」

つづく

by ケイ_大人


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馬鹿ぼんど 第五話

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 “好き ”って気持ちは、どんな感情のレベルをして、

そう決められるんだろう? 謎だ。

 クラスメートの美貴ちゃんが好きなのっ!  とかなんとか、

小1のダレルが生意気なことを訴えてきて、 小突いてやったことがあったなあ。

わたし、中学生の時、体育の先生に

「好きです」って認(したた)めたラブレターを書いた。

出す前に友達に読まれちゃって、顔から火が出て、

「嘘! 冗談だってば!」って、慌てて破いた。悔しくなって、

後で泣いた。恋も勝手に破れた。

その手紙を読みやがった旧友はまだ独身なんだけど、

どうしても不倫相手の彼を断ちきれないでいる。

「だって、好きなんだもん!」って馬鹿みたいに嗚咽していた。

その子に、「好きってどういう気持ちなんだろうね?」って尋ねたら、

口をつぐんで白熱灯をしょぼしょぼ見つめながら、

“同じような温かい感情を、

対象となる相手にも自分に対して持ってほしいと願う気持ち ”だと、

長々絞り出す。

見返りを求めるって相手なら、

フィリックスに対してもそうだったよ、

って、わたしはなんともピンとこなかった。

 

 

「けれど、好きじゃないのに、結婚や同居……、それから出産に子育て、 そんなことが次々に出来るものでしょうか?」

「できるかどうかじゃなかった。どんどん負い被さってくるんだもの。しようがないからこなしていくって感じ」

 わたしは、左右の掌と甲を何度か交互に添え直して説明を加える。

「フィリックスの面倒、次はダレルの子育て、今度はエマの出産」

 みんな義務でしかないよ。

 中上さんは、

「それはお子さんたちにとって幸福なことではないわ」

と、きっぱりとわたしを責めた。

ダレルを保育園に預けられるようになって、

漸く社会復帰に意欲満々の矢先、長女のエマが出来てしまった。

わたし、ショックだった。

「また一から同じことをやらなくちゃいけないのか……」

って、産婦人科の待ち合いで零したら、フィリックスは、

「なんで嬉しくないのデスカ?!」

と、怒ったような? 困ったような? いやいや不思議そうな表情。

天使が自分の頭の上で微笑んでいるのに、

なぜか「御愁傷様です」と肩を叩かれたような面でこっちを見る。

わたしに “産まない ”って選択肢はなかった。

フィリックスの信仰が問題ではない。

ただ自分に課された仕事を放棄するのは、嫌だったから。

意地っていうか、プライドっていうか、ね。

取り上げられた娘には、「すべて」とゆう意味で、

「エマ」と、わたしが名付ける。

込めた気持ちに偽りはない。

だから全力で産んだし、全力で育てた。

女の子だし、褐色の肌に心痛む時が来るかもしれない。

でもね、自分で自分を隠すために異端の小部屋を掘っ建てて、

そこにイジイジと引き籠ったりして欲しくはなかった。

命を授かったことに感謝して、偏見の眼差しに負けない人間に育てたい、

そうゆう気概はとにかく全力だった。

当然ダレルにも同様の気持ちで向き合ってきたけれど、エマに対しては殊更だった。

 

 

「私は話せば話すほど、あなたのことが分からないのです」

中上さんはこめかみのあたりを押さえて、小さく首を振った。

「咲恵さんはここに熱心に運ばれて、わたしにお話をされるのに、ダレル君を取り戻したいって感じが伝わってこないんです。もしそうなら、なぜここにいらっしゃるのだろう? 目的はなんだろう? って」

わたしは、当然そうだろう、と、愛想よく頷いてみせる。

それがまた中上さんに無用な反感を買うのも気付いていたけれど。

子供を手元に取り戻せない焦燥が沸騰して、逆上したり、

悲嘆や悔恨に暮れたりするのは負けを意味するのだ。

わたしは、たとえ、わたしやフィリックスがいなくとも、

強く生きる力を二人に教えてきたつもりだ。

母親としての仕事を全うした、ってゆうプライドがある。

プロの母親として、運命の流砂に呑まれて、

じたばたと藻掻くだけはしたくないのだ。

「ここに来るのも母親としての仕事だもの」

わたしは凛として答えた。

そして、

「虐待の事実はありません」

と、加えた

つづく

by ケイ_大人

 


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馬鹿ぼんど 第四話

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 バイト代が入ると、わたしたちはよく踊りに行った。

アフロビートでトランスすると、箱を出た後にもサイコーな気分がジンジンと残る。

耳鳴りを抑えるようにセックスするのは、また格別に気持ちが良い。

 彼のペニスは、人の普遍的想像を遥かに超えてそそり立つスカイハイだったし、

ギガンテスの鎧のような固さを誇った。

はじめはベレー帽のようなコンドームが、申し訳なさそうに装着されてもいたが、

フィリックスの温度を全部独り占めしたくなった時もあって、

わたしからゴム無しをせがむ。

程無く、ダレルが宿った。

 

 フィリックスは子供を大切にした。

ガーナ北部の街、ボルガタンガで育った彼は、八人兄弟の七番目だった。

マーケットで物売りの仕事をしていた父親は、 彼を労働力の一つとして考えていたようだが、決して虐げていたわけではなかった。

敬虔な英国国教会徒で、たくさんの子供を分け隔てなく可愛がったそうだ。

 日本で正式な婚姻関係を結ぶことが難しかったわたしたちは、

ガーナ共和国で入籍することに決めて、

わたしはその機会に一度だけあちらの故郷を訪問したことがある。

 田舎の村人による歓迎は「万国共通なんだなあ」と、それなりに感激もしたし、

星の王子様の故郷星に生えているのと同じ “バオバブ ”の自生に触って感動もした。

 

 渋谷駅にあったプラネタリウムのそれみたいに、星が無数だった。

 家畜の山羊や驢馬はたくさんいるけど、「ライオンやキリンに会いたい」と、

ねだってみると、「この近くにはいないのデス」と悲しい顔をされ、

殺風景なサバンナを驢馬の馬車で案内された。でも、それはそれで感動した。

「感動・感動・かんどう・感動……」。

砂浜で拾い集められる貝殻が点在するように、

「感動」ってタグのついた欠片は確かに幾つもあったんだと思う。

でも、今になったって、その一つ一つが繋がりを帯びて、

一筋のドラマチックなストーリーに昇華していないのは、なんでだろう?

 たくさん世界を旅して巡る。その先々にも同じような「感動」がある。

それは、成田の航路から彗星の尾のように繋がった記憶になってゆく。

なのに、あの二人旅の思い出には、そうゆうのはない。

なんでだろう?

 瞬く星星の下で、既になんとなくそんな気付きがあったから、

ぽつぽつと打ち明けてみた。

 わたしは泣いた。

フィリックスは、

「日本では見られない宇宙デショ? 綺麗な星デショ?」

と肩を抱く。涙が溢れているのは、気分がうっとりしているからじゃない。

勘違いしてる、この人!

だから、やっぱりあの時も、「なんか違うのよね」ってへそを曲げた。

曲がったへその奥部で、ダレルがこつんと蹴ってきた。

 

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「既に不満が溜まっていたってことなのね?

一緒になることに躊躇(ためら)いはありませんでしたか?」

 中上さんの問いかけは、イエス、と求めるような感じだった。

「ええ……、まあ……」

 だから相槌を打ったけど、本音ゆうと少し違うんだな。

 結婚に後ろ向きだったんじゃなくって、

“別れ ”なくてもいいような御相手を選択するのに前向きだったとゆうか……。

「私ね……」

と、中上さんの視線がやっと私を解放して、自分の指先に移ってゆく。

わたしも彼女の目線の先を追う。

へええ。黄檗(きはだ)色の秋物カーディガンの袖に、ぴたりと合った色白の手。

その指は、丸くて可愛い形をしている。

家事で痛んだ痕のない、これは新品だってすぐに察した。

「来春に結婚する予定で」

「……はあ」

 何を唐突に、と、訝しい表情を手向けると、

彼女は急いで「ごめんなさい、私事で」と薄笑った。

「いや、別に、大丈夫」

と、わたしも頬笑みを返す。

「ああ、とりあえずおめでとうございます」

「あっ、どうもありがとうございます」

「で?」

どうぞ続けてください、と、わたし。

「こういう仕事って、有難がられるより嫌われることの方が多くて……」

 まあ、そうだろね。子供を守る仕事とゆえば聞こえもいいけど、

子供を親から奪う仕事でもある。「結構しんどい」のだと彼女は零した。

「今までずっと、結婚を避けて来まして。親戚から縁談の御話をいただいても御断りし続けてたし……」

 仕事が精神的にハードなの?

「というか……」

要は、よその子供を保護する経験を積むたびに、

結婚への嫌悪感みたいなのが湧くようになった。ノ、ですって。

「それって、職業病?」

 わたしは軽く茶化した。

「かな?」

と、はにかむ中上さんは、なかなかチャーミングね。

「私の場合は、相手が同業なんです。埼玉の児童相談所の方なんですけど」

 同じ苦労を分かち合える人だと信じられたからこそ、家庭を作る勇気が持てた、

と、彼女は続けた。

「好きなのね?」

「そうですね」

「じゃあ良かったわ」

「ええ、まあ」

「なんで今、わたしに話したの? この話」

「咲恵さんのお話を伺っていて、急にまた結婚が不安になってしまいました」

「だって好きなんでしょ?」

と、わたしはパイプの椅子に深く掛け直す。

「わたしはフィリックスのことが最初から好きじゃなかったんだよ。だから中上さんの結婚と、わたしのは根本が違う」

 きっぱりゆって、ちょっと自分でもびっくりした。

彼のこと「好きじゃなかった」って、言葉にして認めた初めての瞬間に驚いた。

(つづく)

by ケイ_大人


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馬鹿ぼんど 第三話

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身体とゆう箱の中にリズムを刻むため、

ただそれだけのために神様が用意してくれた装置がある。

そんなことに気付いたのはいつ頃のことだっけ。

二十歳のわたしには既知のことだった。

だからフィリックスに影響を受けたわけじゃないよ。

現にフィリックスに出会うずっと前、
わざわざモロッコのマラケシュにまで足を延ばし、
グナワの生演奏も体感していたんだし。

 二人で踊りに行く。

フィリックスはダンスミュージックに掻き消されまいと、耳朶に噛みつくくらいの近さで
、声のボリュームをマックスにする。

「神様のギフトを大切にしマショウ!」

と、決まってそうシャウトするの。

自分の汗を舐めながら。

二人で一杯のソルティドッグを口に含んで。

彼のそうゆう感性には共感できた。

好きになる理由は「これでいいか」って。

 


「いや慰めが欲しかったわけじゃないわ。何てゆうかな……」

「何て言うか?」

 中上さんは再び眼鏡をかける。

 太陽運行に逆らったりしないネグロイドだから、

将来別離する理由も特別に見つからないだろうな、って、直観的に悟ったの。

「出会ったその日に、恋人になるとか結婚するとか決めたわけじゃないけど、別れなくて

もよさそうな人だなって、安心感みたいなものがあったのかな……」

と、わたしは中上さんと視線を合わせた。

 中上さんはその前からずっとわたしの目を見ていた。

 

 

 十歳の時に、わたしの両親は離婚した。

「あなた、子供たちの前でやめて!」

 お母さんがそう制した父親の手には、果物ナイフが握られている。

あの刹那の記憶は、二八になった今でも焼印のように拭き取りも剥がし取りもできない。

 もともと悪いのはお母さんだった。

わたしも弟もそのことはすっかり分かっているし、

お母さんも「自分がいけなかった、あの人に悪いことをした」と認めて、

いまでも時々悔恨の涙を零す。

「お前がめちゃくちゃにしたんだろう!」

 お父さんの憤激は、手にしたナイフも溶解してしまうほどのエネルギーだった。

 母親の背中に隠れていたわたしは、刃物よりもその熱に身が縮まった。

 あんなに憤った男の人を見るのは、後にも先にもあれ一度きりだ。

「何でだ?! えっ、言えよ! 何でその男なんだっ?!」

 俺の何が不満なんだ?! と発すると、彼は自らの脇腹をナイフで刺した。

 血がいっぱい流れた。

 涙もいっぱい流れた。

 流れた血も涙も、そのほとんどがお父さんのものだった。

 それ以来、わたしの中には、 “別れ ”とゆう人間の営みの一つが、腫れっぱなしのニ
キビみたいな風に残ってしまった。

 “学んだ ”とも 、“感じた ”とも、何か違う。ただ “残っている ”って

だけの、印みたいなもん。

 付き合い始めてすぐの頃、
フィリックスの黒い胸板にくっついて彼の鼓動を聞いていた時、

「だから、別れ、って、すごくキライよ」

って、零したの。

 そうしたら、彼ね、

「サバンナで仕事をする男たちにとって “別れ ”は当たり前のコトデス」

と、煙草を燻らせた。

 わたしが「それは “死ぬ ”ってことの意味じゃない?」って聞いたら、「ソウ」と答
えるので、「なんか違うのよね」って不貞腐れた。

 (つづく)

 

by ケイ_大人


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馬鹿ぼんど 第二話

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  表参道のCDショップ。

黒いのが、隣の試聴ブースでステップしている。

「なんだ、このネグロイドは?」

 怪訝な視線を注いだら、

「YAH!」

 チョコレートのような笑顔を返されたんだっけ。

「ねえ、今晩踊りに行かないデスか?」

 変なのに目をつけられたな……。

「ぼくは、フィリックスといいマス」

 いや、聞いてないし。

グナワ・ディフュジオンとゆうフランス人バンドのCDを買い終え、

(新手の黒人ナンパ師……、鬱陶しいわ)

 と、地上に続く出口階段へ、そそくさと急ぐ。

踊り場に電話中の女の子が一人。ハイビスカスの髪飾りを付けている。

「ORANGE RANGE~『ロコモーション』NOW ON SALE!」

だっけ、その頃流行ってたグループのポスターの前で。

それを横目にしながら顎の上がってる、わたし。

ぬるまっこくってスーパーヘビーな空気に、今にも押し切られそう。

ゲリラ豪雨の直撃で、メトロに誘われる濁流みたいなの。

わたしはまるで水面に口を開ける魚だ。萌え立ちの枝間を縫って清々しい風が

吹いた表参道の春が、あああ、懐かしい。

ギンギンのお日様は、女子たちが闊歩する歩道をひたすら蒸し上げていく。と……。

こりゃあ、面倒くさいわ!

とば口の眩い光の中に、太陽黒点がわたしを待ち構えていた。

「やあ、また会いマシタ!」

 ったく、望んでない。

表参道を青山通りの方面にせっせと上る。フィリックスは必死な蚊みたいに離れない。

わたしはAB型だから美味しくないのよ、ってゆってやりたい。

気を惹こうとして「シカゴのダウンタウンから来マシタ」って、格好をつける。

わたしが「アメリカには興味ないの」とゆえば、「じゃあ、ケニア デス」

本当は、ぼくケニアで国連の仕事をしていマス、って。

国連大学が近いから、

「そういうアレの人?」

 と、尋ねたら、

「君、面白いこといいマスネ。国連に大学があるナンテ」

 と笑うから、本当に馬鹿。

突っ込んでやると、結局、「ガーナ共和国出身・ばがぼんど」だと白状した。


 


「ばがぼんど 、って?」

 わたしとフィリックスの馴れ初めを穏やかに傾聴していたけれど、中上さんは、

耳慣れない言葉の意味不通を嫌う。

「英語で『放浪者』ってゆう意味ですよ」

 と答えてあげたら、中上さんは「はい」って頷いていたけれど、心得た、って様子でもなかった。

代わりに、

「フィリックスさんの軽快さとマッチした語感だわ」

 とかなんとか、あんまり意味の分からないことをゆって、勝手にほくそ笑んでいた。

 

 



「ここでランチをしないデスカ?」

 と、フィリックスは悪びれる色もなく、表参道のマックを親指で指す。

結構です。

「今、バイトの昼休みなの」

「ぼくが奢りマス」

 わりーけど、わたしはベジタリアンなのだ。

「じゃあ、ぼくがパテを入れないでと頼みマス」

 ピクルスとレタスのサンドを食べよう、って。

「マヨネーズもいただけない」

 と素っ気なく返したら、

「ピクルスを多めにしてもらえばいいデスカ?」

 あれはソルティだ、って。嬉しそうに手を引くのが強引なの。

 今様にゆえば、KYってこと。

 



「それで、本当にピクルスサンドを注文したのかしら?」

「本当にした。でもレジの女の子は頼まれてくれなかったわ」

 中上さんは笑った。わたしも笑った。

で、恥ずかしげもなくそんな無理筋な申し出をしてしまう彼を、正直ちょっと可愛らしくも感じられたんだ、
と、漏らすと、中上さんは、

「分かる気がする」

 と頷いた。

「あの頃、わたしは恋人と別れたばかりだったし……」


(つづく

by ケイ_大人

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馬鹿ぼんど 第一話

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アロマオイルの在庫表が、鍋底のカレーみたいに無残に固まってしまっている。

さっきエクセルで作ったばかり、わたし、保存してない。

「ダレル! うるさい! ちょっと静かにして!」 

ソファーに寝転び、携帯ゲーム機で遊んでいた長男に叫ぶ。

「はーい……」

 消音にしてるってゆうけど、そうじゃない。あんたがボタンを連打する音に苛つくの。

「ねえっ!」 

 ダレルはしれっとして、乱れ打ちをやめようとしない。モンスターなんとかってゆう、

世の中に必要悪なそれ。わたしが仕事に出るときは素晴らしい子守り役だけど、

今すぐ憎ったらしいDSごと叩き折って、ブランブランにしてやりたい。

「ちょっと!」

 息子は全く意に介さず、パドリング姿勢で親指を小刻みに震わしている。

 向かい波に興奮の雄叫びをあげるように、ダレルは歓喜する。

「来たー」

と。

「ダレル!」

 波打ち際からライフセーバーが過剰なピーピーを喧しくやるように、

わたしは彼の褐色の足首を引っ張った。

「もうちょっといいじゃん」

 まだベッドに入るまでには時間あるでしょう? って。

引かれる後ろ髪さえばっさり落とした愚息は、知らん顔して沖のブイを越えていく。

マジ、ふてぶてしい。 とにかく苛つく。 もうたまんない。

「イテッ!」

 右平手を尻に一発。

 小さな悲鳴を上げ、ダレルはわたしをぎゅっと睨んだ。

その目玉がフィリックスにソックリなの!

それにまた腹が立つ。

ってゆうか、ぞおっとする。

とにかくその小顔を無意識に退けたくなって、

抑えの利かない前腕は鞭のごとくに撓る。

今度は四五度から頬に直撃。

ダレルはゴロリとソファーから落っこちる。

操縦士を失ったモンスターなんとかはダッチロールを続け、虚しいゲームオーバーの点滅がほどなく始まった。

 息子は格好の大波に乗り損ねたサーファーのように、ぼーぜんと口を半開きにさせている。

憎々しい。アメーバのようにブヨブヨした、得体分からぬ狂気が憑依する。

今度は “グー ”。

 幼いダレルは健気に防御姿勢をとるが、ホットミルクに出来る膜を打ち抜くようなもん
ダレルは呻き声とともに大粒の涙を溢し始めた。

「ママやめて!」

 情けなくなる。男のくせに。

「もう……」
 ゲームは、「お願い!」、やめるから許してよ、的な哀願。

「誰のためよ?!」

 ほら!

 ゆってみろ!

「ぼくだよ、ぼくのためだよ!」

「でしょ?!」

 ママが頑張ってるのはね、あんたを育てるためでしょ?

「なのに、あんたは!!」

 と、何度も何度も振り下ろす。

「ママが仕事を頑張ってるのはねえ!」

 あんたのた……、ん? いや、ちょっと違う……。

 わたし、か?

 わたしの、ためか? 

 あああ、そうか……。

 わたしのため、か?

 

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「どうして突然そう思ったんです?」

 ケースワーカーの中上(なかがみ)さんはバインダーを閉じてそう尋ねた。
 バインダーの背には、忌々しいテプラの背表紙シール。例によってチラチラと気持ちを挑発してくる。

『ドナリ―・竹田(たけだ)咲(さき)恵(え)、ドナリ―・竹田ダレル 親子 事件・秘匿情報』

なんだ、『事件・秘匿』って? 癪に障る。 

お天道様に隠れた雑居ビルで、ケシの花かなんかを栽培してんじゃあるまいし。

中上さんは、静かに眼鏡を外した。薄桃珊瑚色のルージュが控え目な印象で、
わたしは彼女に悪い印象を持っていない。
「どうしてです?」
 と、もう一度うぶ毛を撫でにくる。
「ええっと……」
 まだ二度目のカウンセリングだってゆうのに、すでに親しみさえ覚えたのは、
年齢が自分とさほどかけ離れていないことと、その地味な見た目からだった。
従順を装う文鳥は、小さく首を傾げてみせる。

「まだ七月のカレンダーをめくってなかったから」
 と、ぼそぼそ答えて、みる。

「それが?」

「あの……七月の写真はエアーズロックなの」

「オーストラリアの?」

「そう」

 わたしはまだあそこに行ったことがない。

「それで?」

「八月の写真はインドのタージ・マハルだって分かっていた」
 わたし、その場所には行ったことがあるの。

「まだ旅をしてみたいところって、たくさんあるんだよなあ……」
 と、わたしは宙を仰いだ。

「お子さんのためじゃなくて、そのために仕事をしていると?」

(つづく

by ケイ_大人

 

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ひなたの1週間 (後篇)

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木曜日の朝。教室

うちの机の上に、逆さにされたゴミ箱がドン。紙くずなんかが散乱。

いわゆるイジメってことですか?

「マージーかー?!!」
と、思わず鞄をぶん投げて、静まりかえった二年四組を見回した。

誰彼の視線も、シラーっと冷たい。

その真ん中でうちを睨みつける女子が一名。

ターゲットロックオン。中村瑞穂という女。

「瑞穂! おまえかよ!?」

「うっせえ!」

と、ずんずん瑞穂が迫って来て、

「ひとの男取ってんじゃねえよ?!」

 はあ? 何のこと?

「ひなた、しらばっくれんじゃないよ!」

瑞穂の取り巻きの誰かが口を挟んでくる。

「おまえ、梅田と付き合ってんのかよ?!」

ええ?!! 

っつうか、こいつらも相当うざいけど、あの男マジ終わってんな。

瑞穂は先週まで梅田と付き合ってたらしくって、突然振られたんだってさ。

うちに当たるなんて、どう考えたってお門違いでしょ?

 



金曜日。欠席。
 朝から調子が悪い。だるいし、身体が重くてベッドから起きられない。

 悔しいけど、あの店のエロじじいのことをどうしても思い出しちゃってムカムカもする。
 今日の放送は小公子に代わってもらうことにした。

 


土曜日の朝。

 家電が鳴る。ママのパート先からだ。

「お母さんこの頃お休みがちなんで、連絡こそいただいてはいるんだけど……」

やっぱり業務に支障が出るからねえ、って厭味ったらしく。

まあ当然か。

「すみません、今、実家の祖祖母が危篤で……、来週には戻ると思うんですけど」

 うちは頭を下げた。この前は「祖祖父」で、その前は「叔母」を死にかけにした。

実際は、また“男”なんですけど……。もうため息しか出ない。

ママって女は、男が出来ると輪をかけて野放図。外泊さえもへっちゃらなんだわ。

「ったく、母子家庭で、娘も仕事も放ったらかしにして、どこで遊んでんだか」
 
その日の夕方。 

今度はメールの着信。小公子から。

「ひなた先輩、お加減どうですか? 昨日の放送はバッチリ代役を務めましたよ。

あのー、結局『しるし』はかけませんでした(笑) ぼくの気持ちも、アノコトも、とーぶん秘密にしときます❤(照)」

だって。うちは、思わずクスッと笑っちゃった。

「後輩くん、きのうはありがとう。もう元気だよ。来週、うちが『しるし』をかけるわ」
 うち、次は休まないよ。ママがあんな人でも、娘は絶対自分のすべきことから逃げたりはしない。

「マジですか? すごい楽しみです。ひなたさんのMCで『しるし』が聞けるのを」

毎日をふりかえると、ゴチャゴチャ色んなことがあんだよね。

けど、うちは一つの場所で途方にくれたりはしない。

そういう自分のことが好きだから。

(完)

by ケイ_大人

 

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ひなたの1週間 (前篇)

 

前篇

月曜日。
三組の梅田が ラインしよってゆうんで番号教えたら、
一時間もしないうち、
速攻告ってきた。
「ひなたって、俺のこと高一の時から好きだろ。
 俺も気になるからつきあわねえ?」

先週のこと。家庭科で作ったコロッケが不味くって、
たまたま上大岡のウィングで鉢合わせた奴にあげた。
それが梅田の勘違いか……。
あのさー、マジないし。

それと勘違いはまああれとして、
「気になるからつきあわねえ?」って なんだソレ?

むりだわ!
なんだけど、面白そうだから、
「うちも気になってたんだあ……」
とか返してみる。

すると鼻息荒らくして、
「おれ、お前のことが好きだ! 一生おれが守るから!」
自分に酔ってんな、コイツ。
 勝負あり。もううちの勝ち? 
手応えのない♂。

「うち、やっぱやめとくー、ごめんねー」
って送ったら、

「はぁ? マジ?! どういうことか理解できない……」
だって。 頭悪いわー。   

 


火曜日の放課後。放送室。
台本を取りにいく。放送部は金曜の昼休みに校内番組をやっていて、
六人の部員が交代でDJを担当している。
で、今度はうちの番だから。
「ひなた先輩、お疲れ様です!」
一年の広瀬くんが、ノートパソコンの前で腕まくりをしている。
「今週ですよね、先輩の担当」
と、黒ぶち眼鏡でガン見。
「そうだけど……。なによ?」
「ぼく、ひなたさんの声スキです」
「あ…、どーも」
素直に受け取っとくわ。
こいつ、ちっちゃいころ読まされた 『小公子』とかに出てきそうな。
「ひなたさん、今週ミスチルの『旅立ちの唄』をかけますよね?」
うち、桜井さん好きだし。
「ぼくは来週、『しるし』をかけようと思ってて」
ふーん。
「いいですよねえ、あれも」
 まあね。桜井さんはぜんぶイイけど。
「あの ひなたさん……。 良かったらぼくの原稿に目を通してくれませんか? 」

放送台本は事前に顧問のチェックが入るんだけど、
その前にうちに見てほしいってこと。
自分の番組でいっぱいいっぱいよ。
関心ないわ。
雑多に積まれたペーパを掻き分けて、
とにかく今週の原稿を引っつかみ、
じゃあ、あとよろしくーって出ていこうとしたら、
健気な小公子は泣き出しそうな顔するもんで、
「もー、しょーがないなー」
可愛い後輩だし。

― ではここで今週のフイーチャリングソング。ミスター・チルドレンの『しるし』です。「ダーリン ダーリン いろんな角度から君を見てきた そのどれもが素晴らしくて  僕は愛を思い知るんだ」って、素敵ですよね。あなたは、誰の横顔に焦がれていますか? ちなみに、ぼく、DJ広瀬は、二年四組で放送部の先輩、DJひなたさんのことを…―

はあー?! 

「あんたこれ読むつもり?!」
 真っ赤な顔して、しょぼくれた振りを見せるけど、意外と大胆な小公子。
「だめですか?……」
と、おもむろに黒眼鏡を外す。

へえ、そういう顔してんだ。
うち、正直ちょっぴりドキッとした。
「ぼくマジです。今ここで全校にカミングアウトできます」
と、放送開始のスイッチをONに切り替えた。
「わかった。ストップ! そこまで! 」

「ぼくはひなたさんのことがっ」

えっ?

なんで?

うち……。

小公子の口を掌で塞ぐつもりが、チューしちゃった……。

 


水曜日。バイト先のファミレス。ロッカールーム。
 五時までにタイムカードを押せばよかったんだけど、
暇すぎて早く着いたわけ。
そしたら目撃! 
ひょろりと色白で背の低い副店長が、うちの制服でシコッてんの。
「たのむ!、黙っててくれ」
 魔が差した。女房に逃げられて淋しかったんだ。
とか女々し涙で土下座。
 仁王立ちのうちは、それ以上ないほど蔑んだ視線を垂らしてやった。
ゲスなおやじ!

「これ、なっ、これで頼む!」
と、諭吉さんを一枚差しだしてくる。お目こぼしをと。
最低なやつだ。
「じゃあ、こっ、これで!」
と、三枚差し出す。
「なんならこの制服買いとるから」
「ふざけんなっ、エロじじい!」
脇腹にいっぱつ蹴りをお見舞いした。
とにかくキモイから、店は辞めた。

続く

by ケイ_大人

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天使と悪魔 (後篇)

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年明け間もなくヒロシと籍を入れ、隣町に引っ越した。

狭い2DKだったが、新築だったし、南向きの暖かい部屋だったのですごく気に入った。

丘の上で、風もよく通った。ヒロシが汗臭い体で帰ってくると、いっしょにお風呂に入る。

わたしは背中を流してあげて、ヒロシは大きくなり始めたわたしのお腹を撫でてくれた。

そして、六月。
「わたしが夜の街で働いた意味は、ヒロシに出会うためだったのだし、この子が生れてくるためだったのね」

わたしは取り上げられた娘の顔を見て、そう確信した。

わたしは欲しかったものをぜんぶ手に入れた。

今年五月、何者かの手でカリンが連れ去られた。

すぐに警察は「永瀬」を犯人と断定し拘束する。が、遅きに失した。

カリンは変わり果てた姿で、永瀬宅の浴槽で発見される。

「ヒロシ、大根のお味噌汁作ったから食べよう」
部屋に籠って布団を被るヒロシ。あれから四カ月ほど経つけど、いまだ毎日こうだ。
「……」
「ヒロシの好物だぞ」
何か口にしなくてはさすがに毒だとわたしは続ける。
「いらない」
「でもさ……」
この上あなたまで倒れでもしたら、わたしはどうなってしまうのか、

できるだけ深刻な物言いにならないように気をつけながらそうこぼす。

「なあ、サリ……」
布団を剥いで、ヒロシはむくりと体を起こした。

そしてこちらに背中を向けたまま、
「おれ……、やっぱりお前が許せない。おれのカリンを奪ったのはあの鬼畜だ。でも、お前も悪い。もういっしょにいるのは無理だよ」
と。

ヒロシからこの頃何度となく突き付けられるそんな台詞にも、実はもう慣れっこになっていた。

「……」

わたしは寝室のドアをそっと閉めて、また独りで夜の食卓に着く。

 凍りついた体をちょっとでも温めたいと味噌汁をすする。大根が生煮えで固い。

 食卓と平行に配置したサイドボードの上には、位牌と、それを囲むように愛らしい天使の遺影たちが並んでいる。

カリンだけのポートレート、三人のスナップ……。

そのわずかな空間だけには、事件とは無縁の静穏な時間が流れているようだ。

生後一年足らずだったけど、
「あなたは幸せだった?」
と、わたしは毎日色んな表情のカリンに問いかけてみる。

「ごめんね、ママが悪かったの」
と、手を合わせる。

カリンに混じって、わたしの卒業写真が一枚。

あの大晦日に撮ったものだ。盛り盛り上げた髪、濃いルージュ、背中の割れたドレス、弾けんばかりの笑顔……。
「醜い悪魔!」

わたしはあの日の自分に向かってそうぶつける。

今さら悪魔を呪ったって、わたしたちの可愛い天使は永遠に帰っては来ない。

そんなことはすっかり分かっているのだが・・・・・・。

 

(完)

by ケイ_大人

 

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自分のために~誰かのために、言葉とセンテンスの職人でありたいと 日々精進しているところです。

言葉から命を吹き込まれた語り人たる登場人物たちが、いつのまにかぼくから離れて個を象るとき、読者の皆様の傍にそっと寄り添わせてやってくださいませ。

あなたが死にたいくらいの時、彼らが少しの役にでもなるなら…

ぼくの幸せです。